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浴衣と冬桜

作者: 水無飛沫


バスを降りれば、農道と冬の田んぼしかないような殺風景な場所だった。

木枯らしがヒューと音を立てて泣いている。


田舎にある祖父の家を訪れる。

最後に来たのは祖母の葬式の時だった。

あれからもう何年も経ってしまっている。


誰も手入れをせず、もはや廃屋と成り果ててしまった家に上がり込み、仏壇に手を合わせる。

祖父母や曾祖父の遺影を眺め、しばらく来なかった非礼を詫びる。


風を受けてガタガタと音を立てるガラス戸には、馴染み深い場所であっても少し肝が冷やされる。

このまま帰るのもなんなので、電気も水も通ってない家の中を見て回ることにした。


祖母の手伝いをした台所。彼女はちょっとした手伝いでも大げさに喜んでくれたから、しきりに手伝えることを探したっけ。

子どもの頃はすっぽり体が入ってしまうほどに大きなタライの置かれた風呂場。よくこのタライをお風呂代わりに使ったなぁ。

親戚や従兄たちとトランプをして遊んだテーブル。毎晩のように深夜まで遊んでは厳格な祖父に怒られたっけ。

今では厚い埃を被ってしまっている思い出たち。


そういえば、と思い出す。

庭には桜の木が一本、植えられていた。

春に見ればきっと綺麗なのだろうが、今は冬だ。

戸を開けて外を見ると、木枯らしを受けて寒そうにしている木が、儚げに佇んでいる。


――そこに彼女は立っていた。


薄桃色の浴衣を纏った女性が、木の根元に立っている。

こちらの存在に気づくと、優しく微笑んだ。


自分と同じくらいの歳のように見える。

はて、こんな親戚がいただろうか。記憶にはない。

けれどきっと、縁のある女性(ひと)なのだろう。


彼女と言葉を交わす。

生前、祖父母にはお世話になったようで、たびたび家の様子を見に来てくれているのだと言う。

別れ際、「また来ますね」そう告げると、寂しそうに彼女が微笑んだ。


それからは、頻繁に彼女に会いに行った。

理由なんてなんでもよかった。

祖父母の命日でも、誕生日でも、たまたま近くを通りがかったなんていう嘘でも。


祖父の家に帰れば、そこに彼女がいるのが当たり前だった。

それを不思議にも思わなかった。


荒れ果てていく母屋を尻目に、逢瀬を楽しむ。


何度も言葉を交わしたはずなのに、その時間はまるで熱に浮かされてしまったかのようで、

どんな話をしたか、後から思い出そうとしても何も覚えてなかった。


彼女と一緒にいられれば、ただ、それだけでよかった。

その他全てのことが些事だった。


必然、生活は荒れていく。

会社を首になって、両親や友人に心配もされたが構わなかった。

仕事を失ったところで、あぁこれで彼女に会う時間が増えるなとしか思わなかった。


彼女に出会ってから一年が経っていた。

季節は再び冬になっている。


縁側に並んで座って、少し話をする。

彼女の手に触れる。

握り返してくれたことが嬉しくて、その肩を抱き寄せる。

彼女への想いを口にする。

やっぱり寂しそうに微笑むものだから、その唇を奪った。

寒さに震えながら、肌を重ねる。

熱に浮かされたように何も考えられなくなって、夜になるまで彼女を求め続けた。


ふたり、抱き合いながら暖を取る。

彼女は自分を受け入れてくれた。その悦びが胸が溢れている。

「もう来ないでね」という彼女の言葉を聞くまでは。


ふっと、まるでろうそくの灯が消えるように、忽然と彼女の姿が消える。

状況を把握できずにいたが、身体がひどく重く、また同様に頭もひどく疲弊していて、周囲を見渡すこともままならない。

意識は次第に薄れていって、そのまま寝伏してしまう。




翌朝、物音に目を覚ます。

玄関から数名の作業着を着た男たちが入ってくる。


この家の解体作業だと言う。


そんなはずはない。ここは自分の祖父母の家で、土地だって手放してはいないはずだ。

そう告げると、年配の親方らしい人物が腕を組んで考え込んでしまう。


困惑した表情で彼が語るには、何十年も前にここで老人が身寄りもなく死んで以来、この家は放置されているという。

老人には家族も親戚もおらず、役所としても困っていたのだとか。


――親方の口から聞かされたその老人の名前に、聞き覚えがなかった。


酷い顔色をしている、と言われる。



そんなはずはない。

必死に思い出そうとする。

祖母との思い出、祖父との思い出。この家の思い出。

けれど、思い出されるのは違う家での思い出で、この家でのことではなかった。

自分はこの家を、この家で過ごした思い出を知らない。


台所での祖母とのやり取りも、タライのお風呂に入ったことも、親せきと夜通し遊んで怒られたことも、自分の知らない思い出だった。


あれほど鮮明だった思い出が、消えていく。

今にして思えば、それは自分の記憶ではなかった。

せめて、と必死に彼女との会話を思い出そうとする。


それすらも、なにも出てこない。その名前さえも。

ただ、彼女の最後の言葉だけが頭の中で繰り返し囁かれる。


こちらの混乱をよそに、作業員たちは仕事を進めてしまっている。

重機が庭に入ってきて、桜の木が倒された。

少しして、作業員の驚いたような声が上がる。


ショベルカーで掘り起こした根本に、人骨が埋まっていた。

作業が中断され、各所へ連絡をしている彼らを掻き分けて、自分は彼女のもとへと走った。


土の付着した愛らしい頭蓋を抱きしめる。


――あぁ、ここに居たんだね


泣きながら骨を拾い集めた。





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