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「最近、殺しができなくてイライラしてたんだ。だが、賞金稼ぎは返り討ちにして良い。って契約だからな」
鬼殺しが、倒れ伏した私を見下ろしながら語る。
やはり、雇い主に制限をかけられている……!
だが、この様子なら、あと数日も持たずに我慢の限界が来ていただろう。
その点では、標的が私で良かったと言うべきか。
「……って、お前……女か?」
驚愕の色を浮かべた鬼殺しが、まじまじと私を見つめる。
どうやら、男だと思っていたらしい。
しかし、その驚きも一瞬だった。
彼はすぐに、口元を歪めて獰猛な笑みを浮かべる。
「ただ娼婦を抱くのにもあきた。オンナは壊しながら犯すのが1番だよなぁ!」
変態め!
殺されるのは良いが、犯されるのはまっぴら御免だ。
だが、今はまだ何もできない!
「なんだぁ?」
鬼殺しの、いっそ間抜けにも思える呟きが響く。
視線の先に目をやると、そこには闇があった。
薄暗い路地裏とはいえ、真昼のこの時間に、先の見通せない深い闇。
ただの影ではない。何かがそこにいる。
そして、そこから溢れ出す魔力の奔流。
私は息を呑んだ。
一流の魔法使いである兄上を、常に間近で見ている私でさえ、桁違いと思えるほどの圧倒的な魔力。
それを、鬼殺しも感じ取っているのだろう。
彼の体が、小刻みに震えている。
闇は徐々に輪郭を持ち――やがて獣の形を成した。
黒いウルフ。
――ウルフは知っている。
見たこともあるし、討伐したこともある。
街道沿いに現れる群れの討伐に駆り出されたこともあった。
そんな、見慣れた怪物だ。
大きな個体では、体長が人の背丈を超えるものもいるという。
だが――コイツは、体高が人の背丈を超えている!
なんでこんな怪物が、こんな路地裏に……
いや、それ以前に――王都の中に、どうしてこんなものが!?
「――奈落の牙」
ボソリと鬼殺しが呟いた。
そうか、コイツが奈落の牙!
実在したのか――!
「チィッ!」
鬼殺しは踵を返し、一目散に逃げ出した。
――それは当然の判断だろう。
いかにオーガを単独討伐した力自慢の元軍人とはいえ、
この怪物に勝てる見込みなど、微塵もない。
もしかしたら、第3騎士団が総出で挑んだとしても――
勝てるかどうかは怪しい。
それほどまでに圧倒的な存在感が、この怪物にはあった。
そして、その怪物は逃げる男に向かって闇を――
いや、影を伸ばす。
「な、なんだコレは!?」
瞬く間に影は鬼殺しの全身に絡みつき、その動きを封じた。
足を、腕を、そして身体を縛りつけ、締め上げる。
「ひ、ひぃぃぃぃ!」
鬼殺しの絶叫が、路地裏に響く。
そして――
奈落の牙は、悠然と近づいていき……
右脚を喰った。
絶叫が響くが、不思議と誰も様子を見に来ない。
おそらく、この怪物が結界のようなモノを張っているのだろう。
次々と四肢を喰ってゆく。
いたぶっているのか……いや、犯した罪を刻んでいるようにも見える。
そうして、生きながらに喰われ、鬼ころしの命は尽きた。
「……聞いても良いか?」
なぜ話しかけたのか、自分でもわからない。
だが、この怪物には――知性があると感じた。
少なくとも、こちらの言葉を理解するだけの知性はある――と。
根拠を聞かれても困る。
直感としか言いようがない。
『むしろ、こちらが聞きたい。何故、生きている?』
念話まで使えるとは思わなかった。
私は苦手なので、そのまま口に出して話をする。
――と、その前に。
自分の状況に、今さらながら気がついた。
「すまないが、着替えながら話をさせてもらっても良いか?」
『……かまわない。人間は、毛皮が無くて不便だな』
「すまないな。……何故生きているかと聞かれれば、特異体質――としか言いようがない。私はこの通り、死んでもある程度の時間が経てば、別の身体で復活する」
原理や仕組みなんて、私のほうが知りたい。
この体質のせいで、悪魔だなんだと迫害されたのだから。
死んだら別の身体で復活する。
つまり――私の死体はそのまま残る。
ついでに、着ていた服や装備もそのままだ。つまり、新しい私は何も身につけていないのだ。
話をしながら、私は自分の死体から服や装備一式を剥ぎ取り、順番に身につけていく。
……だが、この死体も後で何とかしないといけないな。
今はいい。後回しだ。
この体質のせいで、親から見捨てられ、養育を放棄されて――
何を喰って生き延びたのかなど、思い出したくもない。
だが、この体質のおかげで、モンスターの襲撃で村が滅んでも生き残った。
――いや、正確には一度は喰われたのだが。
それでも、結果として生き残り、今の養父に拾われたのは、幸運と言っていいだろう。
今の養家の皆は、この体質を周囲に隠しつつも、神の祝福だと言ってくれる。
とてもそうは思えないが――
彼らが言うなら、少しずつでも受け入れても良いかもしれない。
そんな身の上話を語り終える頃には、着替えも終わっていた。
「そちらの問いには答えたので、こちらからも良いか?」
『何を聞きたい?』
私は一呼吸置いて、尋ねる――。
「お前が奈落の牙なのか?」
いや、違う。
本当に聞きたいのは、このことではない。
──気にはなっているが。
『自分からそう名乗ったことはない。だがまぁ、そう呼ばれているらしいな』
まぁ、そうだろう。
――奈落の牙。
影を操り、人を喰らう。
これほど的確な呼び名もないだろう。
「最近、子供たちが消える事件が続発している。お前の仕業──ではなさそうだな」
言い終える前に、奈落の牙が本当に嫌そうな顔をした。
この反応なら、違うだろう。
『子供なぞ、不味いものを好き好んでは食わん』
ある意味、一番信用できる理由だろう。
「鬼殺し──先ほどの男は美味いから喰ったのか?」
『ああ、アレは美味かった。できることなら、また喰いたい。テハイショとかいう紙に描かれた奴はドイツも美味い』
味を反芻するように、舌舐めずりをする奈落の牙。
普通なら、恐ろしい、悍ましいと感じるはずだ。
だが、私は違った。
私は――思いついてしまった。
ああ、本当に、私は悪魔の仔なのだろう。
こんなことを考えつくなんて……。
「取引をしよう」
私は、そう言って手を差し出した。