その4
使用人生活が始まってから一週間。
この期間のボクは教育という名目で屋敷の先輩方からしごかれていた。
グレイを筆頭に男性の使用人ほど当たりが強い気がするが、共通認識として「シイタ公女を籠絡しようとする下民の男」という先入観で接してくるのだから仕方がないだろう。
それでもなんとか喰らいつけたのは途中で目覚めた王様の助言が大きい。
王様はボクが次期公爵の使用人になったと聞いて「金印を奪うのにうってつけの役目だ」と大喜びで手を貸してくれる。
古の王だと自称するだけあって王様は上流階級のマナーにも精通していた。
「そろそろお前にも役目を割り振ろう。明日からシイタ様の奉仕作業に同行して、手伝いながら護衛をしろ。傭兵上がりなのだからそれくらい出来るだろう?」
「それなりには。だけどそれには剣が欲しいです。丸腰では万が一を考えたら厳しいって」
「バカか?」
ごく普通の提案に対してバカと言い放つグレイに僕は小首を傾げる。
「奉仕作業中の貴族やその使用人が武器を携帯しているところをお前は傭兵時代に見たことがあるか?」
だが理由を聞けばボクにも思い当たるフシがあった。
彼がいうように傭兵たちへの慰安活動をするテータ貴族の一行は使用人を含めて武装をしている記憶がない。
なまじ傭兵たちにも施されているという状態で乱暴狼藉を働くのは無粋という共通認識あったので使用人が武力行使に出ることは滅多になかったので必要になる機会が少ないのもあっただろう。
だがシイタはただの貴族ではなく本当は公爵嫡子。
数百人に一人の割合であっても危険因子への対抗手段は用意しているべきだと思うのだが。
「いえ」
「だからお前も万が一の時には素手でなんとかしろ。シイタ様は死んでも守るんだぞ」
「……了解」
それでも素手で言われたらボクは口答えできなかった。
こういうとき下手に反論するのは火に油を注ぐのは経験則としボクは身にしみていた。
幸いこの執事の服は男物で少しボクには大きい。
この内側に仕込める武器を屋敷の蔵から探しておこうか。
この素手で護衛をするという命令にボクが承諾したのを聞いて満足げなグレイの濁った眼。
これが彼がボクを貶めようとしている一団の仲間であること証拠なのだが、ボクはそれに気づいていなかった。
「───それでは出発しましょう。出先ではくれぐれも言葉遣いには気をつけてくださいね。なまじクリスは元傭兵なのだから、変にへりくだった言葉遣いでは目立ちます。現地では前のように〝シイタ〟と呼び捨てにして」
「わかったよシイタ様……ううん、シイタ」
「よろしい。では今日もお仕事を頑張りましょう」
テータ貴族による傭兵の慰問は炊き出しや世間話、ときにはマッサージやそれ以上のサービスまで千差万別にある。
シイタの場合はまだ14歳の子供であるとともに表向きにもお金持ちの上流貴族なので比較的マナーが良い傭兵を相手にしており危険なサービスの強要もない。
この日は遠征帰りの小隊が多く集まっていたため、シイタはそれらの傭兵頭クラスを相手に茶を振る舞った。
彼女が入れる紅茶の味はボクも覚えているが非常においしくて人気がある。
その手伝いに没頭していたボクは王様が目を光らせていなかったら隙だらけだったであろう。
「それでは皆様、ごきげんよう」
仕事を終えて帰宅する馬車の中。
居眠りをするシイタの横に座るボクも欠伸を一つ。
だがこれを見た王様はボクに文句があるようで、心のなかで語りかけてきた。
「アレックスよ……そんな調子では先が思いやられるぞ」
王様の顔は心のなかでのイメージですら黒塗りで人間の形をしているのがわかる程度。
それでも相当に呆れた表情なのは見て取れた。
ちなみに王様はボクのことをアレックスと呼ぶ。
彼がいうにボク生来の名前は〝アレクサンドラ〟なのでその略称らしい。
「今日だって向こうがその気なら5回は殺されていた。これでは公爵の首を狩る前にお前の首が飛んでしまうわ」
「そんなに。だけどシイタを狙う気配は感じなかったけれど。劣情は別にして」
「狙われていたのはお前だ。もちろん劣情ではなく殺意のほうだ。それも一人や二人じゃない」
「……急に貴族サマの使用人に転職したことへのやっかみかな?」
「多くはそうだろうが、そんなレベルじゃない殺意も混ざっていたぞ。次からは気をつけろ。今日のうちは様子見だから助かっただけだ」
普段オメガの金印による読心の力は王様がコントロールしている。
これにより不必要な感応で気を病む心配がないのだが、王様がいうような殺意へのセンサーはどうしても精度が落ちてしまう。
それでも今までの経験からボク自身のスキルとして敵意には敏感なつもりではあったのだが、王様の態度を考えると普段より鈍っているようだ。
次の慰問は3日後。
ちょうどボクが以前いた傭兵団を労うために団舎で行うことになっている。
ボクとしてはシイタが強引に連れ出してから一度も足を踏み入れていない場所でありやっかみの目が強いのは想像に難くない。
だが王様が感じ取った殺意は恐らくその程度ではないのだろうとボクは予感していた。
なまじ運命共同体である以上、王様がわざわざ指摘するという意味をボクは身を持って知っているのだから。