第四話:火(ほ)の間での「夕食バトル」
夕刻。ヴィオラは一人、浮遊城の回廊を歩いていた。
朝食戦争で、魔族の使用人が用意する豪華だが刺激の強い食事に、ヴィオラは冷静な表情を崩さなかったものの、食事摂取を最小限に抑えていた。魔王城の食事が、彼女の魔力回復には最適ではないと分析したのだったが――。
(さすがに、お腹が空いてしまったわ。何か、火の間に食べるものあるかしら?)
そんな彼女のことを知ってか知らずか、浮遊城の台所に、食にうるさい獣人ガルムと、主の健康管理に命を懸ける騎士シリウスの姿があった。
「グルル!この魔族の肉は、血抜きが甘い!ヴィオラに食わせるには雑すぎる!」
豪放磊落なガルムは、魔族の料理人を追い払い、巨大な包丁を握りしめ、獲物の肉を捌き始め、その横で、シリウスが静かに口を開く。
「ガルム殿、貴殿の食へのこだわりは認めますが、肉は消化を妨げます。ヴィオラ様の体力回復には、人間界の伝統的な栄養バランスに基づいた、簡素な粥が最適です。調理は私が行います」
「堅いこと言うな!愛情ってのは、本能で作るもんだろう!俺の熱い愛情を煮込んだスープが、一番効くに決まってる!」
二人が火力を巡って小競り合いを始めた時、ヴィオラが火の間にたどり着いた。彼女は、彼らの不合理な争いを遠くから理性の目で分析し始める。
(はぁ……、シリウス卿、ガルム様。あなた方の行為は、アズリエル様への公然たる反抗じゃないかしら。それに、効率が悪いと思うのだけれど。食材の選定、調理時間、栄養価を考えても、どちらの提案も非合理的だわ)
ヴィオラは、彼らの献身を「非効率」と評価した。これは合理的な彼女らしかったが、「私なんかのために、彼らが争うのは不合理だ」という、彼女自身の自己評価の低さの表れとも言えた。
そして、ため息をついて、二人に近づく。
「シリウス卿、ガルム様、お二方ともそのように争わないで下さい。私に対して、そのようなお気遣いは不要ですわ」
ガルムは、ヴィオラの冷たい言葉に傷つくことなく、豪快な笑みを浮かべた。
「ヴィオラ!遠慮は要らないぞ!俺は、お前に美味いもんを食って笑ってほしいだけなんだ!」
シリウスは無言で、ガルムが用意した滋養のある肉を、ヴィオラが食べやすいよう丁寧に刻んで粥に混ぜ込んだ。彼の瞳には、「貴女のためになるのなら、何でもする」という、真摯な決意が宿っている。
「ヴィオラ様。貴女様が理性の壁を築かれるのは存じています。ですが、健康管理は義務です。私が忠誠心を込めて用意したこの粥を、どうぞ。一切の義務感なく、ご自身の健康のために、ただ召し上がってください」
有無を言わさず、火の間の使用人たち用のテーブルにつかされたヴィオラの目の前に置かれたのは、ガルムの熱い生命力とシリウスの緻密な忠誠心が混ざり合った、湯気の立つ美味しそうな粥だった。
(ああ、不思議だわ。彼らの愛は、私が使命を終えた今も、私に注がれている。私は何の見返りも与えられないのに。……私に、ただ無条件に受け取る価値があるというの?)
ヴィオラは、長年、使命と責任の冷たい殻の中で生きてきた。無条件に注がれる「温かさ」は、彼女には信じては命取りになる危険な毒であったが、最も必要な薬でもあった。
香りに負けて、彼女は、一口、粥を口にした。それは、魔王城のどの豪華な料理よりも温かく、美味しい味がした。
「……悪くないわ。理屈では説明できないけれど、効率は高いようだし」
ヴィオラの冷静な分析の裏側で、彼女の強張っていた心が、少しだけ緩んだように感じられた。
ガルムとシリウスは、静かに、勝利の歓喜を共有したのだった。




