腐女転生の受難~BLが禁忌の世界で兄と婚約者が私を溺愛しているようですが、本当の気持ちを知っています~
三年もの間待ち続けていた新刊がようやく発売され、浮かれていた。ずっとモダモダとしていた主人公とヒーローがやっと互いの想いを自覚した七巻を、新刊である八巻が発売されるまで何度読み返したことか。仕事を爆速で終わらせて書店に走り、同志たちを横目に八巻を手にした私はふわふわとした気持ちで歩いた。
二人は想いを通わせるのだろうか、それともまだモダモダと曖昧な関係を続けるのか、ライバルの男は何かしてくるのか……妄想をしながら大事に新刊を抱える私は、青信号の横断歩道をスキップで歩く。あと少しで自宅――そのときだった。
誰かが「危ない!!」と叫んだ。その声に振り向くが、気がついたら私の体は宙に浮いている。激しい痛み、緩む手、視界に一瞬映るトラック、そして私の手から離れる新刊。必死に手を伸ばすのに、新刊との距離は容赦なく開いていく。
霞む視界でぼんやりと死を意識した。けれど死ぬわけにはいかない。私はまだ、新刊を読んでいないから――!
そう思ったのも虚しく、ゆっくりと瞬きした先に広がったのは真っ白な光景。もう一度瞼を閉じ開いたときには、見知らぬ家の天井が映った。豪華なシャンデリアと目が合って、おそらく病院ではないと察する。
ここはどこ? と言うために「ふぇ〜……?」とだけ発すると、自分の声に異変を感じた。まさかと思い、手を視界に映るよう伸ばしてみる。巷でよく聞くちぎりパンが目の前に映ったことで私は理解した。
――まさか、転生したの?
新刊を読めないまま死んでしまったのか? いやいや、時間が巻き戻っただけじゃない? 時間が巻き戻っただけなら平気。だっていつかは読めるから。
僅かな望みを見出して不安と戦う私を、二人の男児が覗き込む。
「この子が僕の婚約者? 可愛い……」
「おい、勝手に決めるな。妹をお前にやるだなんて俺は一言も言ってないぞ」
整った顔立ちの男児たちは、ほっぺをピンク色に染めて私を見つめる。ハッキリとした目鼻立ちや宝石のような瞳の色からして、どう見ても日本人ではない。
「フィローリア、お兄ちゃんだぞ」
「初めまして、フィローリア。僕がキミの婚約者だ」
名を呼びながら手に触れられる。片方の手は兄だと言う男児、もう片方は婚約者を名乗る男児に。二人はふにふにと私の両手を握りながら、言い争いをはじめた。
「おい、キース! 勝手に婚約者って言うな! フィローリアは俺の妹なんだぞ!」
「うるさいなぁ。レオはただのお兄ちゃんなんだから黙っててよ。それに勝手に言ってるわけじゃない。この子と僕の婚約は随分前から両家で決まってるじゃないか」
「俺は認めてない!」
「レオの方が勝手だよ」
将来有望な愛らしい顔立ちの二人が睨み合うが、そんなことよりも私はたった今突きつけられた現実に絶望していた。
フィローリア、それが私の名前なら以前の私はやはり死んだということ。つまり――三年間待ち続けた新刊を読めずに死んだのだ。あと少しで付き合いそうだったモダモダカップルの行く末を見届けられぬまま。
「オギャアアアアアアアアアアア――!!」
「「フィローリア!?」」
突如泣き始めた私を、睨み合っていた男児たちはあたふたと慰めようとする。しかし、この悲しみは少年たちには理解できまい。
BLの新刊を読まずに死んだ、腐女子の悲しみなんて。
***
あれから十五年の月日が過ぎた。新刊への心残りは未だに消えず、悲しきモンスターに成り果てそうにもなったがどうにか耐えている。なぜなら、腐女子は全ての世界に存在し、BL作品もまた共通で存在するはずだから。この世界での腐女子が数々の名作を生み出しているに違いない。その名作たちをいつか摂取できると想像したら、私はいくらでも頑張れた。
今世での成人は十六歳、誕生日まであと少しだ。それまで耐えれば私は成人作品を摂取し放題になる。きっとこれから数々の萌えカップル――男同士――に出会える。私の頭は夢いっぱいだった。
「フィローリア? さっきからニコニコしてどうしたんだ?」
「あ、お兄様」
共に庭園を散歩していた兄、レオン・アレニウスが私の顔を覗き込む。愛しいものを見つめるような表情で覗き込む兄は、その凛々しい灰色の瞳で優しく私を捉える。美しく端正な顔立ちは、老若男女問わず虜にしてしまうほど。
侯爵家に生まれた私はこの兄に可愛がられ過ごしてきた。私が出かけると言えばエスコートをするためについてきて、何気なくほしいものを呟いたら数時間後にはプレゼントしてくる。優しくてイケメンな兄のことをそれなりに利用してきた新しい人生は、少しだけ申し訳なく思えた。
兄だけではなく、現アレニウス侯爵である父も私を可愛がってくれた。母と同じピンクの髪が愛らしくて仕方ないのだとか。前世の記憶があるせいでイマイチ子供らしく振る舞えなかったというのに、不思議な家族だ。けれど、なんだかんだ私は幸せだった。
「ちょっと楽しい考えごとをしていただけですよ、お兄様」
「そうか……フィローリアがいつもどんなことを考えているのか覗けたら、きっと毎日が面白いだろうなぁ」
「えぇ? お兄様ったら、たまに変なことを言うんだから〜」
「頭の中まで知りたいくらい、お前のことが大好きだということだよ」
兄といつもの他愛ない会話をしていたら、聞き慣れた声が横から入ってくる。痺れるような美声、しかし爽やかで馴染みのある声だ。
「マーガレットのような可愛らしいお嬢さん、婚約者の僕との約束はもうお忘れかな?」
耳元で囁かれた難破な言葉に振り向くと、金色の髪を風に靡かせる美男子が立っている。晴れ渡った青空を宿したような瞳が、難破な口調に反して幻想的で美しい。その顔を見た瞬間に反応しようとしたが、私よりも先に隣の兄が声を上げた。
「キース! お前、勝手に庭まで入ってくるなといつも言ってるだろ!」
「いいだろ、べつに。昔からの仲じゃないか」
「礼儀を弁えろと言ってるんだ!」
「うるさいなぁ。僕はフィローリアの婚約者なんだぞ?」
「俺はフィローリアの家族でこの屋敷の住人だ!」
侯爵家である我が家より格上のノクターン公爵家跡取りにも物怖じしない兄、そしてそんな幼なじみを軽い言葉であしらう婚約者は、瞬く間に火花を散らす。二人は私が産まれる前から友人関係だったらしいが、この日のような言い合いは今に始まったことではない。
なぜかいつも私のことで喧嘩をするせいで、二人は周囲から余程の不仲なのだと思われている。しかし私だけは知っている。二人が本当は、深い絆で結ばれているということを――。
まだ新刊を読めずに死んだという事実を受け入れられずにいた幼い頃、見てしまったのだ。二人が頬を染めながら恋の話に花を咲かせているところを。
『どうしたらもっと僕を意識してくれるんだろう……』
『たくさん甘えられたいなんて言ったら、俺のこと嫌いになるかな……』
あの憂いを帯びた瞳は間違いなく互いを見据えていた。つまり、二人はいがみ合いながらも愛し合っているのだ。けれどキース様には両親が定めた私という婚約者がいるため、互いに素直になれないでいるのだろう。二人の愛を妨げている自覚はあるが、私個人の意思で婚約破棄などできないから困っている。
どうか二人には幸せになってもらいたい。だから私も策を考えているのだが、私が転生したこの世界にはいくつか不可思議な点があった。それは、屋敷の書庫にある歴史書や童話をいくら読んでも、同性愛に関する記述が一切ないこと。
この十五年間、毎日のようにBLについて妄想してきた。お兄様とキース様というBLの供給が身近にあることで生きる希望を見出した私は、文字が読めるようになった頃には人目を盗んで全年齢作品を探すようになる。けれど、何年経っても一切の成果が得られなかったのだ。
かといって、誰かに聞くこともできない。同性愛について家庭教師や家族に聞けば『なぜそんなことを聞くのか』と怪しまれるに違いないからだ。私が腐女子であることはべつに知られても構わないけれど、そのせいでお兄様とキース様の関係に溝ができてしまう可能性もある。それなら下手に探りを入れるべきではない。
しかし二人のため、そしてなにより私自身のためにも、同性愛の情報を入手したい。この世界の腐女子がどのように創作活動に勤しみ、忍んでいるのか。それらを知ることで私の身の振り方も変わってくるのだ。
庭園で言い争う兄と婚約者の邪魔をしないようその場を離れた私は、書斎を訪れ歴史書を読みはじめた。しばらく静かに読み耽っていたが、やはり情報はなく項垂れる。
「やっぱりない……法律の本なら一文くらいは載ってるかと思ったのに……」
本を閉じてため息を吐く。長い時間を費やして調べてきたのに、こうも情報を得られないとなると良くない考えが頭をよぎってくる。
「まさか、この世界は同性愛への軽蔑が強いのかしら……? BLの創作物を簡単には世に出せないのかも……もしそうなら同志たちは随分生きづらいでしょうね……」
どこかで悩む同志たちを想像して頭を抱える。悩んでいるのは彼女たちだけではない。私も同じである。BLが簡単に摂取できないとなると、困るのは飢えきった私なのだ。前世ではネットで検索すれば簡単にBLを摂取できた。アニメを観れば絡みのある男たちでカップリングを組ませ、創作サイトに妄想を垂れ流す腐女子たちで溢れていた。そのような世界だったから、私は飢えずに生きてこられたのだ。
それなのに、今世では飢えっぱなし。いくら残り数ヶ月で成人するとはいえ、成人後の希望が見い出せないのでは意味がない。兄と婚約者のこともあるし、一つでもいいから同性愛についての情報を得たい。
「うぅ〜……BLが……足りん……」
飢えきった気持ちを吐露して机に突っ伏す。結局そのまま眠ってしまい、その日を終えてしまった。
***
「それでは行ってきます、お父様」
「あぁ、行ってらっしゃい。気をつけるんだよ、フィローリア」
「はぁい」
父に手を振り馬車に乗り込むと、エスコートをしてくれたキース様が隣に腰掛けた。普通は対面して座るのでは? と疑問を抱きながらも、まぁいいかと外を見る。父が寂しそうに手を振り続けているのが見えて、呆れた気持ちでまた手を振り返してあげる。
「日が暮れる頃には帰るのに、どうしてあんなに寂しそうなんでしょう……」
「キミが可愛いから心配なんだよ」
「キース様もそばにいらっしゃるというのに、本当に過保護ですよね、私の家族は」
「僕だって同じさ。キミが出かけると聞いてすぐに付き添いを申し出たんだから」
「まぁ……キース様も過保護なんですね」
「それだけが理由ではないけどね」
「?」
今日は兄が教師として働く女学院に向かうことになっている。準貴族や貴族の中でも位の低い身分の十代少女たちが成人まで通う学園で、侯爵家の息女である私には無縁の場所だ。ある程度位の高い貴族は、優秀な家庭教師を雇って子供たちに教育を受けさせるため、学園に通う必要がないのである。
そんな場所になぜ私が向かうことになったかというと、兄に招かれたからだった。「せっかくだから見学でもしにおいで」と朝方、出勤前の兄に言われたのでこうして昼前に屋敷を出たのだ。
「それにしても、お兄様ったらどうしていきなり教師なんて始めたんでしょう。いつかは侯爵家を継ぐというのに」
「ん〜? ふふっ、それはフィローリアの一言が原因じゃないかな」
「えっ、私の? 何か言いましたっけ?」
二十三歳の兄は今年から学院で働くことになったのだが、なぜ侯爵家の後継者である兄が働きに出たのかと前々から不思議に思っていた。キース様いわく、理由は私にあるようだ。
「以前レオに同年代の友人がほしいと嘆いていただろう?」
「はい。社交界に上手く馴染めないことを相談した際に」
「それだよ」
「それ?」
上辺だけの関係が渦巻く社交界は元庶民の私には合わなくて、最近はあまり顔を出していない。ゆえに友人もおらず、そのことを兄に相談したらにっこり笑って「任せなさい」と言っていた。そのことと女学院が何か関係があるのだろうか。
顎に指を置いて、うーんと考えている私にキース様は肩を寄せてくる。
「レオは、キミに同年代の友達を作ってあげたいと考えて教師になったんじゃないかな。侯爵家後継者のアイツにとって必要のない仕事でも、キミの欲しがるものを与えるためなら就職だってできるんだろう」
「えぇ? そんなことで?」
「そんなことさ。アイツは昔からキミのことになると、とてつもない行動力を発揮するからね」
「私はそんなふうに思いませんが……」
「キミはもっと愛されている自覚を持った方がいいよ」
楽しそうに、そして少し意地悪そうに笑うキース様は兄を思い浮かべているのだろうか。天を見てクスクスと笑い声を漏らしている。
兄が私を想って行動しているとは、全くもって想像したことがなかった。大好きだ、愛してる、とよく口にはされていたが、この世界では家族への愛情表現が頻繁に口にされるだけだろうと受け流していた。私はただ友達がほしいというより、同志と出会いたいという欲望を胸に相談してみただけだったのだが、兄を利用してしまったようでなんだか申し訳ない。
「まぁ、キミのような可愛い妹がいたらなんでも叶えたくなる気持ちも分かるけどね。僕のような、婚約者という立場を利用してしつこく付き纏ってくる悪い虫を追い払いたくなる気持ちも」
「え?」
「ん?」
何気なく呟かれた言葉に反応すると、キース様はその美しい瞳に私を映す。どういう意味かと聞き返そうとして、口を噤んだ。意味はすぐに理解できたから。
……キース様は私を理由にして頻繁に屋敷を訪れていたけれど、全てお兄様に会うためだったのね。そして、兄が私に近寄る自分を追い払おうとしているのだと勘違いしている。
お兄様が自分のことを愛しているだなんて、微塵も思っていないんだわ。
理解した途端、自分の浅はかな言動に嫌気がさす。妹だからと兄の愛を一身に受けられるのにその自覚がなかった私に対し、『愛されている自覚を持った方がいい』なんて言葉、一体どれほどの諦めと嫉妬を込めて放ったのだろう。彼にとってお兄様は、それほど愛おしい存在なのだ。
ならば、私もより一層努力しなくては。兄とキース様が私のことを理由にしなくても堂々と愛し合えるよう、この世界の同性愛に関する情報を集めるのだ。きっとそれは私にしかできない。決意を込めてキース様を見つめると、嬉しそうな微笑みが返ってくる。そのとき私は確信した。キース様は受けだ、と。
大好物のすれ違いBLという要素を兄とキース様に見出した頃、馬車は女学院に到着した。馬車を降りると待ち構えていた兄が駆け寄ってくる。
「フィローリア! どうしてキースも一緒なんだ……!」
私の腰に添えられたキース様の手を振り払った兄は、いつものように私とキース様の間に入る。
「今日フィローリアが学園を訪ねることは、お前には伝えていなかったはずだが?」
「愛する婚約者がいつどこで何をするかなんて知っていて当然だろ?」
キース様のわざとらしい挑発で、二人はまた睨み合いをはじめる。守るように私を背中に隠す兄は、これでもかと眉間に皺を寄せている。私とキース様の距離が近いことが気に食わないのだろう。そんなに彼を愛しているなら、もっと素直になればいいのに。
わざと挑発して兄の気を引くキース様と、挑発にのるフリで私とキース様の間に割り込む兄という両片想いの二人を放置して、私は学園に足を踏み入れた。女学院というだけあって、静かで清浄な空気が漂う。穏やかな風に頬を撫でられて少しくすぐったい。
ここに同志はいるのだろうか、とぼんやり考えながら校舎を見つめていると、兄が焦った様子で呼びかけてくる。
「フィローリア……! 案内するから一人でどこかに行かないでくれ!」
「べつに置いていったりしませんよ、お兄様」
「いつも気がついたらいなくなってるじゃないか……」
「そうですかぁ?」
いつの間にか隣に立っているキース様は、またも私の腰に手を添えようとして兄に叩かれる。
「痛いよ、レオ」
「お前がフィローリアに触れようとするからだ」
俺以外に触れるな、ということだろうか。そんな言葉では傷付けてしまう、とキース様を見るとやはり眉が垂れていた。
「横暴だなぁ……」
呟かれた言葉には不満が滲んでいる。しかし兄は眉間に皺を寄せて睨むだけ。素直になれない者同士だからキリがない、とため息を吐いて「さぁ、行きましょう」と声をかけると二人ともようやく前へ進みはじめた。
美男二人に挟まれて校舎の中へ入ると、美しいステンドグラスに出迎えられる。光が差し込むステンドグラスは虹色に輝いており、その下を少女たちが歩いていた。黒い制服姿の少女たちはコソコソと話しながらこちらを盗み見ている。
「アレニウス先生だわ……今日も麗しい……」
「ねぇ、あの金髪の美男子は誰……? とっても綺麗……」
頬を染めながら私の両隣にいる美男子を交互に見つめる少女たちは、たぶん今の私と同年代だろう。初々しく美男子たちに見惚れる姿が、とうの昔に失ってしまった純粋さを思い出させる。しかし、そんな彼女たちの熱い視線を二人は気にしていなさそうだ。
「さぁ、フィローリア。場違いな婚約者殿には応接室で待ってもらって、俺たちは向こうに行こうか。フィローリアと仲良くなれそうな学生たちに集まってもらってるんだ」
「え?」
集まってもらってるとは? と問いかけようとして兄に手を引かれる。右側の通路へ進もうとする兄の力に抗うこともせず、疑問に思いつつも流れに身を任せると、途端に反対方向へ体の重心が偏る。もう片方の手をキース様に引かれたようだ。
「待てよ、レオ。なんで僕だけ応接室なんだ?」
「生徒たちにはフィローリアのことしか話していないんだ。公爵家の人間が突然現れたら、事情を知らない生徒たちが驚いてしまうだろ」
「じゃあ事情を説明したらいいだろ?」
「なんで俺がそんなことをしなくちゃならない」
兄の喧嘩腰な態度に呆れた表情を浮かべるキース様は、またか、と息を吐いた。
「まったく……レオはいつになったら僕をフィローリアの婚約者だと認めるんだ」
「一生認めるわけないだろ。お前みたいな軽薄な男」
「僕のどこが軽薄なんだよ。フィローリアを一目見たときからずっと気持ちは変わらないのに」
「いいやそんなわけない! 昔からたくさんの令嬢と噂があっただろ!」
「だからぁ、全部誤解だって言ってるじゃないか」
「信じられるか!」
兄は額がくっつくほどの距離でキース様に詰め寄るが、キース様はというと呆れた様子で全ての言葉を訂正している。思い込みの激しい兄をあしらうのはきっと大変なのだろう。兄としては、想い人に女性との噂が絶えないことが不満なのだろうが。
「どうしてレオはいつもいつも人の話を聞かないんだ」
「お前だって俺の言葉を真剣に受け止めたことないだろうが!」
「それはレオがろくなことを言わないからだよ」
「なに――!?」
結局また二人の言い争いはヒートアップしてしまい、収拾がつかなくなってしまった。手を解放された私は、女学生たちの視線も厭わずイチャつく二人を少し眺めて歩き出す。二人きりにしてあげよう、と私なりの配慮だった。
近くにいた女学生に訊ねて図書室の場所を教わり、二人が満足するまで同性愛の情報でも集めようかと二階の図書室へ向かった。大きく豪華な扉を開け中へ入ると、階を移動しても聞こえていた兄と婚約者の声が完全に聞こえなくなる。
「立派な図書室……ここなら一つくらいは情報があるかも」
壁びっしりの本棚に並べられた古そうな歴史書を見上げ歩くと、トン……とやわらかい何かにぶつかった。ぶつかった何かは「きゃあっ!」と声を上げて地面に転ぶ。声がしたということは人にぶつかってしまったのだ、と理解してすぐに「ごめんなさい!」と謝罪する。地面を見ると、メガネをした大人しそうな少女が尻もちをついていた。その周りには無数の紙が散らばっている。
「本当にごめんなさい! よそ見をしていて……すぐに拾うわ!」
「い、いえそんなお構いなく……あぁぁ!! ダメです拾わないで――!!」
制止の声を無視していくつか紙を拾い上げると、そこに描かれた絵に目が止まる。絵画のようなリアルで美しい――美男子二人が唇を合わせた絵。
「……これ、もしかして男同士?」
つい無神経に言い放ってしまい、慌てて顔を上げると案の定メガネの少女は青い顔をしていた。
「ごごごごめんなさい!! なんでもするので言わないでください!! 一生奴隷にだってなるのでどうか家族だけはお救いくださいお願いします!!」
青い顔のまま地面に頭をつける少女に、謝罪されるいわれのない私は「違うの落ち着いて!」と声をかける。しかし、少女は激しく身体を震わせて落ち着けない様子だった。
「誰にも言わないし、奴隷にだってしないわ。関係ないあなたの家族を害したりもしないから、どうか落ち着いて」
「で、でしたら口止め料をお支払いします!」
「口止め料!?」
誰にも口外しないと言っているのに、どうしてそこまで怯えるのかと疑問を抱く。確かに腐女子であることが周囲に知られたら白い目で見られるかもしれないが、金銭の要求や家族を害されるほどの弱みにはならないはずだ。
「口止め料もいらないから、本当に落ち着いて? 私はあなたの敵じゃない。むしろ、やっと出会えて嬉しいんだから」
「……え?」
「ずっと会いたかったの……私も、あなたと同じだから」
恋い慕うかのように手を握れば、メガネの少女はなぜかもっと青い顔をする。
「も、ももももしかして……あなたも同じ趣向の方ですか……?」
「えぇ、BL……ボーイズラブをこよなく愛する者よ」
「そんな……!」
あれ? 同志と出会ったときの反応ってこんなだっけ?
さらに顔色を悪くする少女は、目の前のことでいっぱいらしく、この世界にはない『BL』という言葉をすんなり受け入れて絶望している。やっと同志に出会えたのに絶望されてしまい、嬉しかった私は複雑な心境になってしまう。
「ど……どうしよう……! こんなこと知られちゃいけなかったのに……よりにもよって同罪の方と出会ってしまうなんて……!」
「同罪だなんて大袈裟ね……私はゼロ歳の頃からそうだっていうのに」
「意思を持つ前からですか!? 終わってます!!」
「終わっ……」
容赦ない言葉に思いがけず傷付いてしまった。すぐに「あ、すみません……」と謝罪されたが、当分気にしてしまいそうだ。
「ねぇ、どうしてそこまで気にするの? 同志と出会えることは素晴らしいことじゃない! 好きなカップリングの話をしたり、人気の物語でお互い妄想を膨らませたり、現実の男性を眺めながら『受け』か『攻め』かなんて議論したり、楽しいことばかりできるのよ! だからもう絶望するのはやめて、私とお友達になりましょう!」
名前は? 出身はどこ? 年齢はいくつ? と矢継ぎ早に質問を投げかけていると、少女は困り眉で質問を返してきた。
「……あ、あの……もしかして知らないんですか? 私たちが罪を背負った者だということを……」
「罪だなんて言いすぎじゃない? 私たち、そんな悪いことはしてないでしょ?」
「してます! してるんです! たった今!」
「えぇ?」
ただ事ではない雰囲気の少女に圧倒され、なんだか悪いことをしてるような気分になってきた。
「どうして?」
問いかけてみると、少女は周囲を見渡して人がいないことを確認する。そして声を潜めた少女は、世間知らずな私に告げた。
「……我が国では同性愛は禁忌だからです。同性愛に纏わる話題すら犯罪なんですよ」
「…………へ?」
「貴族なら家族も含めて断罪され、没落待ったなしです」
――体中が、急速に冷えていく。
***
メガネの少女はエメリ・フィジャーノンと名乗った。フィジャーノン男爵家の三女で、私と同い年らしい。同志が同い年なんて飛び跳ねて喜ぶところなのに、私は喜べないでいた。なぜなら、長年追い求めていたものが禁忌であると知ってしまったから。
「どの歴史書にもそんなことは書いてなかったのに……」
「同性愛に関することは書籍に記載することも禁じられているので……」
「つ、つまり……創作物も一切ないということ……?」
「もちろんです……創作行為も裁きの対象になります。それを世に出して布教しようものなら、死罪もありえます」
「そ、そんなぁ……」
膝から崩れ落ちる私を慌てて支えようとするエメリだが、体はユルユルとエメリの腕をすり抜けていった。
「酷い……酷すぎるわ……一体誰がBLを禁忌だなんて決めたのよ……相手が誰だろうと愛は美しいものでしょ……」
「決めたのは五代前の王らしいです。女性顔だった王を夜這いしようとした家臣がいて、そのことが心底不快で禁忌に定めたのだと聞きました」
「不憫ではあるけど、なにもそこまでしなくたって……」
前王のことすらイマイチ知らないせいでやるせない気持ちをどこにぶつけていいか分からなくなりながら、私はエメリに疑問をぶつけた。
「ねぇ、エメリは一体どこでこのことを知ったの? 歴史書にも記載がない、誰かが口にすることもない禁忌なんて、私は今の今まで知らなかったわ」
「幼少期に一度だけ母が教えてくれたんです。知らない間に罪を犯さないようにって……結局、隠れて手を染めてしまいましたが……」
「他の国民たちは?」
「大きな声では言えませんが、同じように両親に教えられることがほとんどらしいです。要はバレなければいいので」
それならどうして私は教えられなかったの? そんなことをエメリに聞いても意味はない。それに、なんとなく察することができる。
過保護な兄と父のことだから、きっと初めから知らない方が興味を引かれることもないだろうと考えたのではないだろうか。だから世間知らずなまま、放置しておいたのだろう。しかし、私には腐女子であった前世の記憶がある。それもハッキリと。
中学生の頃、両親と訪れた古本屋でBL本を見つけたときから、私は腐女子になった。数々のBLで喉の乾きを潤してきた私にとって、BLはなくてはならない生活飲料水のようなもの。あえて禁忌について教えられなかったのだとしても、生まれた瞬間からそれらの記憶を保持していたから残念なことに今世でも腐女子である。
どうしてこれほどの大事なことを教えてくれなかったのか、と家族を責めたい気持ちも少しだけ芽生えかけたが、私を犯罪から遠ざけようとしてくれたのだから文句は言えない。それに、家族はなにも悪くないのだ。生まれた瞬間から腐女子である方がおかしいのだから。
BLの供給が今後一生ないという事実に落胆し、深く息を吐く。エメリはそんな私を心配そうに見つめながらも、周囲を警戒していた。誰かに見つかれば二人そろって即刻人生終了だから、気が抜けないのだろう。
「……教えてくれてありがとう、エメリ」
落胆の声はそのままに感謝を告げると、エメリは申し訳なさそうに頷く。
「でも、どうしてエメリは犯罪だと分かっていてこの絵を描いたの?」
「そ、それは……」
露骨に言い淀むエメリは瞳を泳がせる。私は手にしたままだったエメリの絵を見つめ、素直な感想を述べた。
「この絵、すごく素敵よね。男同士の葛藤とか、愛しているけど素直に愛が伝えられないお互いの心が、表情からよく伝わってくる」
まるでどこかの誰かたちみたい、と身近な二人を思い浮かべる。
私の感想に頬を染めたエメリは、言い辛そうに理由を教えてくれた。
「実は……昔読んだ童話に心優しい青年と意地の悪い青年が出てきて、その二人が付き合ったら素敵だなぁ……と子供心に思ったら、いつの間にか大量の妄想が絵になっていたんです……」
それ以降やめようにもやめられなくて、と怯えながら犯罪常習犯のような口振りで教えてくれるエメリ。実際この世界では犯罪常習犯扱いされるのだろうが、私からしてみれば腐女子の鏡だった。
「素敵ね、エメリ。私はあなたを尊敬するわ」
「えっ……?」
にこやかに告げると、エメリは混乱を表情に出す。
「犯罪かどうかなんてどうでもいいわ。私はあなたのしていることを素晴らしいと評価するし、これこらも続けてほしいと思う。そして、同じ趣向と苦しみを分かち合えるあなたと友達になりたい」
「フィローリア様……」
「ねぇ、エメリ。私たちきっと仲良くなれるわ。腐った者同士、趣向がズレてぶつかり合うときもあるかもしれない。けれど、同じ目線で同じものを見て密かに語り合えることは、この上ない幸せな時間として心に残るはずよ。そんな関係を、あなたと築いていきたい」
訴えかけるように瞳を見つめると、周りを気にして怯えていたエメリの瞳は輝きを放つ。メガネ越しでも分かる、美しい新緑のようなエメラルドグリーン。二つに結ばれた艶やかな黒髪を解けば、恐らく美人だろうと想像は容易い。
「……だ、誰にもバレないのであれば……私も、フィローリア様とお友達になりたいです……!」
笑顔で応えてくれるエメリに私も微笑みを返す。すると、少し騒がしい廊下から私を呼ぶ声が聞こえた。兄の声だ。
「フィローリアー! どこにいるんだ、フィローリア!」
心配が諸に滲み出た声から、兄が必死に私を探しているのだと理解できる。
名残惜しかったけれどエメリに事情を説明し、必ず手紙を書くと伝え、私は兄の元へ戻った。
***
女学院訪問から数日経ってエメリに手紙を送ると、すぐさま返事が届いた。
『フィローリア様、先日は醜態をお見せして申し訳ございませんでした』
丁寧な字で書かれた謝罪文と化していたが、BLのことを手紙に記すわけにはいかないから仕方がない。それにどこかエメリらしい。
返事を貰ってまたすぐにその返事を書いて送ると、使用人からそのことを聞いた兄が嬉しそうに部屋を訪ねてきた。
「お兄様のおかげでとても素敵な友達ができました」
そう礼を言うと、兄の顔が優しく綻ぶ。その顔をキース様にも見せてあげればいいのに、と想いの伝わらない婚約者に同情してしまう。
そのまま兄が外出し、父も執務にあたっており、婚約者も珍しく訪れない昼下がり、崩れかけの空を見つめぼんやりと考えた。これから何を楽しみに生きていけばいいのか、と。
私にとって生活飲料水ともいえるBLが得られない人生がくるだなんて、夢にも思わなかった。全年齢向け作品がないだけで、成人向けはあると勝手に思っていたのだ。多くの腐女子が睡眠を削り切磋琢磨して、日々新たな萌えを生み出しているに違いない……そんなふうに思っていた自分を殴りたい。
こんなことなら前世の記憶なんて持たずに生まれてくればよかった。そう頭の中で嘆いて、すぐに考えを改める。どうせまた小さなきっかけでBLに目覚めるに違いない。そして結局今のように禁忌を知り絶望するのだ。
窓越しにポツポツと雨が降るのが見える。しばらくすると、崩れかけだった天気は一気に土砂降りへと変わってしまった。激しい雨の音に聴覚を支配された瞬間、私は思う。
長年愛してきたものを、そう簡単に諦めてたまるか――!
勢いよく筆をとり、真っ白な紙に向かう。その紙に筆を走らせ描いたものは、身近な男たちの恋愛模様。もちろん、あのモダモダすれ違い恋愛中の兄と婚約者だ。
「フ……フフッ……これで私も正式に犯罪者ね……」
漏れ出る笑みを抑えることもなく、兄と婚約者のキスシーンを描いていく。こう見えて絵心はある方だ。
少しして完成した絵は、エメリに比べると稚拙だけれどきちんとBLという形になっている。前世でも何度か創作に挑戦していたからか、自分の思い描くものが映し出せると満足度は高い。
「そう……そうよ……ほしいものが得られないなら自分で作るしかない……。たとえ法を犯してでも、自分の底知れない欲を満たすにはこれしかないわ!!」
誰も聞いていないのをいいことに、筆を天に掲げ宣言する。
「エメリ!! 私はあなたと共に歩くわ!! 苦しく険しい〝腐女子道〟をね――!!」
瞬間、大きな落雷が遠くの山に落ちていった。
また紙に向かい、雨の音を聴きながら創作に没頭する。頭の中の兄と婚約者は抑えきれない愛が爆発してすったもんだしている。笑みを漏らしながらそのシーンを描き殴っているうちに時間を忘れる。遠くから微かに人の声が聞こえるが、私の意識は目の前のBLに集中していた。そのせいで、扉が開けられたことに気付かなかった。
「フィローリア? また手紙を書いているのか?」
後方から突如兄の声がして振り向くと、外出していたはずの兄が部屋の中に足を踏み入れていた。
「おっ、お兄様!? いつお帰りになったんですか!?」
「ついさっきさ。帰ってきてすぐにノックをしたけど返事がなくて、倒れでもしているのかと思って扉を開けてしまった」
すまない、と眉を下げる兄の後ろから、来る予定でなかったはずのキース様も顔を出す。
「せっかく顔を見に来たのに、愛する婚約者に出迎えられなくて寂しいなぁ」
「キース様も!? 今日はいらっしゃらないと聞いていましたが!?」
「少し時間が空いてね、どうしてもフィローリアの顔が見たくて来てしまったんだ」
なんというタイミングで……と地面に視線を映すと、恐ろしい数の紙が散らばっている。全て兄とキース様のすったもんだしている絵だ。
――まずい! 見られたら終わる!
犯罪者一日目で全てが終わったらエメリに顔向けできない!
うふふなんて笑いながら急いで拾おうとしたら、兄が穏やかな声で「こんなに書いて、友達に送る手紙で悩みすぎじゃないか?」と足元の紙を拾い上げようとする。
「ひ、拾わなくていいですから!」
そう声を上げるがひと足遅く、兄は拾い上げてしまった。
「手紙の書き方なら僕が教えてあげるよ。そうだ、フィローリア! 僕と文通でもしようか?」
「ほぼ毎日会ってる奴と文通なんかする意味ないだろ」
「分かってないなぁ、レオは。文通は面と向かって言えないことを書くんだ。会う会わないじゃなくてね」
「お前……手紙に何を書くつもりだ? 変なことを書いてみろ、俺が燃やしてやる」
「本当に厄介な義兄だなぁ」
「俺はお前の義兄じゃない! 安心しろ、フィローリア。ここは兄である俺が、直々に手紙の書き方を教えてあげ――」
言葉を失った兄の視線は、紙を持った手元で止まっていた。突然静かになった兄を不思議に思ったのか、キース様も横から紙を覗く。二人の顔がみるみるうちに曇っていくのがよく分かる。
「…………フィローリア」
「……はい」
「…………この絵は男と男……か……?」
「……はい」
違うと言ってくれ、という様子の兄の問いかけを素直に肯定する。
「…………愛を囁き合うこの二人の名前に既視感があるんだが……まさか僕とレオじゃないよな?」
「……お兄様とキース様です」
続けてキース様に質問され、それも肯定する。嘘をついたら罪が重くなるような気がして、包み隠さず答えることしかできない。
雨の音が遠くなる。本人たちに見られた、それだけならまだ痛々しい女と結論付けされるだけで終えることができるが、法を犯している以上そういうわけにはいかないはずだ。身内の兄だけならまだしも、将来夫となる公爵家の婚約者にも知られてしまったのだ。もはや婚約破棄は免れない。
……ん? いや、婚約破棄はいいかもしれない。合法的に私と別れられるなら、このモダモダすれ違い恋愛中の二人は結ばれ――ダメだ。私が許しても法が許さないのだった。
自分の未来がお先真っ暗になりつつあるというのに、呑気に二人の未来を憂いて首を振る私に、少し黙っていたキース様が問いかける。
「フィローリア……キミは、同性が好きなのか……?」
「ほぇ?」
どうしてそんな話になるのか、とマヌケな声を出すが、キース様の表情はいたって真剣に見える。
「いえ、私は同性が好きなわけではありません」
「そ、そうか……よかった」
ホッと溜め込んでいた息を吐き出すキース様は、なぜか安心したようだ。
「それならどうしてこんなものを……」
酷く残念そうな顔の兄が私を見つめる。手塩に育ててきた妹がいつの間にか腐海に沈んでしまっていたことが相当ショックなのだろう。兄の悲しみを察し、私は心からの謝罪を口にした。
「ごめんなさい、お兄様……私、お兄様にこんなに大事にしてもらったのに……大変な過ちを犯して、呆れさせて……」
欲に溺れ、家族も共に裁かれてしまう可能性もある罪に手を染めてしまった。自分の欲を満たすためだけの、醜い罪だ。ようやくやってきた罪悪感に体をすくめると、兄は「違うんだ!」と走って私の体を抱き寄せた。
「フィローリアを責めてるんじゃない。俺はお前を愛してるんだ。責めたりなんかするもんか」
「でも、私は犯罪に手を染めてしまったんでしょう……? キース様にも知られてしまいましたし、然るべき罰を受けなければいけないのでは……?」
「いつかは同性愛について知るときがくるかもしれないと分かっていて言わなかった俺の責任でもある。お前一人の罪じゃない」
「お兄様……」
いつもの穏やかな兄の声。温かな腕に包まれると、罪悪感は薄れていった。兄の横から顔を覗かせるキース様も、私の頭を優しく撫でる。
「レオの言う通りだ。キミの趣向を知ったくらいで、簡単に政府になんか差し出したりしないよ。それに、キミがいなくなったら僕は一生結婚できない」
「そんなことありえません」
「いーや、一生しないね。僕の婚約者は、初めて僕の心を見てくれたキミしか有り得ない」
美しい顔でウインクするキース様は、納得のできない私に顔を近づける。
「今日から僕らは共犯だ、フィローリア。僕らが絶対にキミを守るよ」
自信ありげに笑みを浮かべるキース様に、兄も深く頷いた。私を見逃すことで自らも罪を犯すことになるというのに、二人の瞳はまっすぐ私を見据えている。二人の想いが心に染みて、胸が温かい。
「……その、俺が聞きたいのは、なぜ俺とキースが気色の悪い関係だと誤解してしまったのかということで……」
「気色悪いだなんて、そんな酷い言葉で自分の気持ちを否定するのはやめてください!」
「自分の気持ち?」
抱き寄せてくれていた兄の体を押して、悪いと思いつつも二人の想いを勝手に打ち明けることを決意する。
「私、実は知ってるんです。お兄様とキース様が想い合っているってこと」
「「……は――?」」
ちょっと待て、なんのことだ、とそれぞれ隠していた気持ちを勝手にバラされたからか惚けている。
「昔、庭園の奥で二人が話しているところを偶然聞いてから、二人はお互いに愛し合っているのだと確信したんです」
「い、一体なにがどうしてそんな勘違いを……」
呆然とする兄の目は点になっている。
「お兄様は『たくさん甘えられたいなんて言ったら、俺のこと嫌いになるかな……』と言っていました。この言葉はつまり、キース様にもっと心を許してほしいという意味ですよね」
「いや、それは多分フィローリアのことを――」
「キース様は『どうしたらもっと僕を意識してくれるんだろう……』と言って、遠回しにお兄様へ『僕を見てほしい』と伝えていたんじゃありませんか? 婚約者である私を理由にして頻繁に我が家を訪れることで、鈍感な兄の心を引こうと必死だったんですよね」
「待って、僕が気を引こうと必死だったのはキミ――」
「二人とも素直になってください! 私は二人の仲を引き裂いたりなんてしませんから!」
必死に否定しようとする二人の声を遮ると、二人は困ったように顔を見合わせる。その困り顔の理由は、互いの想いを知ってしまった混乱からくるものだろう。まったく、満を持して打ち明けたというのにまだすれ違おうとしているのか。呆れてため息を吐く私に、二人はまた声を重ねる。
「フィローリア……聞いてくれ。俺たちは愛し合ってなんかない。それも恋愛だなんて以ての外だ!」
「そうだよ。僕が愛してるのはフィ――」
「おい! その言葉は言わさないぞ! どさくさに紛れて引き寄せようなんて卑怯な真似は許さん!」
「どこが卑怯なんだよ。フィローリアが素直になれって言うから、素直な気持ちを告げようとしただけじゃないか」
またはじまった……と恒例の展開に開いた口が塞がらない。私が二人の気持ちを代弁までしたというのに、二人はまだ互いの想いを否定し合っているようだ。同性愛が禁忌だからか、それとも意地になっているのか分からないが、二人が結ばれるのはまだまだ先なのだろう。すれ違いBLは主食だが、こうもすれ違い続けるとさすがに呆れてしまう。
「二人とも、いつか強がるのをやめて気持ちをさらけ出せるといいですね……」
「「フィローリア?」」
「安心してください。私は二人の恋を応援します!」
「なんでそうなるんだ!?」
「応援しなくていいよ。恋じゃないから」
「いいえ、二人は想い合っています! 私には分かるんですからね!」
「「だから違う――!」」
二人の否定を聞き入れず、半ば強引に気持ちを断定する。絶賛すれ違い中の兄と婚約者はやはり認める様子はないが、そんな二人を横目に私は決意した。いつか、BLが禁忌のこの世界を変えてやる――と。
様々な壁のある兄と婚約者が安心して結ばれる世界を作るため、そして苦しむ友人が大きな声でBLを語れる未来を描くため、どこかに存在する同志たちが素晴らしい作品を生み出せるよう、私は世紀の大犯罪者になる! そして、王に必ずBLを認めさせてやるのだ。
「フィローリア、お願いだから俺の話を聞いてくれ!」
「僕に男色の趣味はない!」
「俺もないぞ!」
後ろで何か言っている二人を放置して、私は天に拳を掲げた。
「よーし! BLを布教しまくって、法律なんかぶっ壊してやるー!」
「「聞いてくれ、フィローリア――!」」
かくして、腐女子大戦争は幕を開けたのだった。