ある先輩との恋愛談
僕は水島奈菜をそれまで全く目に留めてもいなかったのだけれど、ふと教室ですれ違った際、彼女がとてもいい匂いを漂わせていることに気付いた。
彼女の髪からは桜の花びらにも似た優しい香りが漂ってきて、そうして鼻をひくつかせると、どこか恍惚とした感覚が襲ってきた。
そうして彼女は振り返り、くすりと悪戯っぽく微笑んだ。僕はその笑顔に胸を射抜かれ、心を惹き付けられるようになったのだ。
「それでは、嗅覚がきっかけだったということだね」
美咲先輩は机に腰を下ろして愉快そうな顔を浮かべ、言った。僕は溜息を吐き、そして言った。
「いや、嗅覚はきっかけで、恋に落ちた瞬間は視覚なんじゃないかと思いますよ」
「嗅覚だ」
先輩はそこに拘り、そっと箒を頭上に掲げ、魔法のステッキのようにくるくると回した。
「桜の花びらが出てきたのが、その証拠だ。恋は常に春、訪れるものだ。桜の花びらをイメージしたということが、初恋の兆しとなったんだよ」
そう言って美咲先輩は机から軽々しく飛び降り、そして黒板に近づき、チョークでそのプロセスを書きなぐった。
桜の花びら→突然の恍惚感→小悪魔な微笑み
美咲先輩は粉を飛び散らして勢い良く筆を振るい、そしてぽんと自分の胸に手を置いた。
「難しく考えてはいけないよ。それが恋の予兆であったことは明白だ」
僕はもう一度溜息を吐き、「拘ってるのは先輩の方じゃないですか」とつぶやいた。
「きっかけはどうだっていいんです。成就できるかどうかなんですよ」
僕がそう言うと、「できるとも」と彼女は大きくうなずいて、「小悪魔な微笑み」という箇所をチョークでトントンと叩いた。
「いいか、小悪魔の微笑みを浮かべた時点で、彼女は君の動揺に気付いていたということになる。それはつまり、アピールしていたということだよ」
僕は「あ、そうか!」と大声を上げた。
「しかし、この場合のアピールとは、君個人に限ったものではなく、男子全体に向けられたものだが」
僕は椅子から滑り落ち、そして今度こそ彼女のスカートの中を覗いてしまった。
「期待させないでくださいよ……」
「真実がどうであれ、私の恋愛の手引きがあれば怖いものなしだ」
美咲先輩はキリッと眉を逆立てて、自信満々といった様子で言った。