1
アメリカの辺境にある長閑な観光都市『パームシティ』。その中心部にある警察署内の廊下を、職員用の裏口からまっすぐ事務官のいる窓口ロビーの方へと歩いていたクリフォードは、途中の部屋から聞こえて来るギャアギャアいう子供の泣き声に思わず顔をしかめると、人差し指で耳を塞いだ。
茶色の髪に同色の瞳。百九十センチ近い長身で細身だが、鍛えているのでそれほどヒョロッとしては見えない。白のTシャツに黒の皮ジャン、膝の擦り切れたGパンに汚れたスニーカーという姿はどこにでもいる二十代後半の青年に見えたが、纏っている空気は毎日命を張っている男のそれだった。
「何の騒ぎだ?」
戸口から顔だけ出して部屋の中を覗くと、交通課らしき婦警の前で数人の子供たちが顔中涙と鼻水だらけにしてワンワン泣いている。どの子も五、六歳くらいで、身なりから見て捨て子や家出人ではなく、親とはぐれた子供のようだった。
「どうしたの?」
そこへ、スイとクリフォードの脇をすり抜けて、一人の青年が部屋の中へと入って行く。微かに漂う甘い残り香と優しげな声音にドキリとしながら目で追うと、紺色のポリスジャンパーを着た青年が婦警の後ろに歩み寄った。
後ろ姿だけなので顔は見えないが、小柄のほっそりとした体型で、ストレートの黒髪を背中の中ほどまで垂らしている。クリフォードが昨日まで配属されていた殺人課には絶対にいないタイプなので、保安課か交通課かもしれない。
「あ、アッシュ。いいところに来たわ。この子たち迷子なんだけど、泣き止まなくて」
青年の姿を見とめて、婦警が溜息混じりに助けを求める。
「いいよ。代わるよ」
青年は穏やかな声音でそう言うと、ヒョイと子供たちの前にしゃがみ込んだ。
「こんにちは」
綺麗な英語で挨拶すると、途端に子供たちがピタリと泣き止む。驚いたように青年を見詰める十個の瞳が、見る見るキラキラと輝いた。
「天使さまッ?」
勝気そうな金色のクルクル巻き毛の少女が、一等先に口火を切る。
「ちげーよ! 天使さまなら金髪だろッ?」
それへ、きかん坊そうな赤毛の少年が反論し、
「でも、とっても綺麗だよ?」
と、大人しそうな銀色の髪の少年がうっとりと言った。
「お姉さん、年いくつ? カレシいるの?」
中でも一番背の高い少年が身を乗り出しながら興味深々で尋ね、そのマセた質問に子供たちが一斉にキャアキャアと笑いながら騒ぎ出す。
「天使じゃないよ。僕は男だからカレシもいないしね」
アッシュと呼ばれた青年は子供たちの質問に丁寧に答えると、さあさあ、と両手を広げて子供たちをテーブルの方へと追い立てた。
「とりあえず椅子に座ろうか。話はそれからね。はい、ジュースが欲しい子は?」
アッシュの問い掛けに、子供たちが一斉に「はいはい!」と大声で言いながら勢いよく手を上げて、大急ぎでテーブルの周りの椅子に腰掛ける。
「みんなイイ子だねえ」
アッシュは子供たちの頭を撫でながら自分も椅子に腰掛けると、迷子届の書類を手際よくテーブルの上に広げた。
「お見事」
あっという間に子供たちを手懐けて名前や連絡先を聞き始めた青年の姿に、クリフォードは思わず小声で素直な賛辞を述べる。すると、先程の婦警がこちらに歩み寄って来て、戸口で覗き込んでいるクリフォードを不審げに見上げた。キリッとした目がチャーミングなブルーネットの美人だ。
「あなた、どちら様?」
婦警はチロリと斜め目線でクリフォードを見上げて訝しげに質問したが、すぐに、アッ、と叫んで目を丸くする。
「あなたもしかして、クリフォード・ディランッ?」
「まあ……」
いきなりフルネームで呼ばれたクリフォードは、婦警の言葉に苦笑混じりに頷くと、今来た廊下を振り返る。
「とりあえず署長に挨拶しろって言われて来たんだけど、署長室はどこかな」
尋ねると、途端に婦警が目を丸くして、『まあ!』と声高に応えた。
「何言ってるの、クリフォード。あなたは署長よりも、まずはアッシュよ。アッシュ!」
婦警は大真面目な顔でそう言うと、クリフォードの腕をガシッと掴んでグイグイと部屋の中に引きずり込む。
「あ、おいッ?」
すると、その騒ぎを聞き付けて、子供たちから調書を取っていた黒髪の青年が振り向いた。
「誰?」
白磁の肌に黒曜石の瞳。アジア系のそれほど高くない鼻に、少女のような赤い唇。顎の小さな卵型の顔はモデルのように小さく、サラリと背中に流れる黒髪が東洋の姫君のような印象を与えた。
「うわ……すっげーシャン」
何故、神はこんな無用な美を男などに与えたのだろうか。
人より見目の良い男は、時に腐った好色家の餌食にされる。二十歳を過ぎたばかりに見えるこの青年も、きっと幼い頃から危険な目に遭って来たに違いない。ちょっと気の毒に思いながら、婦警に引っ立てられるまま青年の前に立つと、アッシュと呼ばれた青年がクリフォードを見上げてニッコリと微笑んだ。
「はじめまして。アーシュレイ・ウィズリーです。ええと?」
「クリフォード・ディランよ、アッシュ。あなたの新しいパートナーの」
婦警がニコニコ顔で紹介し、クリフォードはその言葉に驚いて目を見開く。
(じゃあ、彼が……?)
しかし、アーシュレイはその言葉に一瞬驚いたように目を見開くと、すぐにキラキラ輝いていた黒瞳を曇らせた。
「……?」
どうしたのかと見詰めると、アーシュレイが何か言いたげに小さく唇を開いてから瞳を逸らす。
「僕は……パートナーなんて要らないって言ったのに……」
「は?」
わざわざ『彼の為』に『急きょ』転任させられて来たクリフォードは、いきなり本人の口から要らないと言われて眉をしかめる。
「今までにも何度か異動はあったが、着任早々、お前は要らない、と言われたのは初めてだ」
皮肉を込めて言うと、アーシュレイがハッと顔を上げて、慌てて首を横に振った。
「すみません、ディランさん。そういうつもりで言ったんじゃなくて……」
「そうよ、クリフォード! アッシュはそんな子じゃないわ!」
アーシュレイの謝罪の言葉に、美人婦警が被せるように声を荒げ、彼を守るようにズイと二人の間に体を割り込ませる。途端に迷子の子供たちまでが『そうだ、そうだ!』と騒ぎ始め、狭い取り調べ室内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「いったい何の騒ぎだ」
そこへ、この騒ぎを聞き付けたらしい誰かが部屋に入って来る。
「あ、署長!」
婦警の言葉に振り返ると、もうすぐ定年間近と思われる頭の禿げ上がった男が渋い顔をして立っていた。
「ここは託児所か何かか?」
そして、呆れたようにそう言うと、長身のクリフォードを見上げてフンと不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「クリフォード・ディラン。まずはワシのところへ来るようにと伝えた筈だが?」
署長の言葉にクリフォードは、そのつもりだったんですけどね、と返してチラと婦警を見る。途端に美人婦警はプッと頬を膨らませると、プイとそっぽを向いた。
「キャサリン。給湯室でヤカンがカンカンに怒っとったぞ」
溜息混じりの署長の言葉に、途端に婦警がワオと叫んで大慌てで部屋を出て行く。
「なんだ、迷子の調書を取っとるのか?」
署長は一瞬前まで苦虫を噛み潰したようだった顔を好々爺のように崩すと、アーシュレイの手元を覗き込んで尋ねた。
「はい」
アーシュレイは頷くと、なぜか申し訳無さそうに苦笑して、すみません、と謝る。
「キャシーが大変そうだったものですから、つい……」
その言葉に、署長がまるで孫にでも向けるような笑みで、あー、いい、いい、と柔和に返す。それから再び鬼のような顔に戻ってクリフォードを振り返ると、その長身を不機嫌そうにジロリと見上げた。
「お前はこっちだ。付いて来い」
顎をしゃくりながらの言葉に、クリフォードは、はい、と答えて後に続く。どうやらこの署長にとって、アーシュレイは特別な存在らしい。クリフォードは再びチラと青年を振り返ると、取調室を後にした。
署長室は五階建て庁舎の最上階にあった。ドアを開けると秘書室があり、その奥に署長室がある。大きなデスクの上には『警察署長』と書かれた大きな卓上プレートと、この男には似合わない赤いバラの花が一輪、白い一輪挿しと共に置かれていた。
「署長のレイノルズだ。まずはよく来た、クリフォード。君を歓迎しよう」
「はぁ……」
署長のニコリともしない歓迎の言葉に、クリフォードは気の抜けた返事を返す。
「前の署長からは何か聞いているかね?」
クリフォードが以前勤務していた街は、国内でも最も犯罪の多い都市だった。その殺人課でバリバリ働いていた彼にいきなり異動を告げたのは、彼が十年間世話になった署長である。
『イヤなら断ってもいいんだぞ……』
しかし、クリフォードの異動は中央本部からの命令である。中央本部は国内にある全てのポリスを統括している機関で、一介の署長がその命令を断ることなど出来ない。
『いいですよ。行きます』
自分が断れば、署長もタダでは済むまい。追い掛けている案件を放り出して行くのは多少心残りだったが、署長には新米の頃から父親のように良くして貰った恩があった。
「要人の警護……と聞いております」
レイノルズの言葉に、クリフォードは先程の青年の顔を思い浮かべながら答える。
「アーシュレイ・ウィズリー、それが要人の名前だ。そして、今日から君のパートナーになる」
「お言葉ですが……」
クリフォードはレイノルズの言葉に戸惑いながら尋ねる。
「警護の対象が『警察官』というのはどういうことですか」
少なくとも同僚を守る為に転任させられたなんて話は聞いたことがない。すると、署長はジッとクリフォードの顔を見詰めてからスイと視線を外し、デスクの引き出しを開けた。
「これが君の身分証と警官バッジと拳銃だ。君には今日からパームシティポリスの一員として働いて貰うことになる。最重要任務は『アーシュレイ・ウィズリーを守ること』、そして『絶対に死なないこと』だ」
何か質問は、という問い掛けに、クリフォードは眉を寄せて目の前の男を見返す。
「絶対に死なないこと?」
思わず復唱して尋ねると、レイノルズは、そうだ、と答えて至極真面目な顔で頷いた。
「先週、アーシュレイのパートナーが殉職した。昼はああして笑顔でいるが、夜になると独りで泣いておるのだろう。毎日のように泣き腫らした目をして来とる。だからお前は死んではいかん。これは絶対命令だ」
「はぁ……」
誰も死にたくて仕事をしているわけではないが、警官という職種が『命を張ってナンボ』の商売なのは事実だ。実際、殺人課にいた頃はいつだって殉職覚悟で仕事をしていたし、特定のステディを作ることもなかった。泣かせるのがわかっているのに、恋人を作ったり結婚したりということが考えられなかったからだ。
「わかりました。ところで、なぜアーシュレイが要人なのかを教えて頂いても宜しいでしょうか」
お偉いさんの息子とか親戚とか言われたら勤務拒否しようかと思いながら尋ねると、署長が再びジッと自分の顔を見詰める。またはぐらかされるのだろうかと思ったが、しかし今度は答えが返って来た。
「実は、君が本当に守るのはアーシュレイじゃない。アーシュレイの『脳』だ」
「脳?」
署長の言葉に、クリフォードは訝しげに眉を寄せる。
「そうだ。脳だ。名前はクラウン。クラウン・ウィズリー」
「脳に名前があるんですか」
冗談のつもりで尋ねると、署長はジッとクリフォードを見詰めてからおもむろに口を開いた。
「クラウンはアーシュレイが眠った時にだけ現れるもう一つの人格だ。そして、そのクラウンだけが彼の優れた脳をフル活用させることが出来る」
「言っている意味がよくわかりませんが……」
話の内容が見えずに首を傾げると、それを見た署長が溜息混じりに、すぐにわかる、と答えた。
「とにかく、アーシュレイはクラウンの存在を知らない。彼の存在はトップシークレットだから、絶対にアーシュレイには漏らすんじゃないぞ」
「はぁ……」
何だかよくわからないが、アーシュレイは二重人格者で、しかも本人はそれを知らないらしい。
「わかりました」
クリフォードはアーシュレイの穏やかな顔を思い浮かべながら頷く。少なくとも、さっき見た限りでは、それほど扱い難い人間のようには見えなかった。
「で、俺の宿舎はどこですか?」
荷物はまだ車の中なので尋ねると、署長が眉をヒョイと上げて顎をしゃくる。
「住まいはアーシュレイと一緒だ。彼と一緒に暮らすことも君の任務の一つに入っとる」
「わかりました」
任務が彼の警護なら、それも致し方ないだろう。ひと通り説明は済んだと思い、拳銃をホルスターに収めて退室しようとすると、その背に再び署長が、それと、と言って声を掛けた。
「いくら美人でもアーシュレイには手を出すな。それも……」
「俺の任務の一つですね」
署長の言葉を遮るように、クリフォードは苦笑混じりに言う。
「そうだ」
署長は大真面目な顔で頷くと、もう行っていいぞ、と言って、シッシッと野良犬でも追い払うような仕草でクリフォードを部屋から追い出した。
「ここが僕たちの家です、ディランさん」
片側一車線のゆったりとした道路に、街路樹の生い茂った広い遊歩道。アーシュレイに案内されて着いた場所は、警察から車で三十分程のところにある高級住宅地のど真ん中だった。
『ど真ん中』と言っても、それぞれの家には広い庭園やプールがあり、隣家が接している感は全く無い。どの家にも頑丈なフェンスや門があり、あちこちに防犯カメラが設置されていてセキュリティも完璧だった。
「クリフォードでいい。それにしても凄い豪邸だな」
正門前で車を停めて、感心というよりは呆れて言うと、アーシュレイが困ったように苦笑する。
「普通のアパートでいいって言ったんですけど、一軒家じゃなきゃダメだって署長さんが……」
アーシュレイはそう言うと、正門のリモコンを操作する。鉄格子のような正門は音もなく中央から左右にスライドすると、車一台が通れる分だけ開いて止まった。
「まあ、そうだろうな」
確かに、誰が住んでいるかわからないようなアパートに要人を住まわせるわけにはいくまい。クリフォードは車を発進させると、大きな門の隙間から滑り込むようにして敷地内に入る。頑丈な門はクリフォードの車が通り過ぎると、すぐに再び音も無く閉まった。
「二階に空き部屋がたくさんありますので、好きな部屋を使ってください。僕はその他の部屋を不定期で転々としますので」
「転々と?」
意味を問うと、アーシュレイが再び困ったように苦笑する。
「これも署長さんの指示なんです。僕は決まった部屋にいちゃいけないみたいで……」
「……そうか」
確かに寝室が決まっていると、夜中に襲撃を受けた時にアウトである。いつも転々としていれば、賊が寝室を探している間に逃げ出したり反撃する為の時間を稼ぐことが出来る。
「家にいても油断は出来ないってわけか……」
思わず呟くと、クリフォードの顔を見上げていたアーシュレイが何か言いたげに小首を傾げた。
「なんだ?」
尋ねると、アーシュレイの頬が微かに色付く。
「ゆ、夕食はパスタでいいですか? ディ、ディラン……さん?」
遠慮がちに名前を呼ばれて、クリフォードは笑う。
「クリフォードでいい。俺もアーシュレイと呼ばせてもらうから」
言ってから、すぐに思い出す。
「それともアッシュの方がいいか? キャサリンがそう呼んでた」
昼間の光景を思い出して言うと、アーシュレイはまるで花が綻ぶようにニッコリと微笑んだ。
「はい……クリフォードさん」
はにかんだような微笑みに、クリフォードもつられて笑顔を返す。そして、さっそく車のトランクに積んである荷物を運び込むべく、ガレージへと向かった。
それから小一時間程した頃だろうか。階下で突然響き渡った、ガタン、ガシャガシャン、という大きな物音に顔を上げたクリフォードは、荷解きの手を止めて何事かと立ち上がった。
「どうしたッ?」
大急ぎで階下に駈け下りて中を覗くと、広いキッチンの流しの前でアーシュレイが床にペタンと座り込んでいる。彼の両脇には大きな鍋やザルやトングが転がり、床が水浸しになっていた。
「大丈夫か?」
慌ててキッチンに入ったクリフォードは、周囲の惨状を見てハッと息を呑む。確かアーシュレイは今夜はパスタにすると言っていた。
「見せてみろ」
アーシュレイが体の後ろに隠した腕を、グイと掴んで引き寄せて見ると、ほっそりとした手首から先が真っ赤になっている。クリフォードは慌ててアーシュレイの細い腰を抱えて立ち上がらせると、その手を蛇口の下に突き出して水を出した。
「ヤケドはすぐに冷やさなきゃダメだ。知らないのか?」
冷たい水が勢いよく流れ出し、火傷で赤くなった手に当たって落ちる。思わず眉を寄せて問うと、すみません、とアーシュレイが小さく答えた。そういえば彼が火傷した手を咄嗟に隠したのを思い出し、クリフォードは再び眉を寄せて、すぐ近くにある小さな顔を見下ろす。
「そういえば、さっきはなんで隠したんだ?」
疑問に思って問うと、アーシュレイの瞳が惑うように揺れた。
「すみません……」
そして、再び小声で謝ると、更に小さな声で続けた。
「怒られると思って……」
「は?」
クリフォードは意味がわからずに首を捻る。
「怒る? 何でだ?」
アーシュレイの火傷は事故であり、わざとしたわけではない。自分が怒る理由をあれこれ考えたクリフォードは、流しに落ちている二人分のパスタを見て気付いた。
「料理はいつも、前の相棒が?」
もしかしてと思って問うと、アーシュレイが自分の手を見詰めたままコクンと頷く。
「そうか」
クリフォードは得心して頷くと、心配するな、と言って言葉を継いだ。
「幸い俺も料理は得意だ。明日からたっぷり太らせてやるからな」
わざと明るい口調で言うと、アーシュレイが今にも消え入りそうな声で、すみません、と謝る。
「僕って本当に何も出来なくて……」
シュンとした声音にクリフォードは思わず目を見開くと、柔らかく微笑んだ。
「誰だって不得手なことはあるさ、アッシュ。お前はお前にしか出来ないことをすればいい」
昼間の悪ガキの手懐け方はたいしたものだったぞ、と言って褒めると、その言葉にアーシュレイがようやく笑みを浮かべる。
「子どもは好きなんです。みんな天使だから」
アーシュレイの言葉に、昼間のこまっしゃくれたガキ共の顔を思い浮かべたクリフォードは、思わずプッと吹き出すと肩を震わせて笑った。
「あの悪ガキ共が天使か。お前のジョークはイカしてるな、アッシュ」
最高だ、と感心して言うと、アーシュレイが顔を赤くしてクリフォードを見上げる。
「最高……ですか」
そして、少し恥ずかしそうにそう言うと、嬉しそうに目を細めて笑った。
作り直したパスタで遅い夕食を摂り、食後のコーヒーを淹れてやると、アーシュレイはそれを嬉しそうに飲んでから自室に引き揚げて行った。クリフォードはキッチンの後片付けを済ませると、自室に戻って荷解きの続きを始める。アーシュレイはどうやら今夜はクリフォードの隣室で眠ることにしたらしい。特に耳を澄ませているわけではないが、先程からアーシュレイの使うシャワーの音が微かにサーと聞こえていた。
この家は全ての部屋が客室を想定して作られているらしく、かなり広いワンルームにはバスルームや洗面所、簡易キッチンまで付いている。まるでリゾートホテルのような造りは極めて快適そうだが、狭いアパートに慣れ親しんだクリフォードにとっては若干広過ぎるように感じる。
「落ち着かないって程ではないが……」
狭くて文句を言うのならともかく、広過ぎるなどと言ってはバチが当たる。自分一人で寝るにはこれまた広過ぎるキングサイズのベッドの端に腰掛けると、クリフォードは思わず溜息をついた。
(こんな広い家に独りでいたのか……)
アーシュレイの相棒は先週殉職したと署長は言っていた。
『みんながいる場所ではああして笑顔でいるが、家に帰って独りになると泣いておるのだろう。毎日のように泣き腫らした目をして来とる』
署長の言葉を思い出し、クリフォードは再び小さな溜息を洩らす。やがてシャワーの音が聞こえなくなり、再び静けさが辺りを覆った。