崖っぷち(2)
ジロー達の話
若干書き加え、修正しました。
試験開始2時間を切った。
……………
学食は静かだ。さっきまでここにいた根岸の奇妙な笑い声の余韻が残っていたが、三人は気にならなくなってきていた。
ジローと堤は黙々と最後のテスト勉強の追い込みをしている。必死に記憶に刻み込もうと暗記用紙を2人は凝視したり、ブツブツ文章を呟いたりしている。
そんな2人を尻目に山下は携帯電話をいじっていた。
「…………ふぅ~」
「…………」
「なあ!手伝おうか?」
山下が口を開く。
「……とりあえず静かにしててもらえる…」
ジローは暗記用紙から顔を上げ、言葉を発するとまた視線を用紙に戻した。
「…はい」
山下は黙った。
「……なあ~今月の生活費、お前ら、やばいんじゃないか?」
しばらくすると山下がまた口を開いた。生徒に頼られない先生ほど寂しいことはない。それを察したのか堤は答えた。
「確かになぁ、試験に落ちたら、追試で試験料1科目3000エンだろ~なあジロー!」
ジローは紙面に集中していて反応はない。凝視している。
「……まあ俺はおよそ1万円だ、たかが試験で生活費に大打撃だ~見てよコレ~」
堤は財布から『領収書』と書かれた紙を取り出すと山下にそれを渡した。払った9000円と言う文字と、今回、落第してしまった科目が書かれていた。
「かわいそうだけど落ちたのがわるいけどな~」
領収書、と書かれた紙を山下は受け取り、それをヒラヒラとさせて言った。
「……まあそれを言わないでよ、返せよ~それないと試験受けられないんだ」
堤は苦笑いを浮かべる。
「ジローは3000円か
ぁ」
山下は言う。
「ああ~」
ジローは生返事をした。紙面を見つめたままだ。おそらく集中して聞いていない。
「その集中力が羨ましい…」
堤はぼやいた。
「それだけの集中力があれば、人生楽しいだろうな~思いのままさ」
堤はジローを見ながら呟いた。その表情はどこか悲しげだ。
「…なにかあったのか?」山下が友人の変化にきづいたのか不安そうに訪ねた。
「俺はずっと彼女に集中してたつもりなんだけど、ソッポを向かれたらしい…」
堤はボソボソと言う。
「はい?……杏子のことか?」
山下は推測を口にした。
「そう~昔の彼氏らしい」堤は呟く。
「浮気?」
「…わからない、ヨリを戻すとかなんとか…」
「……」
食堂のクーラーの送風の音と遠くで食器が重なる音がした。
「やっぱり忘れられないものなのかなぁ~俺と付き合う前の杏子を俺は知らないわけだし…」
堤はうなだれた。お腹の肉が段々になる。
「……」
「一夫多妻を知ってるか?」
唐突にジローが口を開いた。
「はい?」山下が聞き返す。
「ああ、1人の男に何人も奥さんがいるって言うのだ」
堤は言った。
「1人の奥さんがいるのに愛人を何人も作る。徳川家康は子孫繁栄の目的のために何人も側室をおいた。子供ができなきゃ跡取りがいない…大奥だ!ハーレムだ!」
最後の言葉にチカラがこもる。
「ああ、単純に女好きだっただけじゃないのか?権力者にありがちな?一夫一妻の俺らには想像がつかないだろ…」
「まあそうなのかもな……でも、別の見方もある…エジプト王のラムセス二世を知ってるか?」
「いや世界史はちょっと…」
「ラムセス王もやっぱり子孫繁栄のためにやっぱり、一夫多妻制だった」
「ああやっぱりそうだろ」山下と堤が頷く。
「正室、側室、愛人、何人もいたらしい…子孫繁栄、それはあたり前だが……
それ以外に変わった理由があるんだよ」 ジローは話すのに夢中だ。
「ああ~」
2人はジローに圧倒される。
「それはな、1人の女性の出産の負担を減らすためらしい。出産は女性の体にかなりの負担をかける、それを軽減するためらしい。」
2人はポカンとしている。
「出産は女性にとって昔は今より遙かに危険だった。多分、男の俺らには一生わからないだろうな」
ジローは続けた。
「その負担を減らすためにそうしたと?」
「ただ愛人をつくることに対して意味のすりかえじゃないのか?」
「そんなことはない。だからいろんな人と付き合うのはよいことだ。」
ジローは誇らしげだ。いつの間にか暗記用紙がテーブルに投げ捨てられている。
「意味がわからない」
「最後の言葉は理解不能だ」
2人は首を傾げる。
「動物の性だ。でも俺はユウコ一筋だからそんなことしない」
「は?」
「動物と人間が違うのは心を占める割合が大きい。本能に従うか、心に正直か…自分次第だなぁ~」
「なんか堤の話から完全にジローの話にシフトしたな」
山下は呆れている。
「要は…杏子を信じてみてはどうですか?ってこと。思いやりをもってさ。もし自分のところに戻ってきたら、それでいいし、今まで通りチカラになってあげないとな。」
ジローはいった。堤と山下はジローの「要は…」という言い方が鼻にさわったが、スルーした。
「もし堤を選んだら、彼女が吹り切れるように、そして、寄り添ってあげるんだ」
ジローは続けた。
「…そういえばさ、なんで3000円払うんだ?」
ジローは言った。
「いや試験料だよ。払っただろ?領収書、試験のとき持ってくんだぜ。証明書になるんだ」
「えっ?なに?そんなの関係ないだろ。試験なんか何回でも自由に受けられる」
ジローは気楽だ。
「……お前、留年するぞ。おさらばだな」
「なに言ってんだよ~留年なんてさぁ~ハハハハハ八っ」
ジローは笑った。
「…さよなら」山下がジローの顔の前で手を振る素振りをした。
「一緒に卒業したかった」
堤は冷たく行った。
「ま、まじで?3000円のこと今知ったんだけど…り、留年か…試験資格なし?」
ジローは冷たい汗が出たのがわかった。いきなり銃口を頭に向けられたような、そんな感じだ。
「あと…試験まで15分だ」
携帯の時計を見て山下が言った。
「試験開始まで受付はやってる。支払いは大学の学生課だ。」
山下は続けた。
「食堂から学生課まで距離はあるけどな、まだ間に合うぞ!
」
堤が言った。
「くそ~、走るかな」
ジローは勉強道具を急いで自分のメッセンジャーバックに詰め込んだ。
「はやく!急げよ!」
山下の携帯が鳴った。新谷からだ。
ジローはそれを知ることなく学生課へ走り出した。
パタパタパタパタ
「サンダルか~急げよ!だいじょぶかなぁ……さて俺も人の心配ばかりしてられないな、試験会場に行くかな~」
堤が言った。
山下は新谷からの用件に顔がひきつった。
「マ、マジ?」
山下は聞き返した。
『と、とにかく大変なんですよ』
電話越しに新谷が言う。山下は電話の用件に、今日デートじゃなかったのか?と言いたくなった。
「どうした?」
山下の変化に堤は不安げに訪ねた。
「ああ、気にすんな早くテストに行けよ。大丈夫だ。彼女からだ」
山下はなるべく不安を与えないように笑顔を作った。
「そう?じゃあね」
堤は試験会場の教室へ食堂から出て行く。
その後ろ姿を見ながら、電話に耳を傾ける山下は、どうしたものかと考えた。大事なテスト、彼を追いつめるワケにもいくまい。今は何も伝えない方がいい、友人として精一杯の思いやりなのだろう、山下は自分に言い聞かせた。