素人っぽさを減らす、小さいけれど意外と便利な小説技法 そのさんっ!
無印~そのにっ! のどこかで読んで下さった方はお久しぶり、初見の方ははじめまして。素人っぽさを減らす、小さいけれど意外と便利な小説技法のお時間です。
初めにお伝えしておくと、不定期更新のこのシリーズは『上手くなる』技法を教えてはいません。というかそんなものがあるのなら私が教わりたいくらいです。
この素人っぽさを減らす何とかかんとかは、『下手から抜け出す』技法をお伝えしていくものです。ちゃんと出来ている人もいると思いますが、まだそこに気付けていなかった人、あるいは必要となる場面に遭遇していない人が今後つまずかないようにその手助けをしていくものです。可能なら、これを読んで更に自分なりの『上手い』技法に昇華させてくれることを願っています。今回はちょっとその『上手い技法』のヒントを最後に載せたりしています。
さて、今回のテーマはこちら!
『小説に流れる多種の時間を理解し、操れ!』
です!
何を言っているか分からないでしょう。正直私もこのタイトルでは分からないと思います。ましてや、これはたぶん小説技法サイトとかハウツー本とか捲ってもあんまりないんじゃないでしょうか。ちょっと説明も面倒ですし。そのせいで少しまとまっていない感もありますが、始めてきましょうか。
まず始めに小説に流れている時間は、『作者が感じる時間』ですね。
これは執筆に費やした時間とほぼ同義でしょうか。ですので同じページ数、同じ文章量で書いたとしても筆が乗っていれば『作者が感じる時間』は「早く」なりますし、逆に何度も何度も書き直していると「遅く」なります。
もう一つは『キャラクターが感じる時間』です。
こっちは当然と言えば当然ですが、作品の中に流れる時間ですね。こちらは場面転換、章区切りや「○○時間後」と言った方法が挟まることで離散的になり「早く」なりますし、逆に延々と同じ場面が続いていると相対的には「遅く」なります。
そして最後、一番重要なのが『読者が感じる時間』です。
これは読者が文章を読むのに要する時間ですね。なので同じ文章量の場合、コミカルな文章の方が読みやすい為「早く」感じられやすく、戦闘シーンやシリアスな場面ですとじっくり読む必要があるので「遅く」感じられます。説明シーンは読み飛ばす人がいるのでよほど上手く書けない限りは、早い遅いの範疇の外にあると思った方がいいかと。
さて、大雑把に考えると、以上の三つの時間が一つの作品の中に混在することになります。
ここで何が問題かと言うと、体感時間のズレを意識して修正しないと、作品を読んでいるときの違和感の元になり、引いては『素人臭さ』の根本的な原因になることもあることです。
そして最悪なことに、この時間のズレは意識しないと作者は気付かないこともあるのです。
ズレのパターンはいくつかあるのですが、代表的なものは『作者には順当に時間が流れているが、読者がついていけない』というパターンですね。
これは説明するより例文にしてしまうと手っ取り早いと思うので、こちらをご覧ください、
*
「おやすみ」
そう呟いて、俺は隣で寝た彼女に背を向けて眠りに落ちた。
気が付けば目覚ましの音が聞こえる。あっという間に眠りに落ちていたらしい。
「おはよう」
*
さぁ、この例は分かりやすい! と自負しているのですがどうでしょう。たった4行の間に、正確には2行目と3行目の間に睡眠時間(8時間程度)の時間が流れてしまっているのです。ところが、読者は続けて読むのでたった数秒にしか感じようがありません。このギャップは、読者を躓かせる要因になります。
では、どうしてこんなことが生じてしまったのか。
代表的な原因はおそらく『時間の流れを全く意識せずに書いている』か『続きに見せたいものがあり焦ってしまった』ということでしょうか。この後の場面を書きたい欲求が大きすぎて、この睡眠の場面をおざなりにしてしまった、という訳ですね。
ところが、もう一つ考えられる原因、それが『作者に流れる時間のズレ』です。
例えば、『眠りに落ちた』という部分まで書き上げ、長い休憩を挟んだか、あるいはその日の執筆を終えたとしましょう。そして執筆を再開したとき、その続きから書く訳です。
つまり作者からすれば『眠りに落ちた部分』と『目を覚ました部分』の間には順当に数時間という時が流れてしまっているので、違和感を認識できないのです。
この解決策は単純で、機械的かつ画一的な解決法であるなら『時間に空白が生じる場合は、(ほとんど)常に場面転換を利用すること』でしょう。例えば、
*
「おやすみ」
そう呟いて、俺は隣で寝た彼女に背を向けて眠りに落ちた。
第二章 目覚めの時
気が付けば、目覚ましの音が聞こえる、
あっという間に眠りに落ちていたらしい。
「おはよう」
*
みたいな手法です。今のような章変えや『*』を挟んだ場面転換はストーリーの流れ上は入れづらくとも、一行か二行ほど空白の行を入れるだけでも十分ですね。
そもそも場面転換は時間の変化、場所の変化、視点の変化、ストーリーの流れの変化、あるいはそれに準ずるもののいずれかがあるときに使用するものですので、基本的にこれでクリアできます。というより、これ以外の手法で違和感を与えないやり方を私は知りません。
執筆作業は出来る限り、こういった一つの場面の区切りまでやってしまってから中断を入れた方が、感覚のズレは防げると思います。途中で休憩したり日をまたぐ場合は、次に書き始めるときに前に書いた部分をちゃんと読むように心がけましょう。
ここで、身に覚えのある方の中では反論したい人がいるかと思います。つまり『時間がめまぐるしく流れるのを描きたいんだ!』と言う方ですね。
具体例を出してみると、例えば無人島で遭難してしばらく経ち、食料もなくなって出来ることもない主人公たちが徐々に希望を失っていく、などですかね。
*
遭難したのだと分かった俺は、しかし希望は失っていなかった。今の社会なら、遭難くらいすぐに見つけてくれるさ。
そんな一日目。必死になって助けを求めてみた。成果はない。
あっという間に二日目になったが、腹が減って仕方ない。食料を求めて島を歩き回ってどうにかギリギリ飢えはしのげそうなものを見つけられた。
そんな中で訪れた三日目。とうとう、泣き叫ぶ者が出始めていた。けれど俺にはどうすることも出来ない。ただ外からの救助を待つしかないのだ。
……(中略)
もう一週間が過ぎようとしているが、どこにも希望はない。
このまま俺たちは死んでいくのだろうか……。
*
みたいな感じでしょうか。
これはこれで場合によっては時間の流れに違和感を抱かないかもしれませんが、多くの場合は違和感を抱くと思われます。少なくとも『私は素人だ』『私は素人かも……』という自覚のある私のような人がやれば、ほぼ確実に違和感が出ていると思っていいかと。
しかしこれは先程のように場面転換を利用するのは難しいです。一行ごとに二行の空白が来ると言うのは、アリな場合も無きにしも非ずですが、汎用的ではありません。
そこで、こんな方法があります。
*
遭難したのだと分かった俺は、しかし希望は失っていなかった。今の社会なら、遭難くらいすぐに見つけてくれると、そんな馬鹿みたいな希望に取りつかれていたのだ。
一日目は必死になって助けを求めてみたが、成果は得られなかった。
二日目は食料を求めて島を歩き回ってどうにか食料を得た。
三日目は、とうとう絶望から泣き叫ぶ者が出始めていた。
もう一週間が過ぎようとしているが、どこにも希望はない。
このまま俺たちは死んでいくのだろうか……。
*
違いは分かりますかね? 修正版は、全文『遭難した一週間後』からの視点です。修正前のように十行あるかないかという場面で何日も経過するよりも、このように時間の流れを一歩先においてそこから回想する、という形にした方が読者の戸惑いはなくなります。
回想は読者が戸惑うからタブー、と様々な小説の書き方講座に書いてありますが、これはむしろ回想にした方がいい場面でしょう。そもそも個人的には回想自体タブーではないですが。
さて、今上げた時間のズレはほんの一例です。というより、時間のズレはもう少し曖昧で、例にあげにくい場合がほとんどです。ですので、出来れば書きながら、それが出来なくても完成原稿を体感時間のズレに注視して読み返してみてください。違和感を覚えたなら、自分で分析して修正することが大事です。何故違和感があるのか、どこで体感時間がずれていたのか、という思考に至れば原因の発見は早いかと思います。
では、この時間のズレやその原因を知るとどんなことが出来るのか。『素人っぽさを減らす』という趣旨から外れる、少し上級テクニックの存在を紹介します。えぇ、『存在の紹介』しかできません。だって私は素人だもの。
良く聞きませんか? あるいは、経験もあるのでは? 『気が付いたらもう半分も読んでた!』とか『こんなに読んだのにまだ二〇ページ!?』とか、そういう小説の感想。
実はこれ、単純にその話が面白いと言うだけでなく『時間のズレ』を利用することで、狙って再現できたりします。例えば『シリアスな場面は読者の体感時間が遅くなる』ということを利用すれば、あえてシリアスな場面を多く用いることで『こんなに読んだのにまだ二〇ページ!?』現象は引き起こせます。逆にコミカルな場面が多ければ『気が付いたらもう半分も呼んでた!』となります。
もちろん、これ以外にも時間をずらす方法はあります。確実に読ませる説明文だとか、コミカルだけれどじっくり読ませるだとか、それこそ無限にあるのでそれを身につけていくことこそがプロへの道かもしれません。そもそも面白ければ、小手先に頼らずともこの現象は勝手に起きますが……。
この『様々な時間』について知っておくことで、『素人っぽさを減らす』ことが出来る上に『ちょっと高等テクニック』にまで応用が利いてしまうのです。この技法――というか考え方が読んで下さった皆さんの小説に少しでも活かされるのであれば幸いです。
ではでは、今回はこの辺で! そろそろ本格的にネタ切れになりつつありますが、次回があればその時にお会いしましょう。それでは、さようなら!