崖っぷち(1)
学食でのジロー達
書き加え、修正版です
「…なあ?あと何分だ」
堤は、テストの暗記ようにこしらえたルーズリーフを眺めながら、椅子に身をまかせ、足をだらしなく大学の食堂の床にたらしていた。あきらかに出過ぎた腹が目立つ。
「まだあと3時間は余裕であるぞ、落ち着けよ」
テーブルを挟んで堤の反対側に座る山下は答えた。退屈そうだ。
「…あきらめようか」
山下の隣に座る高橋信次郎は遠くを見るようにいった。 大学の仲間からはジローと言われている。
「お前ら昨日から勉強、教えてやってんだろ。頑張ろうよ~」
山下が言った。
「いいよな~山下は~前期のテスト全部単位取れたんだろ~余裕だよなぁ」
堤は羨むように、山下に言った
「そうだ、余裕があるだろ、山下。俺わぁ~疲れたぞぉ」
ジローは投げやりに言った。
「うるさい!一夜漬けでなんとかしようとするお前らが悪い…2人とも今回の中間で必要なの何科目落としたんだ?行ってみろ」
「俺は1コだ」
ジローは答えた。
「…3つ」
堤はうなだれた。
「はぁ~ジローはともかく、堤は3つなんだろ。…でも昨日から見てるけど2人とも大丈夫そうだ」
山下は言った。
「出た出た~上から目線。頭がいいからなんだってんだ」
ジローが言った。
「そうだ、そうだ」
堤が加勢する。
「うるさいな!大学のテストなんかな、受かればいいんだ!
う・か・れ・ば!受かって進級すればいい!要領のいい奴が勝つんだよ!さっさと最後まで頭に詰めてろよ」
山下が言った。
「はいはい~」
2人は最後の詰めに入った。
朝の学生食堂は静かだ。今日は本来、講義が休みなので人はまばらだ。
この学生食堂は朝9時から開いている。メニューには、ソバに定食、丼モノ、おまけに朝飯定食もある。日曜日、祝日以外は、ほぼ毎日やっており、一人暮らしの学生や、朝早い教授など、様々な人が利用している。大学関係者の強い味方だ
ジロー達も先ほど納豆定食を平らげたあとだった。一日のエネルギーを学食で補給し、学食で勉強する。なかなか合理的だな、とジロー達はいつも思う。
勉強をするには、適度な静寂が学食には漂って、ある程度、人の気配もあり安心だ。
コツコツコツコツ…
ジャラジャラジャラ…
そんな朝の静寂に大きな足音と、何を引きずるような音が した。ジローは音に気づき、勉強道具から顔を上げた。
「うははははははっ、高橋だぁ~」
日焼けした黒い肌の男がジローに話しかけた。髪は長く、金色のメッシュがかかっている。赤い唇の口から舌を出した絵が書いてある黒いTシャツを着ている。さらにタイとな黒いジーンズを履き、大きめのブーツを履いて、ジーンズから下がるチェーンからジャラジャラと音を出しながらジロー達に近づいてくる。チェーンの音がジローには不快だった。
「なんだ?根岸。お前は再試ないだろ。何のようだ?」
ジローはいかに怪訝そうな顔をして応じた。
「うははははっ、ジローだぁ~おもしろっ!朝から、テニス部の活動があったんだよ~ウハハァ」
根岸は不気味に笑いながら、答えた。
「てか、高橋、追試?ギャハハハハハっ!」
根岸はさらにおかしな笑い方をしながら続けた。笑い方が変化した?堤はそのやりとりを見ながら思った。
「あの~、君は?」
山下が根岸に訪ねた。
「前に話した知り合いの根岸君だ。めんどくさい奴だよ」
「ああ、この人ね」
堤と山下は、根岸の事を上から下まで順番にみると納得した。
ジャラジャラ
不快なチェーンをならしながら、根岸は 何歩かジローに近付いた。ジローの座っている隣に、スペースをこじ開けるように入ってくる。根岸はやせているが、運動をしているので適度に筋肉質だ。テーブルにかけた黒い二の腕から血管が浮き上がっているのがわかる。
「なんだよ?」
ジローが怪訝な顔をして言った。
根岸はジローがさっきまで暗記のために使っていた手作りの暗記用紙を、乱暴に奪い取るとそれを眺めた。
「ギャハハハハ、お前、字汚いな~ギャハハハハ~」
「ハハハ、ほっといてもらっていいかな」
ジローは苦笑しながら行った。
「うひゃひゃひゃひゃ~これじゃあ留年だぁ~俺がテストしてやろうか?」
笑いながら根岸が行った。そのやりとりを見守りながら、堤と山下は、また変化した笑い方が気になった。いったい何パターンあるのだろうか?堤は思った。
「いやいいよ。とりあえず放っておいてもらえるかな?」
「ぎゃははははは!おもしろいなぁ~」根岸はまだ笑っている。
タ~ラ~ラララン
ジローの携帯の着信音が鳴った。B'zの曲が流れる。
「……おおっ、イカチーなぁ」その時だけ根岸の笑い声がなぜか止んだ。
「もしもし?」
ジローは根岸の事は気にせず、電話に出た。
「あっ!ユウコ?」
ユウコは付き合って4ヶ月ほどになるジローの自慢の彼女だ。ジローが大学三年生なのに対して、彼女は1年生だ。少しだけジローの表情が緩む。
「うん、うん、うん、2人とも目の前で一緒だよ~」
ジローは堤と山下を交互に見ながら話した。2人はジローの事を、ニヤニヤしながら見ている。山下は右手の小指を立てて、電話をしているジローの前に突き出した。
ジローは笑いながら、それを払いのける素振りをする。
「ジローくんは、緊張しやすいから、リラックスして頑張ってね。山下さん達と勉強したから大丈夫だよ」
携帯電話越しに、ユウコの声がする。
「そうだね、気楽にやるよ」
ジローは答える。
「グヒャヒャヒャヒャヒャヒャ」
いきなり根岸が笑い出した。
「…どうしたの?笑い声がするよ」
ユウコの声は訝しんでいた。
「いやこっちの話。じゃあ頑張るから、うん、また~」
ジローは携帯電話を切った。
根岸は笑い続ける。
「アっアっアっアッははははは~アッアッアッア~ハハハハハハハハハハァ!」
根岸は苦しいそうに笑う。体が九の字にまがり、前のめりぎみになり腹を抱えている。
堤と山下は、根岸の笑い方がまた変化したことに気づいた。これは最も、かれのツボとなる出来事なのだろう、2人はと思った。
しかし2人にはその笑いの原因がわからなかった。
「ひぃ~アハハハハハっ~ストラップ~」
根岸は九の字に体を曲げながら言った。
「は?これ?」
ジローはさっき切ったばかりの携帯を指さして言った。
「うん?ストラップ?ああ、ユウコから貰ったんだ」
ジローの携帯には、ユウコから貰ったウサギの形をしたストラップがついている。
「あっあっあっあっははははははははっ腹が痛い~ジローがウサギ?似合わない。うひゃひゃひゃひゃひゃ!」
根岸はさらに九の字に曲がった。
ストラップのことだけでこれだけ笑えれば、彼の人生は幸せだろうな~、そこにいる三人は思った。
「こういう変な空気の読めない奴に限って、学年成績1位なんだよ」
ジローがあきれ顔で言った。事実だ。
「KY~KY~KY~」
堤が、いかにも今日のテストで出るかのように、英語のアルファベッドを呟いた繰り返し、繰り返し。根岸は笑い転げ全くそれに気づかない。
ジローと堤の再試テストまであと3時間を切った。