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 どうやら、『鬼殺し』は毎週のように娼館通いをしているらしい。

 とはいえ、同じ娼婦に入れ込んでいるわけではなく、店もその日の気分で変え、大金を払って一番良い娘を買っているようだ。


 となれば、この色街で張っていればそのうち発見できる……が、外で張り込むのは目立つ。


 そこで、例の店で通りを見下ろせる“のぞき部屋”を借りた。ひとまずは一週間。

 高級娼館とはいえ、のぞき部屋の利用料は意外と安い──が、さすがに一晩中、一週間も借り続ければ、それなりの額になる。

 きっちり経費精算しなくては。


 張り込み初日。


 狭いのぞき部屋に腰を落ち着け、通りを見下ろす。


 部屋の中には、小さな椅子とテーブル、ちり紙、ゴミ箱、そしてのぞき窓らしき取っ手。

 どうやら複数あり、好きな姿勢で楽しめるようになっているらしい。

 のぞくまで窓が閉じている設計なのはありがたい。私が用があるのは、外なのだから。


 窓の格子越しに街を眺める。

 夜が更けるにつれ、色街は活気を増し、華やかな灯りが通りを彩る。

 その華やかさとは裏腹に、酔客が騒ぎ、喧嘩が起こり、時には盗人がすれ違いざまに財布を抜き取る。──顔は覚えた。

 街の喧騒に耳を傾けながら、私はじっと通りを見張った。


 だが、初日は空振り。


 三日目。


 鬼殺しは姿を現さなかった。

 色街の入口や、高級娼館が集まる通りを注意深く見張るが、特徴的な風貌の男はどこにもいない。


 パセルの話では、奴は性欲を長く抑えられるような男ではないらしい。

 少なくとも、二週間に一度は女を抱かねばいられないと。

 この手の話なら、娼婦の洞察は正確だろう。

 ならば、遅くとも来週には現れるはず。


 どこかで女を襲うのを禁じられているのなら、王都唯一のこの色街に来るしかない。


 だが、待ち続けるのは退屈だ。

 私がのぞき部屋でじっと通りを見張る間にも、娼館の中では嬢たちが客をもてなし、甘い囁きと嬌声が響く。

 耳に入るたびに気が散るが、今は耐えるしかない。


 五日目。


 張り込みにも慣れてきたころ、私の中に疑念が芽生え始めた。


 本当に奴はこの街に現れるのか?

 まさか、どこかで女を襲っているか、非合法の店に行っているのでは……?


 いや、そんなはずはない。

 貴族の用心棒なら、雇い主が面倒事を嫌うはずだ。

 ましてや、警邏騎士団に目を付けられている貴族なら、なおさら。

 鬼殺しはこの色街に現れる——はず。


 六日目。


 結局、この日も何の収穫もなく、空が白み始める。

 薄暗い通りには、朝の市場へ向かう商人たちが歩き出し、昨夜までの喧騒が嘘のように静まり返る。

 この街がもっとも穏やかになる瞬間だ。


 私はため息をつき、凝り固まった肩を回した。

 さすがに、このままではただ金を無駄にするだけだ。

 だが、もう少し待てば——


「あら、セレナ。今日もお疲れね」


 パセルだ。彼女は微笑みながら自然と私の隣に腰を下ろす。

 パセルとは、こうして話をするくらいに仲良くなった。普段の彼女は仕事時の妖艶さとは無縁で、今日も普通の町娘風の爽やかなワンピースを着ていた。

 長い夜が終わり、ようやく迎えた静寂の時間。


 しかし、私は落ち着かない。


 ——先日の痴態を思い出し、心臓が妙に騒がしい。

 あれ以来、パセルと顔を合わせるたびに、余計なことを思い出してしまう。

 ここ数日、夜通し聞かされてきた娼館の嬌声が、その記憶をさらに刺激するのだ。


「そっちこそ、お疲れさま」


 どうにか平静を装い、軽く微笑み返す。

 何も収穫のないまま六日が過ぎ、さすがに疲れが溜まっていた。

 パセルも毎晩客を相手にしているのだから、大変なはずだ。


「今日はどうだった?」

「成果なし。鬼殺しの姿は見えなかった」


 パセルは「そう……」と、少し残念そうに呟く。

 私も、溜息をつきながら首を回し、凝り固まった肩をほぐした。

 すると、ふとした拍子に、大きなあくびが漏れる。


「ふぁ……」


 思いきり口を開けてしまい、慌てて手で隠す。

 それを見たパセルが、くすくすと笑った。


「眠いなら、このまま寝ていけば?」

「……いや、さすがに」

「お代を気にしているの? 私の部屋なら、自由に使って良いのよ」


 そう言って、パセルは私の腕に絡みつき、甘えるように体を寄せる。

 ふわりと香る甘い匂いに、胸の鼓動がさらに速くなる。


「……冗談だろ?」

「本気よ。どうせ寝るなら、私のベッドで一緒に寝ましょ?」


 イタズラっぽい笑みを浮かべながら、彼女はそっと私の手を引いた。

 たしかに、六日間ろくに休まず張り込んでいたせいで、睡魔が限界まで迫っている。

 今から家に戻るより、ここで少し休んだ方が効率的なのは分かっている。


「……少しだけなら」


 観念して頷くと、パセルは嬉しそうに微笑み、私の手をぎゅっと握った。

 そのまま、彼女の部屋へと導かれていった——。


 ◆


 目を覚ますと、すでに昼過ぎだった。


 窓から差し込む陽の光がまぶしく、柔らかいシーツの感触が心地よい。

 昨夜——というより、明け方まで起きていたせいで、ぐっすり眠ってしまったらしい。


 本当に、パセルと一緒に寝ただけだった。

 何かされるのではと身構えていた……いや、期待していた自分が、少し滑稽に思えてくる。


 隣を見ると、パセルはすでに起きており、ベッドの傍らで髪を梳かしていた。


「あら、おはよう。ぐっすり眠れた?」


 パセルが微笑む。


「ああ、おかげで疲れも取れた」


 六日間ろくに寝ずに張り込んでいたこともあり、体がすっかり軽くなっていた。

 思った以上に疲れていたらしい。


「なら、良かったわ」


 パセルは優しく微笑むと、軽く伸びをした。

 どうやら、彼女も昨夜——いや、朝か? とにかく、ぐっすり眠れたようだ。


「ありがとう、パセル」


 私はベッドから起き上がると、彼女に別れを告げ、娼館を後にした。


 外に出ると、街はすでに昼の活気に包まれていた。

 朝の静けさとは打って変わって、人々が行き交い、賑やかな喧騒が広がっている。


 私は軽く伸びをし、深呼吸する。


 ——さて、一度本部に戻って報告書を出すか。


 そう思いながら通りを歩き始めた、その時だった。


 ふと視線を向けた先で、一人の男が娼館から出てくるのが見えた。


 ——鬼殺し。


 私は思わず息を呑んだ。


 昼間にも営業している娼館があったのか! 完全に見落としていた。

 ここ数日、夜ばかり張り込んでいた自分の失態を悔やむ。


 だが、それ以上に、こうして偶然発見できた幸運を神に……いや、パセルに感謝する。


 鬼殺しは、周囲を警戒する様子もなく、堂々と通りを歩いていく。

 今なら、自然に尾行できる。


 私は気取られないよう、雑踏に紛れながら彼を追い始めた。


 鬼殺しはしばらく大通りを歩き続けた後、やがて一本の路地へと入った。


 私も慎重に距離を保ちつつ、後を追う。


 だが、その路地は進むにつれて人通りが減り、やがて完全に人気のない裏通りへと続いていた。


 ——嫌な予感がする。


 足を止めるべきか。

 いや、今ここで見失えば、再び捜すのは困難になる。


 私は逡巡しながらも、一歩、また一歩と進む。


 そして、路地の奥へと踏み込んだ瞬間——


「待っていたぜ」


 私は、背後から首を斬られ、絶命した。

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