第六話:庭園・バルコニーの静かな対話
禁書庫での衝撃と、アズリエルからの「永遠の契約」の重圧を受けた夜。ヴィオラは、浮遊城の冷たい石造りのバルコニーに立ち、魔界の空を仰いでいた。
彼女は、「使命」を失った今、自己評価の低い自分に、「誰にも愛される価値はない」と冷徹に言い聞かせていた。
1. シリウスの語る「理性的な安寧」
静かに、騎士シリウスがヴィオラのもとへ歩み寄った。彼は、ヴィオラが使命を背負う理由を理解し、その理性を尊重していた。
「ヴィオラ様。貴女様がご自身の存在価値を、『使命』によって証明しようとされるお気持ちは、痛いほど理解できます。私の故郷、竜族の領地は、絶対的な秩序と防御によって守られています。そこには、無駄な感情も、不合理な犠牲もありません」
彼は、ヴィオラの肩に、ストールをそっと被せた。
「私は、貴女様に安寧を提供したい。私が貴女様の全ての責任を背負います。貴女様が望まれるなら、竜族の故郷と同じ完全な秩序と平和を、貴女様のために作り上げましょう。貴女様には、理性を保ったまま、安心して生きる権利があるのです」
ストールの温かさがヴィオラの心にじんわりと染み込んでくるようだった。
(シリウス卿の愛は、私が望む理屈の通った安息だわ。彼は、私の理性を否定しない。この献身は、私が最も信頼できる逃げ場となるでしょう)
ヴィオラは静かに目を閉じた。
2. ガルムの語る「無条件の肯定」
シリウスが去った後、今度は獣人ガルムが、豪快な足音と共にバルコニーに現れた。彼は、ヴィオラの冷たい論理など、まるで気にしていない。
「ヴィオラ、どうした! 何、暗い顔してるんだ! 夜空なんか見るより、俺を見ろ!」
ガルムは、シリウスとは対照的に、ヴィオラを後ろから強く、熱い腕で抱きしめた。彼の体温は、彼女の冷え切った心臓に直に届く。
「俺たちの故郷、獣人の森には、理屈も契約もない! あるのは、温かい飯と、番の熱だけだ! お前が悪役だろうと、使命があろうと、そんなものはどうでもいい!」
彼は、ヴィオラの頬に顔を擦りつける。その仕草は、完全に理性を超えた本能だった。
「お前は、ただ生きるんだ! 俺の隣でぬくぬくしていればいい! 俺の愛は、お前がそこにいるという、ただそれだけのためにあるんだ!」
(ああ、私が無価値だと信じている部分を、ガルム様は無条件に肯定する。この熱は、私がずっと避けてきたもの。……彼の愛は、私の自己犠牲の傾向を、根っこから否定しているわ)
3. エルヴィンの語る「魂の真実」
ガルムの熱がヴィオラを解放したその時、精霊王エルヴィンが、空中庭園の最も純粋な魔力の流れの中から、光の体で具現化した。
「ヴィオラ。自己評価の低さこそが、貴女を使命に縛り付けている。貴女の魂は、『何かを成さなければ愛されない』という、内側の檻に閉じ込められているのです」
エルヴィンは、ヴィオラの魂に直接語りかける。彼の言葉は、彼女の冷静な仮面を打ち砕く。
「私たちの故郷は、世界の理の根源。そこには、過去も契約も、肉体の縛りもありません。貴女が本当に求めるのは、誰の支配もない、純粋な自己になることではないのですか?」
エルヴィンの愛は、「あなたは、使命を果たさなくても、愛される価値がある」という、最も根源的なメッセージを伝えた。
ヴィオラの理性の鎧は崩壊し、抑圧し続けてきた感情が湧き上がった。
(エルヴィンは何者でもない私自身を愛してくれるのね……)
ヴィオラは、「誰かのために生きる人生」への疲労と、「愛される価値」への渇望が混ざり合い、静かな涙を流した。
「エルヴィン……私は、何者でもない私を、愛していいの…?」
彼女の涙は、長年の孤独と自己犠牲の重さを物語っていた。この瞬間、彼女は「悪役令嬢」でも「救世主」でもない、一人の女性として、自分の感情と向き合ったのだった。




