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息子がオレオレ詐欺に遭ったらしいが、私は「勝手にしろ」と電話を切った。〜鬼母と呼ばれた私の、最後の子育て教育法〜  作者: 品川太朗


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第五章 真実


 午後九時。いつもの時間に玄関が開く音がした。


「ただいまー」


 明宏の声は、昨日までと変わらず呑気なものだった。


 和江はリビングのソファに座ったまま、じろりと玄関の方を睨みつけた。

 手には読みかけの雑誌があるが、内容は一文字も頭に入っていない。


「……よく平気な顔で帰ってこられたもんだね」


 リビングに入ってきた息子に対し、和江は開口一番、低い声で言った。


「え? 何が?」


 明宏はネクタイを緩めながら、きょとんとした顔をする。

 その表情には一点の曇りも、焦燥の色も見当たらない。


 和江の眉間の皺が深くなる。


「とぼけるんじゃないよ。昼間、あんな電話を寄越しておいて」


「電話? 俺が?」


「会社の金、なくしたんだろう? クビになったのかい? それとも消費者金融で借りて穴埋めしたのかい」


 和江が畳み掛けると、明宏はポカンと口を開け、数秒間フリーズした。


「……はあ? 何の話? 俺、今日は一日中社内でデスクワークだったけど」


「嘘をおつき。泣きながら電話してきたじゃないか。『百万円必要だ』って」


「いやいやいや! してないって! スマホ見てみろよ、発信履歴!」


 明宏は慌ててポケットからスマートフォンを取り出し、画面を和江に見せた。


 履歴には、取引先への通話が数件並んでいるだけで、自宅への発信記録はない。


「ほら! そもそも会社の金なんて持ち歩いてないし!」


 必死に身の潔白を主張する息子。

 その目を見れば、嘘をついていないことは明白だった。


 和江の脳裏で、昼間の出来事が急速に色を変えていく。


 鼻声の息子。

 威圧的な上司。

 巧みなストーリー。


 カチリ、とパズルのピースが嵌まった。


「……そうか」


 和江は拍子抜けしたように溜息をつき、雑誌をテーブルに置いた。


「詐欺だったんだね」


「さ、詐欺……?」


 明宏が目を丸くする。

「それって、まさかオレオレ詐欺ってやつ?」


「みたいだね。あんたにそっくりな声で泣きついてきたもんだから、てっきりあんたがやらかしたんだと思ったよ」


 和江は事も無げに言うと、冷めた茶を一口啜った。

「ああ、腹立たしい。騙された私が馬鹿だったよ」


「マジかよ……怖っ! うちにも来るんだ、そういうの」


 明宏は心底ぞっとしたように身震いした。

 ニュースでしか見たことのない犯罪が、自分の家族を狙っていたという事実は衝撃的だ。


 だが、次の瞬間、彼はあることに気づいた。


「……え、待って。母さん、百万円どうしたの? 払ってないよね?」


 もし母が慌てて振り込んでいたら、我が家の家計は破綻する。

 明宏の顔色がサッと青ざめた。


「払うわけないだろう」


 和江は鼻で笑った。


「『自分で責任を取れ』って言って、電話を切ってやったよ」


「……え?」


 明宏の動きが止まった。


「……切った?」


「ああ。消費者金融に行けって言ったら、向こうから黙り込んじまったけどね」


 和江はまるで、訪問販売を断ったときのような軽さで言った。


 その言葉の意味を咀嚼した瞬間。

 明宏の背筋に、詐欺の事実よりも遥かに冷たい戦慄が走った。


 母は、詐欺を見破ったわけではない。


 電話の相手を「本物の明宏」だと信じ込んでいたのだ。


 本当に息子が窮地に陥り、クビになるかどうかの瀬戸際で、泣きながら助けを求めていると信じた上で――


 見捨てたのだ。


(嘘だろ……)


 明宏は愕然と母を見つめた。


 普通の親なら、どうするだろうか。

 たとえ厳しくても、最終的には助け舟を出すのではないか。


 だが、この人は違った。

 即座に、迷いなく、「金は出さない」と切り捨てたのだ。


「母さん……それ、俺が本当にやってても、同じこと言ったの?」


 恐る恐る尋ねる。


 和江はちらりと息子を見上げ、当たり前のように頷いた。


「当然だよ。あんたがやったことの尻拭いを、なんで私がしなきゃならないんだい」


「……俺、クビになってたかもしれないんだぞ」


「なったらなったで、そこからやり直せばいい。親の金で首がつながったって、どうせまた繰り返すだけだ」


 明宏は言葉を失った。


 これまでの一年間、生活費を払うことで「自立したつもり」になっていた自分が、急に恥ずかしく、そして幼く思えた。


 自分の覚悟など、おままごとだった。


 目の前にいるこの小柄な女性は、息子を愛していないわけではない。

 ただ、その愛し方が、あまりにも苛烈で、純度が高すぎるのだ。

 

「まあ、被害がなくてよかったじゃないか」


 和江は立ち上がり、夕食の準備を始めた。

「今日は生姜焼きの残りだよ」


 背中を向けた母の姿が、明宏には巨大な岩壁のように見えた。


 詐欺師たちは、ターゲットを間違えたのだ。


 この家には、子供を甘やかす親など存在しなかった。

 そこにあったのは、「個」として自立することを絶対条件とする、鉄の掟だけだったのだ。


「……敵わないな、母さんには」


 明宏は脱力したようにソファに沈み込んだ。


 安堵と共に刻み込まれたその恐怖は、彼の中で何かが確実に変わるきっかけとなった。

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