5.成長
月日は経ち、ルーシィはあと1週間もせず4歳となる。
国王の代理として、辺境伯のアヴェルが積極的に秘匿の民と対策を練り、ルーシィは存在を隠されたまま両親、一族の愛情に包まれ、着実に成長していた。
もともと秘匿の民自体がどこの国にも属していない上、積極的に交流のある国も少なく、かつてから秘匿の干渉不加入な独立国家のように扱われていることが功を成し、特に大きなトラブルはなく過ごせていた。
トラブルと言えるのか言えないのか、あれから第1王子のランベルトは王宮に一度帰ったが、折を見ては社会勉強と称し辺境伯家へ滞在することが増えた。
その度に秘書官のグレムと精鋭騎士隊が同行するせいもあり、ランベルトと侍従達は気心の知れた仲となっていった。
「叔父上、先月ぶりです」
前回とそれほど日を置かずやってきた甥に叔父のアヴェルは頭を抱えた。
「いつも言っているがな、お前は第1王子だぞ。辺境になんて来ず、王宮で学ばないといけないことが沢山あるんじゃないのか?」
はぁっとため息を付きながら横目でランベルトを見たアヴェルはいかめしい表情でその隣りにいたグレムを見た。
「王宮でしないといけないことはちゃんとこなして来ていますよ。それに、勉強は優秀なグレムが居ますからどこでも出来ます!」
叔父のそのような態度はとうに見慣れたランベルトはいつもの決まり文句を返しにっこり笑った。
「ここに来ることを怪しまれないように、王宮の中で辺境伯家との連携部署まで自分の管理下で立ち上げちまうほどだもんな。うるさい他の貴族も第1王子から、“歴史を繰り返すわけには行きませんから”“なんなら、あなた方が立ち上げてくれても良いんですよ?”って笑顔で諭されちゃあな。辺境なんかに来たがるはずもなく、ましてや王宮に居る王と辺境に居る王弟に気を遣いながら王宮と辺境を行き来するかも知れねぇ必要のある役割なんか御免こうむるってわけだ。今までそんな部署がなかったことも幸いしたな。兄上の代で辺境を立ち上げたこともあって、第1王子が王の跡を次いで動いても違和感がない」
立ち上がり、独り言を言い始めたアヴェルを見てアルベルトはグレムに下がるよう指示を出し、書斎机近くにある一脚の椅子に座った。
「お褒めに預かり光栄です」
にっこり笑ったアルベルトに更にいかめしい表情を深めたアヴェルは舌打ちをしながら言った。
「年々、愛想笑いが得意になりやがって。そもそもお前自身が来なくてもいいんだぞ」
「このほうが王宮で世渡りしやすいんですよ、まぁ今からはやめますが。俺が来なくて誰が来るんですか」
「9歳のくせにいっちょ前に…グレムでも寄越せば良いだろう」
「父上を見てきた叔父上なら言葉遣いや態度に別に違和感はないでしょ、それに俺はこの役目を誰にも取られたくない。わかるでしょ?」
「そうだが!」
「素直に喜びましょうよ〜。俺は叔父上に頻回に会えて嬉しい。勉強面もですが、頻回に馬車移動をする俺の安全と体調も心配してくれてるんですよね?ありがとうございます」
アルベルトは屈託のない笑顔でニカッと笑った。
なんやかんやで甥に甘いアヴェルは両手をあげた。
「…負けだ。歓迎するよ、今回もすぐに会いに行くんだな?」
「もちろん」
「リザードを迎えに寄越すからちょっと待ってろ、行く時はグラムも連れて行きな」
指笛を吹くと、窓枠に大きな鷲が舞い降りてきた。
アヴェルの伝書鳥のクノールだ。
手早くクノールの足に書いたばかりのメモをくくりつけるとそれを確認したクノールは「リザードのとこへ」というアヴェルの声と共に羽ばたいていった。
その後、リザードが迎えに来たという知らせが入るまでアルベルトは最近の近況や情勢について、家族のことなどこの1ヶ月の積もり積もった話をアヴェルと共に楽しんだ。
「リザード、毎回すまないな」
秘匿の民の村に向かう途中、先をいくリザードの背中に声をかける。
「アル坊もそんな気遣いが出来るようになったんだな、俺は感動したぜ。グラムももう村への道のりに慣れてきたようだな」
相変わらずフードを被ったままのリザードは辺境伯家で使用した身分証明書兼通行証をポケットに仕舞うと振り向きながら答えた。
リザードはいつもフードを被ったまま辺境伯家へ来るため、その存在に慣れている者は特に警戒はしないが、もし警戒態勢に入って担当が代わった時にでも、顔を晒させることなくスムーズにアヴェルに取り計らえるようにと考えられた上で証明書が作られた。
また反対にリザードの成りすましを見抜くため、それとプラスして門番の前で訪れた本人に直接サインをもらい、それをアヴェルのもとに持っていき確認後許可が出れば入城できるという手順も踏む必要がある。
「私が、アルベルト殿下とともに秘匿の村にお邪魔し始めてもう3年となります。初めの1年はアルベルト殿下とアヴェル様のお2人でよくお出かけされるなとは思っていたのですが、どこに行っているのかは教えて頂けなかったのです。ですが、後々教えてもらった事情を聞いてそれはそれは驚きました。信頼を得るのは有り難いのですが、一番応えたのは洞窟の前に通らないといけない崖を降っていくことですね」
横で苦笑いしたグラムは当時を思い出したのか遠い目をしていた。
「グラムはエリート秘書官なだけあって文系だもんな!」
笑いながら言ったアルベルトの言葉にグラムは頷いた。
「最初はいつ崖から落ちるかとハラハラして堪りませんでした。リザードさんが私とリザードさんを紐で縛ってくれてたから何とか正気を保ちつつ向かうことができました」
「いつもきっちりしているグラムのかろうじて耳にかかった程度にずれた眼鏡は傑作だったよな。あれからグラムは俺や精鋭部隊の鍛錬に参加するようになったしな」
「はい、殿下に着いていくためには知識のみでは足りないことが身をもってわかりましたから。それに、村にお邪魔するようになってから殿下が普段猫を被っていることも知りました」
そう笑いながら言ったグラムは、崖を降りていくための準備運動か手をグーパーグーパーと動かし始めた。
「人聞きが悪いな。口調についてはリザードにも最初に許可をもらってるよ。だが、こっちの俺のほうが楽だな。それも辺境に足を伸ばす理由のひとつだな。それにグラムも遠慮がなくなった」
「私も猫を被るのはやめました。ところで、殿下はそれだけじゃないでしょ〜」
「ここからは殿下はやめろって。まぁ、そうだな。1番はルーシィに会いたいからだ」
黙って聞いていたリザードはニヤッとした。
「そりゃー、我が姪ながらルーシィ可愛いもんな。まぁアル坊が本性をさらけ出せる場所になってるってのは嬉しいことだ。喋ってばっかいないで気をつけろよ〜」
ひと足先に崖を降り始めたリザードにアルベルトとグラムも続く。
それからはあっという間に村の入り口へと辿り着いた。
「アルー!!!」
門を通り抜けるとネーシィに見守られながら泉で水遊びをしていたルーシィが両手を振りながら溢れるような笑顔で駆け寄ってきてアルベルトに抱きついた。
その光景をリザードとグラムはニヤニヤしながら見守っているが、アルベルトは特に気にすることなく満面の笑顔でルーシィを抱っこした後抱きしめた。
「ルーシィ、アルベルト君は来たばっかりだから疲れてるのよ。こっちにおいで」
歩きながら追いかけてきたネーシィはアルベルトにギュッと抱きついたままのルーシィに向かって両手を伸ばした。
「嫌!アルが良いの!ママの抱っこはいつもしてもらってるもん!アルはまたすぐ帰っちゃうから〜」
ぷーと口を膨らませたルーシィはさらにギュッとアルベルトに抱きついた。
「ネーシィさん、ひと月ぶりです。大丈夫ですよ、俺は疲れてませんから。それにルーシィに振り回されることが俺の1番の癒しです」
ルーシィの両親と長にだけは丁寧語が抜けないアルベルトは、ネーシィの顔が見えるように方向転換した後、ネーシィに笑顔を向けた。
「あー、アル!ルゥのことルゥって言ってって言ったでしょ〜!!」
その言葉を聞いたルーシィは抱っこされたままアルベルトの顔を両手で軽く挟んだ。
「ごめん、ごめんってルゥ、今はそれやめて」
情けなく眉毛を下げたアルベルトは自分の手で優しくルーシィの手を頬から離すと首に回させた。
「はぁ〜、まぁアルベルト君がそう言ってくれるならいっか。今回はどのくらい居られるの?」
ため息をつきながら呆れたような顔をしたネーシィが質問した。
「ルーシィの1週間後の誕生日を祝うために来たので2週間は居ようかと思っています。ただ、場合によっては伸びる可能性も視野に入れて今回は父上にもしっかり延長の許可を得て来ました。俺がそばに居たからってそう大して出来ることはないんでしょうが、どうしてもそばに居たくて…」
最後は消え入りそうになる声を隠すようにルーシィの肩に口を埋めたアルベルトは「そう、それはルーシィが喜ぶわ」と同じく寂しそうな表情をしながらも気丈に振る舞うネーシィの声を申し訳なさそうな表情をしながら聞いた。
当の本人は周囲が寂しそうな雰囲気を出していることに気づくこともなく、楽しそうにアルベルトに抱っこされていた。