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「どういうことですか、兄上!」
私は怒りのままに執務室の扉を押し開け、声を荒げた。
「――ここでは団長と呼びなさい。あと、声を抑えろ。"これだから平民上がりは"と、父上が云われるのだからね」
「……申し訳ございません、団長」
父上が――と強調した兄上の言葉に、私は素直に従った。
父上の名誉に関わるとなると、私はどうしても弱い。
何もかも失った私を、すべてを知ったうえで受け入れ、養女として保護してくれたのだから。
「だが、セレナの怒りはよく分かるよ。上層部の蛆どもは、権力と金儲けのことしか考えていない」
「団長……落ち着いた声音で言えば良いというものでもないかと。あと、魔力が漏れています」
ヴェイル・デアクスト――それが私の義兄の名だ。
銀色の髪は騎士としての気品と冷徹さを感じさせ、透き通る青い瞳には、知性と鋭い意志が宿っている。
彼はデアクスト家の長男であり、将来の子爵。そして、類まれなる魔法の才能を持つ天才だった。
現在は義父から警邏騎士団の団長職を引き継ぎ、日々激務に追われている。
「ああ、すまない。なかなか、父上のように上の無理難題を受け流すのは難しいね。できることなら、この命令書を破り捨てたいくらいだ」
そう言って、兄上が指先でひらひらと揺らす命令書には、すでに修復の痕跡が見える。
……見なかったことにしよう。
「つまり、ガルシウス伯爵の関与は確定……ということですね」
「滅多なことを言うな。ガルシウス伯爵への査問を上申したら、捜査の取りやめ命令が下っただけだ」
――それはもう、答えではないのか?
「このまま引き下がるのですか?」
「先手を打たれて上層部を買収されては、打つ手はない。だが、逆にその対応の速さが解せない」
兄上が腕を組んで考え込む。
「解せない……とは?」
「子供を誘拐する目的は何だ?」
私が問うと、兄上は逆に問いかけてきた。
「それは……人身売買……でしょうか?」
言いながらも、無さそうだと思う。
「ガルシウス領の財政はそれなり以上には潤沢だ。わざわざ人身売買なんてする必要もない」
その通りだ。
鉱山のあるガルシウス領の財政を考慮すれば、人身売買の儲けなど無きに等しい。
……いや、鉱山……?
「もしや、隠し鉱山の労働力として?」
頭に浮かんだ可能性を口に出した。
普通に人足を雇えば、鉱山の産出を増やすことを国に知られる。
しかし、逃げ出すことも困難な子供を拐って働かせれば……国に納める税を払わずに着服できるのではないだろうか?
「脱税か……いや、その隠し鉱山、採掘目的で掘られていないかもしれない」
兄上は何かに気付いたようだ。
「セレナ、そこの棚にある地図を出してくれ」
私は言われるがままに、示された棚からこの国の地図を取り出し、広げた。
「ここだ」
兄上が地図のある一点を指で示した。
「……とはいえ、今はどうにもならん」
私は驚いて兄上を見た。
「動かないのですか?」
「動けない、の間違いだな」
兄上の声は苦々しく、そして悔しげだった。
確かに、上層部が買収された今、騎士団が正攻法で動ける状況ではない。
「ならばどうするのですか?」
兄上は一度目を閉じ、そしてゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……通常業務だ。情報提供があった賞金首がいる」
そう言って、兄上は手配書を差し出してきた。
「娼館にソイツが現れたらしい。……そんな顔をするな。こちらも重要な任務だ」
「いえ、それは分かるのですが……娼館なら、兄上の方が適任では? なぜ女の私が?」
「セレナなら問題ないだろう」
そう言われては、期待に応えないわけにはいかない。
「承りました。団長はどうするのですか?」
兄上はほんのわずかだけ微笑みを浮かべた。
「……そうだな……このところ激務だったからな、休暇だ。釣りや遠乗りでも楽しむさ」
どちらも、兄上の友人である他の団長たちの趣味だ。
兄上は何も諦めてはいない。
なら、私は私にできることをするだけだ。
「ごゆっくり休暇をお楽しみください」
そう、私は激励を送った。