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第21話:波紋 ―― 世界は、先に気づく

 カオス・ヘヴン(混沌諸国)。

 この世界は、単なる異種族の居住地ではない。それは数千年前、始祖エルフや龍族の長老たちが、種族間の終わりなき紛争を封じ込めるために構築した、巨大な「調和の管理システム」である。

 「娯楽」によって情動を一定に保ち、「美」の序列によって権力構造を固定する。その完璧な循環プログラムにおいて、かつて世界を掻き乱した「人間」という種族は、予測不能なエラーを吐き出す致命的なバグとして、歴史のディレクトリから完全に削除デリートされたはずだった。

 だが今、その冷徹なシステムにおいて、微細な、しかし決定的な「ノイズ」が発生し始めていた。


【導入:静かなるシステムエラー】

 月曜日の朝。全大陸の魔力流を監視する「神殿電算室」のモニターには、統計学の限界を超えた異常値が躍っていた。

 『Awesome GYARU』特別号の発売以来、大陸全体の「情動係数」が、ある一点に向かって不自然な収束を見せているのだ。


「……不気味だ。解析魔法がコードを読み取れない」


 オペレーターの魔族が、震える指でグラフを指し示す。

 通常、アイドルの人気は「熱狂」という名の魔力波として観測される。しかし、今回の美優に対する反応は違う。それは熱狂ではなく、システムの深部に直接書き込まれる「書き換え命令(上書き)」に近い性質を持っていた。

 同じ頃、雑誌編集部のオフィスでも、マーケティング担当の魔族が青白い顔でモニターを凝視していた。売上や閲覧数といった表面的な数字ではない。異常なのは、読者の「滞留時間」だった。

 一度ページを開いた者は、数十分間、その一枚から目を離さない。SNSでの拡散数は、ある一線を境にピタリと止まった。それは「飽きられた」のではない。誰もが、その一枚を自分だけの聖域に閉じ込め、他者に共有することすら躊躇ためらうほどに、深く、重く「効いて」いたのだ。


「……まるで、写真が読者の精神メンタルを調律しているみたいだ」


【群像:無意識の救済】

 街の至る所で、説明不能な「小さな変化」が起きていた。

 連日の重労働で、他者の精気を吸うことすら億劫になっていた魔族の男。彼は、駅の掲示板に貼られた美優のポスターの前で、ふと足を止めた。

 ただ、彼女が胸元に手を当て、こちらを見つめているだけの写真。

 気づけば、数年ぶりに深い呼吸をしていた。肺の奥まで清浄な空気が満ち、濁っていた魔力の循環が、滑らかに整っていく感覚。彼はなぜ自分が癒やされたのか、その理由を知る由もなかった。

 領土争いの最前線で神経を磨り減らしていた亜人の女性兵士は、泥に汚れた雑誌の美優の瞳を見て、理由もなく涙を流した。

 美優は何も語っていない。だが、その一枚の紙面から漏れ出る「気配」が、彼女のささくれ立った防衛本能を、優しく、強制的に解きほぐしていった。

 誰もが「なぜ」とは問わない。ただ、彼女を視界に入れた瞬間、世界が少しだけ「正しく」なったように感じる。それは魅了チャームのような強制的な魔術ではない。もっと根源的な、生命としてのリズムの同調だった。


【違和感:共演者たちの戦慄】

 エルフの至宝、セラフィナは、収録スタジオに向かう道すがら、街を包む「空気の変化」を敏感に察知していた。

 立ち並ぶ美優のグラビア。それを見上げる群衆。

(……おかしい。視線の集中が、物理的な重さを持っている)

 エルフ特有の鋭敏な感覚が警鐘を鳴らす。これはただのブームではない。美優の写真を中心に、街全体の感情の揺らぎが、一つの指向性を持って収束し始めている。


「……ミユ。あなた、自分が何をしているか分かっているの?」


 だが、その問いに対する答えを、セラフィナもまだ言語化できずにいた。


【核心:龍族の確信】

 一方、リナは一人、楽屋で美優の載った雑誌を捲っていた。

 彼女は文字を読まず、指先で紙の質感をなぞる。龍族の血が、紙面から立ち上る見えない陽炎かげろうを捉えていた。


「……言葉にしていないのに。……声に出していないのに。これは、もう“発されている”わ」


 リナは、美優が封印したはずの「言葉」が、肉体を越え、視覚情報に混じって世界へ溶け出していることに気づいていた。美優という存在そのものが、この世界の歪みを正そうとする「言霊」の触媒プロキシになりつつある。

 リナは震える指でページを閉じた。


「……今はまだ、教えられない。美優が自覚した瞬間、この世界システムは彼女を完全に排除しにかかる」


 龍族の慎重さと、友を想う情愛が、リナを沈黙させた。


【終盤:爆心地の静寂】

 当の美優は、その激変の渦中にいながら、驚くほど平穏な日々を過ごしていた。

 事務所の指示通り、渡された台本通りの無難な言葉だけを口にし、感情を押し殺してカメラの前に立つ。


「……なんか、最近やりやすいな」


 撮影現場。スタッフたちはやけに優しく、機材のトラブルは皆無。太陽の光は常に彼女の肌を最高に輝かせる角度で差し込み、風は彼女の呼吸に合わせて凪ぐ。

 美優はそれを、自分の努力やスタッフの熟練度のおかげだと思っていた。

 彼女はまだ気づいていない。世界の方が、彼女を不快にさせないよう、先にひざまずき始めていることに。


【ラスト:風に滲む文字】

 収録を終え、帰路につく美優の背中を、リナが遠くから見つめていた。

 夕闇が迫る中、美優が何気なく吐き出した溜息。


「……世界が、先に応えているわね」


 リナが小さく呟いたその瞬間。

 美優が歩いた後の地面、舞い上がった埃の軌跡の中に、一瞬だけ、現世うつしよの理には存在しない、幾何学的な紋様が浮かび上がった。

 それは、日本の太古の神域に刻まれていた『カタカムナ』の断片。

 美優の無意識の吐息が、風を、光を、そして世界の構成物質コードを、日本人の失われた叡智で書き換えていく。

 覚醒まで、あと僅か。

 世界という名の観測者は、その巨大な質量を揺らしながら、美優という「焦点」が完全に結ばれる瞬間を、息を殺して待っていた。


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