第一話始まりの色
『僕には色が視える』
もちろん色なんてものは誰しもが意識せずとも見えているものだ。でも僕の視えるは他の人と少し違う。僕には人の感情が色で視えているのだ。
情熱的に何かに打ち込んでいる人は炎が熱く燃え盛るような赤色、冷静に物事を考えている人の中には深い海の底のような青色が視える。他にもいろんな種類の感情が視えている。こんな風に色が視えていると便利なことが多い。
単純に言えば他の人の心が視えているような感じだ。その時の相手の気持ちに合わせて自分の行動を変えられる。相手がどんなことを考え、どんな感情なのかを視ていれば自ずと正解の行動をすることが出来る。
でもそのせいか、相手が不機嫌にならないよう自分の意見を変えることが多くなってしまった。だから周りにはなにを考えているのか分からないと言われることが多く、友達と呼べるのも数人しかいない。
けれど君と出会ってから僕の日常は変わった。
ここからが僕の本当の物語だった。
僕が君に出会ったのは高校二年の春。クラス替えをしてまだみんなが新しいクラスになじんでいなかった頃だった。僕は君を視て何か違和感を覚えた。だけど君はいたって普通の女子高生だ。テレビに出てくる女優のようにきれいな顔立ちで、身長は他の子より少し小さいぐらいでロングヘアの髪がよく似合う。友達とグループになって窓際の席ではしゃいでいる様子は、普通の女の子と変わらない。
おそらく違和感をもっているのは教室内で僕だけだろう。僕にも違和感はあるが原因が分からない。そんなもやもやした状態のまま数日が過ぎた。
僕はその日、傘を家に忘れていた。学校から帰る途中、僕は季節外れの夕立にあった。
『駅までもうすぐのところなのに運が無いな』
道路にいた人たちの間をすり抜けながら駅までの道を走っていたら、後ろでバシャと水しぶきをあげ盛大に転んだ音が聞こえた。今は雨がひどいし、次の電車を逃したら二十分は待たないといけない。こんなずぶ濡れのまま二十分も待つのは嫌だ。でもこけて水浸しになっている人を、そのままにはしておけなかった。
僕は振り返ってこけた人に手を差し出した。
「あの、大丈夫ですか?」
「ありがとうございます」
君は僕の手を取り立ち上がった。
「あはは、思いっきりこけちゃいました」
服をはたきながら少し照れくさそうに君は笑って言った。僕はこの時に初めてこけたのが君だと気づいて驚いた。君も僕の顔を見てあ、と声をあげた。
「えっと、水篠君だよね。恥ずかしいところ見られちゃったな」
雨が滴る中、君は笑う。つややかになったその笑顔に僕は目を奪われた。僕はしばらく言葉を失っていた。雨が降り続ける音が耳の中を打ち付ける。
「あ、えっと…血、出てるよ」
やっと出せた言葉がこれだった。赤く汚れた血が君の膝から流れている。僕はポケットからハンカチを取り出して君に渡した。僕が取り出したのはハンカチは数年前に家族で行った遊園地で買ったものだ。こんなことがあるなら、もう少しましなハンカチを持ち歩いておくべきだった。
「汚れちゃうからいいよ」
差し出したハンカチを君は遠慮して受け取らなかった。しかし女の子が血を流しているのをそのままにするわけにいかない。僕は雨でぬれたハンカチを君の膝に当てる。
「そう言うわけにはいかないよ。ちょっとごめんね」
ハンカチ越しに君の肌の温かさが伝わってくる。雨で冷たいはずなのに、その温かさだけは鮮明だ。
「ありがとう」
君は恥ずかしそうにそう言った。滴り落ちる雨の雫は僕らのやり取りをかき消すかのように激しくなっていく。僕は駅が近いことにようやく気付いた。
「とりあえず中に入ろうか。歩ける?」
僕は君の膝に当てた手ををいったん離してそう提案した。
「うん。大丈夫。歩けるよ。ここにいると濡れちゃうしね」
そう言って笑みを浮かべる君と僕は歩きだした。君は少しだけぎこちない歩き方をしている。痛みがまだとれないんだろう。
「足、大丈夫そう?」
「うん。大丈夫だよ。ちょっと痛いけどこれくらいなら」
「そっか、よかった」
駅の中に避難した僕らは近くのベンチに腰を下ろし、君は僕が渡したハンカチで膝を抑える。僕らの間には交わされる言葉がない。しかし雨が駅の屋根を打ち付ける音が、僕らの無言を打ち消す。
「ねぇ水篠君。もう大丈夫。一緒にいてくれてありがとう。これ洗って返すね」
無言の壁を突き破った彼女の言葉が雨の音よりも大きく聞こえる。
「いいよ。そんな気にしなくって」
僕は彼女の手からハンカチを貰おうとしたけれど手を引かれてしまう。
「だ、ダメだよ。ちゃんと洗って返すから」
何がダメなのかはよく分からなかったけど、彼女がそういうならと僕は引き下がった。座っていたベンチから君は立ち上がり歩いていく。ぎこちないのは変わりないけどさっきよりは平気そうだ。君と僕はずっと同じ方向へ一緒に歩いていく。
「もしかして帰り道同じ?」
僕は自分が乗るホームを指さして君に聞いた。
「え?水篠君もこっちの方なの?」
「うん。こっち側」
「そうなんだ。今まで全然気が付かなかった。もしかしたら今までも知らずにすれ違ってたかもね」
「そうだね」
普段はこの時間よりももっと早い時間に帰っている。ほとんどの人は部活で僕が帰るときには同級生はほぼいない。いつもなら会えなかっただろう。でも今日は先生に呼び出しをくらっていた。説教というわけではないが、将来について少しだけ小言を言われていていつもより遅く学校を出た。この時間になったのは、そう言う理由があったからだ。このことはなんか恥ずかしいから黙っておこう。そんなことを考えていると、後ろから見覚えのある声が聞こえてきた。
「よう!葵。こんな時間にいるなんて珍しいな。先生に呼び出しでもくらってたのか?」
幼なじみの山岡秋人。秋人は笑いながら僕の核心を突く質問をしてきた。
「ああ、そうだよ」
ここでごまかしてもしょうがないと観念した。僕は君に言わなかったことを秋人には簡単に言わされてしまった。
「ところで隣にいるのは星月さん?なんで一緒にいるの?」
耳元で僕にだけ聞こえる声で言ってきた。秋人には女子と話すのが苦手だという弱点がある。普段は燦燦と輝く太陽のような黄色やオレンジ系の明るい色をしている秋人だが、女子と話すときだけは紫や深い蒼といった暗めの色に変わる。こんなにも色が変わるのかと僕はいつも面白がりながら視ている。
「駅に来るまでの道でたまたま会ったんだ」
「えっとたしか山岡君だったよね。転んでたところを水篠君に助けてもらったんだ」
「ああ、そうだったんですか」
君に目線も合わせず秋人は答えた。秋人は気付いてないだろうけど、敬語になっていて面白い。秋人が何も話せずにいて少しの沈黙の後、君が聞いてきた。
「二人はすごく仲がよさそうだけどどんな関係なの?」
僕は君の問いに答える。といっても大したエピソードはないのだけれど。
「こいつとは小学校のころからの腐れ縁ってやつかな」
「そ、そうなんですよ」
秋人は僕の隣で小さな声で言っていた。
「こんな見た目だけど女子と話すのが苦手な…」
そこまで言って僕は気付いた。君の違和感の正体に。
『色が視えていない』
いや「視えていない」という言い方は正しくないかもしれない。色が「ない」の方が合っている気がする。秋人の色ははっきりと青く視えている。けれど君の色はない。
『こんなことは今まで一度もなかった。どんなに感情を隠そうとしてもかすかに色が入っている。透明で色が全く入っていないなんて…』
僕が夢中で考え込んでいると秋人に肩を叩かれた。
「おい…おーい、聞いてるかー」
「あ、ごめんごめん、ぼーっとしてた。」
「おいおい俺が気にしてることを言っておいて、何を考えてたんだよ。もしかして変なことでも考えてたのか?」
「そんなわけないだろ。何言ってんだよ」
そんなやり取りを見て君は笑っていた。
僕は笑う君を見るけれど、やっぱり君の色が視えない。また考えこもうとしたとき電車が来た。原因を考えるのは後にして、前にいた二人と一緒に電車に乗る。いつの間にか雨が止んで真っ赤に染まった空を見ながら電車はゆれる。
夕日に染まった君の横顔は綺麗で透き通った海のように穏やかだった。。
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