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「あ、おはようございます」

 朝起きてキッチンに向かったクリフォードは、珍しく先に起きてケトルで湯を沸かしていたアーシュレイの顔を見るなり、思わずギョッとして息を呑む。

「ど、どうしたんだ、アッシュ?」

 色白の少女のような面立ちの、その大きな目の周りが両方とも真っ赤に腫れている。アーシュレイはクリフォードの驚いている理由に気付くと、恥ずかしそうに目元を隠した。

「なんか、朝起きたら腫れてて……泣き腫らしたみたいで恥ずかしいですよね」

 その言葉にクリフォードは再びギョッとする。

(もしかして……泣いてた?)

 あの後、クラウンはずっと部屋から出て来なかった。てっきりのんびり好きなことでもしているのだろうと思っていたクリフォードは、しまった、と胸中で呟く。

「クレイとは何年組んでたんだ……?」

 尋ねると、突然問われたアーシュレイは意味を問うように首を傾げながら、五年です、と答えた。

「彼とは一番長かったから……」

 その瞳が少しだけ切なそうに揺れるのを見ながら、クリフォードは己を罵る。

(俺はバカだ……!)

 なぜ気付かなかったのか。相棒を亡くしたのはアーシュレイだけではない、クラウンだって同じなのだ。むしろ、夜しか活動出来ないクラウンにとって、相棒の存在はアーシュレイ以上に大きかったかもしれない。五年も付き合っていれば、クラウンの心に別の感情が生まれたとしても不思議ではなかった。

 『昼はああして笑顔でいるが、夜になると独りで泣いているのだろう。毎日のように泣き腫らした目をして来とる』

 レイノルズの言葉を思い出し、クリフォードは己の鈍感さを悔やむ。

(違う……泣いていたのはクラウンだったんだ……!)

 無責任な言葉でクラウンを傷付けてしまったことに気付き、クリフォードは絶句して言葉を失う。

「クラウン……」

 思わずその名を呟くと、アーシュレイがハッと顔をあげて、そっとクリフォードに歩み寄った。

「クラウン……それが『もう一人の僕』の名前なんですね?」

「え……?」

 クリフォードはアーシュレイの言葉に驚いて顔を上げる。その視線の先で、アーシュレイの黒曜石のように澄んだ瞳がまっすぐに自分を映した。


「僕が『もう一人の僕』の存在に気付いたのは、クレイとコンビを組んでからです」

 アーシュレイはそう言うと、今までの経緯を話す。

「最初の頃は、自分は夢遊病なんだと思っていました。寝ている間に水を飲んだり、トイレに行ったりしているのだろうと。でも、クレイと暮らすようになってから、クレイが何か隠してることに気付いたんです」

「隠してる?」

 クリフォードはアーシュレイの言葉に問い返す。

「はい。クレイはもう一人の僕のことを知っていて、それを隠してたんです」

「いつそれを……」

 尋ねると、アーシュレイは少し考えてから答えた。

「クレイと暮らすようになって、半年程した頃です。問い質すと、クレイはようやく僕が二重人格者だということを教えてくれました。もう一人の僕は我侭で自分勝手で猫みたいに気紛れな奴だと。たぶん、クレイはその頃からもう一人の僕に特別な感情を持っていたのだと思います」

「特別な感情?」

 尋ねると、アーシュレイがコクリと頷く。

「気付くと、いつも柔らかな眼差しで見詰められていましたから……」

 それはアーシュレイのことが好きだったのではないかと思って問うと、きっぱりと首を横に振る。

「僕も最初はそう思いましたけれど、すぐに違うことに気付きました。目が合うと、いつもクレイはハッとしたように瞬きしてから曖昧に笑ったので……」

 『そうか、こいつは違うんだっけ……』

 そんな寂しそうな笑みを、アーシュレイはどんな思いで見ていたのだろうか。

「まあ、僕としては、僕が二重人格者だとわかっても気味悪がらずに相棒でいてくれることだけで嬉しいので、どちらの僕を好きでも別に良かったんですけど……」

 アーシュレイはそう言うと、ただ、と言って続ける。

「もしかしたらクレイは僕よりも、もう一人の僕にずっと傍にいて欲しいのかもしれないと思うと、罪悪感のような申し訳ない気持ちになってしまって……」

 尻すぼみになる声音に、クリフォードは、何をバカな、と返す。

「クレイは命懸けでお前を助けに行ったんだろ?」

 言ってから、しかしすぐにハッと気付く。

 『クレイはボクとの約束より、アーシュレイを選んだんだ……』

(そうか……)

 そしてクラウンは、クレイは自分ではなくアーシュレイのことが好きなのだと思ったに違いない。そして、傷付いたのだ。たぶん初めてだったのであろう恋と、大切な者を同時に失って。そして、クラウンはまだその場所から脱け出せずにいる。

「せめて、クレイがどっちを好きだったのかわかればいいんだけどな」

 思わず愚痴をこぼすと、アーシュレイが、それは間違いありません、ときっぱり答える。

「クレイが撃たれた時、まだ彼には意識がありました」

「え?」

「でも、出血のショックで意識が混濁していて……」

 アーシュレイはそう言うと、その時のことを思い出したのか、少しだけ辛そうに顔を歪める。

「『クラウン』って……僕に向かって『クラウン』って呼んだんです」

 『クラウン……無事か、クラウン……』

「……!」

 アーシュレイの言葉にクリフォードは思わず息を呑む。

「その時は記憶が混乱しているのだろうと思っていたのですが、さっきクリフォードさんがクラウンの名前を呟いた時に全ての符号が一致しました。クレイが呼んでいたのは僕ではなくて、もう一人の僕だったんだって」

「そうか……」

 図らずもクラウンの存在を明かしてしまったクリフォードは、自分の失言に思わず苦く口元を歪める。しかし、二重人格のことをバラしたのはクレイなのだから、任務違反は半々だろう。すると、その顔をジッと見上げていたアーシュレイが静かな声音で尋ねた。

「クリフォードさん。もう一人の僕に関することで、まだ隠していることがあったら教えてくださいませんか」

 澄んだ瞳に真っすぐ見詰められて、クリフォードは一瞬言葉に迷う。

「クラウンの存在は極秘扱いになっている……たぶん、マーク・ヴァレンチカと署長しか知らないだろう」

「署長さんも知ってたんですね……」

 アーシュレイの落胆した声音に、クリフォードは腹を決めて、ああ、と答えた。

「君は知らないかも知れないが、君は見たもの聞いたもの全てを一本の録画フィルムのように脳内に記憶しておく能力を持っている。そして、クラウンはその記憶の中から目的のものを自由に探し出して再生させる能力を持っていた。マーク・ヴァレンチカはその能力を利用して、クラウンに捜査の協力をさせてたんだ」

「何でマークが?」

 クリフォードの説明に、アーシュレイが不審げに眉を寄せる。

「コンビを組んでいた頃のことは知らないが、ここへ異動して来た時にクラウンの方から署長を通してマーク・ヴァレンチカ……つまり中央本部に交渉したらしい。捜査に協力する代わりにアーシュレイをどこにも異動させるな、そう言ってな」

「何でそんなことを?」

 アーシュレイが再び不審げに問う。クリフォードはその顔を見詰めながら口を開いた。

「これは俺の想像なんだけどな……」

 そしてそう前置きすると、言葉を選びながら続ける。

「クラウンはアッシュに『居場所』を与えたかったんじゃないかな」

「え?」

 クリフォードの言葉に、アーシュレイが驚いたように目を見開く。

「安心出来る家と、信頼できる相棒と、気の置けない仲間を作ってあげたかったんじゃないかと思うんだ、俺は」

 一年毎の異動では、仲間と信頼関係を築くことすら難しかったに違いない。だからクラウンは、アーシュレイが気に入った、この『シケた町』にアーシュレイを永住させてやろうと思ったのだろう。クリフォードはそう言うと、それに、と言って続ける。

「クラウンもここにずっといたかったんじゃないかな。クレイの相棒としてさ」

 パームシティはいい町だ。まだここに来て数日だが、住民は皆好意的だし、署内の人間関係もいい。

「署長が俺やクレイに、アーシュレイには言うなと口止めしたのも、それによってアーシュレイが傷付くのが忍びなかったからじゃないかと思う。クレイもそれがわかっていたから言わなかったんだろう。決してお前を騙そうと思ってたわけじゃない」

 その証拠に、署長は毎日のようにアーシュレイが目を泣き腫らしているのを見て心配していた。

「はい」

 アーシュレイはクリフォードの言葉にコクンと頷くと、嬉しそうに見上げて微笑んだ。

「ありがとうございます、クリフォードさん。後は、クラウンが一日も早く立ち直ってくれるといいんですけど……」

 どこか吹っ切れたように微笑むアーシュレイを見て、クリフォードは少しだけ驚く。アーシュレイは穏やかでおっとりして見えるが、もしかしたらとても打たれ強いのかもしれない。その反対に、クラウンは気が強いように見えて、誰よりも繊細で寂しがり屋なのではないだろうか。そこまで考えて、クリフォードはようやく気付く。

 『昼はああして笑顔でいるが、夜になると独りで泣いているのだろう』

 レイノルズはクラウンの性格もちゃんと理解していて、心配していたのだ。

「この目……今でもクラウンは毎晩泣いているのでしょう?」

 アーシュレイが自分の片目を手の平で覆いながらクリフォードに尋ねる。クリフォードは少し考えてから、言葉を選びながら答えた。

「たぶんクラウンは、クレイがアッシュの為に命を投げ出したことにショックを受けたんだ。だから、クレイが好きだったのは自分だとわかれば少しは救われるかもしれないが……」

 すると、アーシュレイが驚いたように目を瞬かせながら『投げ出した?』と問い返す。

「確かにクレイは僕を探しに来て犯人に撃たれましたが、あれは不可抗力で避けられないものでした。犯人は直後に僕が撃ち落としましたし、クレイの救命処置も施しました。出来るだけのことはしたと思っています」

 そしてそう言うと、そうか、と呟く。

「きっとクラウンは『死の瞬間』しか見ていないんですね」

 確かにクラウンは必要な記憶だけを抜き出して見る。クリフォードが聞かされたのも、クレイが撃たれた時に聞こえた音だけだった。その先の光景をクラウンは見ることが出来なかったのだろう。辛過ぎて。

「撃たれた後も、クレイにはまだ意識があったと言いましたよね。その時は意識が混濁しているのだとばかり思っていたんですけど……」

 アーシュレイはそう言うと、何かを思い出したようにコクンと一つ頷き、クリフォードを見上げる。

「あれはきっと、クラウンへの言葉だったんです。クリフォードさん、クラウンに伝えて貰えませんか。その時の記憶をもう一度見て欲しいって」

「記憶を?」

 クレイが息を引き取る瞬間の記憶……それはきっとクラウンにとっては何よりも見たくない映像に違いない。すると、躊躇うクリフォードにアーシュレイがきっぱりと言った。

「それがどんなに辛い記憶でも、クラウンは聞かなければいけない。彼の『相棒』の最期の言葉なんですから」

 アーシュレイの真剣な声音に、クリフォードは、わかった、と答えて頷く。それがどんなに辛いことでも、それを乗り越えなければクラウンは先に進めない。そしてクレイも、クラウンが立ち直らなければ安心して逝けないに違いなかった。


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