公爵令嬢、最後の1日
残酷な描写あり
閲覧注意
我ながら、愚かな選択をしたのだろうか。
朝食のオムレツを味わいながら、考える。
1週間前に行われた議会で、ベルナール第一王子とわたくしの婚約解消。それからフェルメール侯爵家との新たな婚約について、議論が行われた。半日近く及んだ議論の末、その場に出席していたわたくしが最後の決定を下した。
婚約解消を承諾したわたくしの声に、出席者は息を飲んでいた。あれは…生涯忘れられない光景かもしれない。貴族は早々顔に出さない。感情を読まれることを良しとしない。そんな貴族たちが…。
思い出して少し、笑みが溢れる。それを見ていた侍女が取り乱していた。
「お、嬢様…どこか体調が優れないのでしょうか…」
「いえ、ごめんなさい。少し思い出し笑いしてしまったの。わたくしは元気よ」
「それは良かった…と、申していいのか…」
「エマ、そんな顔しないでちょうだい。わたくしね、貴女の笑った顔が好きよ。貴女とのお喋りも好き。今日は公爵家本邸のように広いわけじゃないから、仕事も少ないでしょう。わたくしとお茶を飲んでちょうだい」
「お嬢様が望まれるのでしたら…。紅茶を淹れてまいります」
「よろしくね」
引き攣った、泣きそうな顔でキッチンに向かう侍女…エマ。
わたくしは今日、ここで最後の1日を過ごす予定だ。その付き人として、幼い頃からわたくしの側にいてくれたエマを選んだ。
わたくしは今日、処刑される。
理由は、第一王子の婚約者でなくなったから。
たったそれだけ。そう思う人もいるだろう。けれどわたくしは第一王子の妻以外考えられないのだ。
わたくしは幼い頃から王太子妃教育を受けており、王家のこと、王宮内のこと、近隣国との外交…政治的な情報、国内の貴族間の情報まで、あらゆる機密情報を持っている。
歴代の王太子妃でも、ここまでの情報を持っている者はいない。わたくしは飲み込みが早く、思いの外教育が進んだため、より内部的な話にも踏み込んだ教育をされていたのだ。
いつか、第一王子、ひいては国や外交に役立つと見込んで。
そんなわたくしがこれから国内の別の貴族に嫁いだら…情報漏洩が懸念される。当然、わたくしは口を割る気はないけれど、嫁いだ家がどう思うか分からない。魔が刺してしまうかもしれない。わたくしがいれば国家転覆も容易いだろう。ましてや近隣国に嫁ごうものなら…。
だから婚約解消に議論が交わされるし、最終決定権はわたくしにあった。ひとりの令嬢の命を奪ってまで、使い物にならない令嬢に嫁がれたら困るから。そして、命を奪われる者に拒否権がないなどあってはならないから。
わたくしは別に死にたかったわけではない。ベルナール第一王子との婚約に不満があったわけでもない。ただ、正当な手順を踏んでまで添い遂げたい令嬢がいる殿方との未来が考えられなかっただけ。それでも自分の身が恋しければ婚約解消を拒否すれば良かったのだろうけど…そこまで生に執着もない。
だから全てを承知で婚約解消を可決した。
「お嬢様、お待たせしました」
エマの一声でふと我に返る。茶葉の香りと焼き菓子の匂いが部屋に充満する。やはり部屋はあまり広くない方がいい。匂いに包まれるから。…なんて、場違いなことを思う。
「ありがとう、エマ。紅茶と…スコーン?もしかして…」
「はい。僭越ながら、私が作らせていただきました」
「素敵ね!わたくし、エマのスコーンが一番好きよ」
プレーン、チョコ、フルーツ…いくつもの種類のスコーンが盛り付けられた器。このスコーンがとても美味しいのだ。
「今日はいつもと盛り方が違うのね?普段はこう…少しの数を並べていたはずよね」
エマは盛り付けも上手である。普段はおやつと言えば3段重ねのケーキスタンドを使って盛り付けているはず。今日はガラス製のボウルのような器に、山盛り盛られている。取り皿は用意されているけれど、ナイフやフォークはない。
「お嬢様はいつか仰っていましたよね。山盛りのスコーンを食べるのが夢だと。今日くらい、作法も礼儀も忘れませんか?」
「…エマ…覚えていてくれたの…」
「当然です。私がお嬢様の言葉を忘れるはずがありません!」
家ではこんな山盛りのスコーンは出してもらえない。上品に、少ない数をいただく。そしてナイフとフォークは必須だ。
「…手で食べてもいいのかしら」
「もちろん。ここにはお嬢様とエマしかおりません。注意する旦那様も奥様もいらっしゃりませんから」
山の一番上、チョコレートのスコーンを手にとる。あまり大きくないわたくしの口に合わせてくれたのか、普段より小さめのスコーン。それにかじりつく。
「エマ!すっごく美味しいわ!」
「喜んでいただけて嬉しゅうございます」
エマはやっぱり泣きそうな顔で笑った。
「エマ、わたくしね、貴女が側にいてくれて良かったわ」
日没を見ながら、思いの丈を口にする。
「公爵令嬢として、王太子妃として、勉強ばかりの毎日は、苦ではないけれど心が折れそうな時もあった。けれど貴女が側にいてくれたから今日まで頑張れたのよ。本当にありがとう」
「私こそ…お嬢様に仕える日々はとても楽しかった。幸せでございました」
顔を見合わせて笑い合う。エマは自身の一重の瞼を好んでいなかったけれど、わたくしはエマの素朴な顔が好きだった。最後にその笑顔が見られて本当に良かった。
「お礼と言っては何だけれど…これ、貰って欲しいの」
「そんな…こんな高価なもの、いただけません!」
「いいのよ。使いかけもあるし、価値なんてないわ。迷惑じゃなければ貴女が使ってちょうだい」
テーブルの上に並べた化粧箱。持ち運びに適した箱の中に、詰められるだけ詰めたわたくしの化粧道具や装飾品。お気に入りの物はエマに持っていて欲しかった。
「これはわたくしのお気に入りの化粧箱よ。この紅もお気に入り。こっちのバレッタはわたくしがお母様に選んでいただいたもの。これはエマとお揃いで買ったブローチ。それから……とにかく全部、わたくしの大事なものたちよ。エマに身につけて欲しいの」
「私にはこんな高価なものを使うところがありません…」
「次、仕える令嬢の夜会に付き添う時、困らないと思うわ」
「…っ!!」
エマの瞳が曇る。我ながら嫌な言い方をしてしまった。けれどこれはエマを助けるものだから。
「ブルディターリア公爵家に仕えた経験があればどこの名家でもやっていけるわ。貴女にはこれからがある。今夜が終われば紹介状を出すつもりなの。その時役に立つわ」
「そんな……私はこのままブルディターリア家に……エリアーヌお嬢様のお側に……」
「ありがとう、エマ。その気持ちだけで十分よ。貴女にはわたくしのことは忘れて、頑張ってほしい。……受け取って、エマ」
「……お嬢様の、お心遣い…感謝いたします……」
化粧箱を受け取ってくれたエマは、力強く箱を抱きしめた。肩を震わせ、感情を押し殺してくれる。エマが泣いてくれるから、わたくしは泣かずにいられる。
「そろそろ、時間かしら」
「…左様でございますね。お支度をしてまいります」
これから入浴を済ませ、夕食の時間が始まる。夕食は確か…ステーキだったか。玉ねぎをたっぷりと使ったソースをかけてくれると聞いた。今から楽しみだ。
浴槽はわたくし好みの熱めのお湯がはられている。エマとふたりで洗髪料の匂いを選びながら、入浴を楽しむ。
エマはいつも以上に丁寧にわたくしの身体を洗ってくれた。
身体の芯まで温まった後、テーブルには夕食が並べられていた。
焼きたてのロールパン。わたくし好みの脂身の少ないステーキ肉に、玉ねぎがたっぷりと使われたソースも添えられている。季節の野菜がふんだんに使われたサラダ。コーンスープは湯気が立っていて食欲をそそられる。
「最後の晩餐…というやつね」
静かに手を合わせ、それからフォークを手に取る。まずはステーキ。ソースをたっぷりとつけて、一口。野菜の甘みが肉と合っていて美味しい。焼き加減も申し分ない。
それからパン。小さく千切ってソースに浸す。…これは絶品だ。
サラダはオリーブオイルと塩で味付けられたシンプルなもの。野菜の新鮮さをダイレクトに感じた。
コーンスープは温かくて、甘くて、ほっとする。
「おいしい」
わたくしの言葉に、エマは返事をしなかった。
夕食を食べたらすぐに眠りにつく。
そういう予定だ。
「それじゃあ、おやすみなさい、エマ」
「おやすみなさいませ…エリアーヌお嬢様」
ふかふかのベッド。きっとエマが干しておいてくれたのだろう。わたくしが今晩使うだけなのに。エマのそういう、丁寧なところが、わたくしは…。
エマに感謝を伝えようとして、口が開かない。瞼が鉛のように重く、意識が遠のいていく感じがする。
エマ、ありがとう。愛してる。
その言葉が音になったか分からないまま───。
エリアーヌ・ブルディターリア。
その夜、17年の人生に幕を閉じた。
朝、王宮の役人が医師を連れてエリアーヌお嬢様の寝台に現れた。
いくつかの診察を終え、お嬢様の死亡が確認された。
昨日、1日をかけてお嬢様には遅効性の毒が盛られる手筈だった。まずは朝食のオムレツ。それから昨日飲んだ全ての紅茶に。最後はステーキに添えられたオニオンソース。その三つが合わさって、眠るように逝く。王宮からの慈悲だ。
寝台に寝そべるお嬢様は、本当に眠っているようで…声をかえたら今にも起き出しそうで…。そんな顔をしていた。
この後、ブルディターリア公爵家が遺体を回収し、葬儀が行われる。私はそれまでに昨日のお嬢様の荷物をまとめあげなければならない。
そうは言っても昨日1日だけの滞在のつもりだったから、荷物は少ないのだけれど。
建物中の荷物を集めても、トランクひとつ埋まらない。屋敷に持ち帰る私の負担を考え、最低限も持たなかったそうだ。
こんな小さなトランクひとつで収まるような人ではないのに。
「最後くらい、迷惑をかけてくれたらよかったじゃないですか…っ」
指が千切れてしまうくらい重たければよかったのに。
それでくらい、お嬢様を感じていたかった。




