第五章 すれ違う番い ⑤発情抑制(グウェン視点)
いつもより少し長めになります。
よろしくお願いいたします。
手を取った私を見て、ラナリスは嬉しそうに微笑んだ。
今までのような含み笑いではなく、純真な少女のような表情に、不思議な違和感を覚える。
「それで、方法とはどのようなものだ」
「まあ、もう少し情緒を重んじていただきたいですわ」
「……お試しでもいいからと迫ってきたお前がそれを言うのか?」
「あら、わたくしそんなに迫りましたかしら? それに、わたくしは『お前』ではありませんわ。ラナリスとお呼びくださいませ」
「白々しい……。それと、私はキリア以外の名を呼ぶつもりはない。これは絶対だ。その代わり『お前』と呼ぶのはやめてやろう」
私の提案に、ラナリスは一瞬不服そうな表情になったものの、よほど『お前』と呼ばれたくなかったのか、渋々ながら頷いた。
「ええ、まあ、良いですわ。グウェン様のご提案をのみましょう」
「その『グウェン様』というのもやめろ」
「そこに関しては、引くつもりはございませんわ」
キッパリとそう言い切ると、また不敵な笑みを浮かべる。
――なぜキリアにしか許していない呼び方をこんな女に許さねばならないんだ!
けれど、何か意図があるのか、ラナリスは全く譲る気がない。
まあどうせ、お試しの五日間だけの話だ。
それに変な動きをするようなら、即座に消し炭にすれば良い。
獣人といえど、先祖返りの私には敵うわけがないのだから。
「まあ、良いだろう。それで、方法とはどのようなものなのだ?」
「そうですわね……まずは、そちらの神殿の魔力球に手を触れていただけますか?」
「触れろだと!?」
思わず、神殿の祭壇にある魔力球に視線を向ける。
禍々しいほどに獣人の魔力が蓄積された球体。
古くはこの神殿がノイザリアにあった時代から、王家が守り続けたものだ。
この力を行使できれば、世界を滅ぼすこともできるだろう。
だが、普通の人間には扱えない力。
そして、膨大になり過ぎて、もはや獣人である私にも扱いきれない力。
通常、球体に触れることはない。
なぜなら、この神殿にいるだけで、持っている魔力に合わせて、魔力が吸収されるからだ。
私の場合、かなりの量がここに居るだけで吸収されている。
その球体に触れるということは、魔力を一気に吸わせるということ。
「そんなことをして大丈夫なのか?」
「今のグウェン様でしたら問題ありませんわ。むしろ、今のままだと、こちらが耐えられそうにありませんので……」
「耐えられない……? どういうことだ?」
「とにかく! 一旦吐き出せるだけ吐き出してください!」
吐き出したところで次から次に沸いてくるので、キリがないと思いつつも、言われるがまま球体に魔力を注ぎ始める。
予想していた以上に一気に吸われはするものの、魔力炉から沸き出す速度と大して変わらない。
すると、注ぎ始めてあまり経っていないにもかかわらず、それまでと比較にならないほど、球体が濃い黄金色に輝き出す。
その上、球体のサイズが一回りほど大きくなっているように見えた。
――これは……マズいのではないか?
どうしたら良いのかわからず、ラナリスのほうを見ると、驚きを隠せないと言った表情で、球体に触れている私の手をじっと見て、何やらぶつぶつ呟いている。
「まさかここまでとは思いませんでしたわ……で、でもこれもきっと、発情期のせいですもの。発情さえおさまれば……」
「で、どうしたら良い? もう離したほうが良いと思うのだが?」
「そ、そうですわねっ。そろそろ離してもよろしいかと思いますわ」
慌てた様子で答えるラナリスに言われるまま、球体から手を離す。
――まだまだ魔力は溢れてくるが、確かに余剰分で溜まっていたものはなくなって、少し楽になった気がするな。
手を離したほうの肩をぐるぐる回しながら、先程までより少し楽になったことを実感していると、ラナリスが急に改まった口調で話し始めた。
「では、グウェン様。わたくしをあなたの魔力で染めていただけますか?」
「……は?」
あまりの台詞に思わず間抜けな声が出てしまう。
この女は一体何を言っているのだ。
「何を言っているのかわかっているのか。私は発情を抑える方法を知りたいだけだ。なぜ私がそなたを魔力で染めねばならん」
「ですから、発情を抑える方法が、私をグウェン様の魔力で染めることなのですわ!」
「意味がわからん。きちんと説明しろ! 理由もなく魔力染めなどできるわけがないだろ!」
呆れつつ突き放すようにそう言うと、ラナリスは理由をあまり言いたくないのか、困ったようにこちらを見る。
――そんな顔をされたところで許しはしないがな。
キリアならまだしも、他の女の困り顔など、見慣れている。
キリアの困り顔なんて見た日には、何でも許してしまうだろう。
そんなことを考えるだけで、胸の辺りがふわっと温かくなる。
「グウェン様。今キリア様のことを考えましたわね? せっかく減らした魔力が増えたではないですか! これでは発情を抑えられませんわ。番いのことを想うほどに発情期は長引きます。極力キリア様のことはお考えになりませんように」
「番いのことを想うなだと!?」
「ええ。発情期の引き金は番いへの想い……それがわかっていらっしゃるからここに籠もられたのでは?」
「それはそうだが……」
「では、我慢なさってくださいませ。それから、魔力染めについてですが、番いでないものの魔力炉を染めることはできません。ですから、あくまでも身体のみになりますわ。そしてその際に、わたくしの身体から抑制香が発現いたします」
「抑制香……?」
初めて聞く言葉に、今まで伝えられてきた獣人国や獣人についての資料を思い返す。
だがやはり、その言葉を見た記憶はない。
「抑制香は、番い以外の相手に魔力染めを行うと発生する香りですわ。まあ、一種の浮気防止機能のようなものです。本能でこんな香りを放つほどに、獣人にとって番いは大切なんでしょうね」
「なるほどな。それで、その香りと発情の抑制にどう関係があるのだ?」
「この抑制香は、番い以外に欲情しないために、そういう欲を抑える働きがあるのです。つまり、この香りこそ、発情を抑制する方法ですわ」
ということは、逆を言ってしまえば、発情を抑えるためにはこの女を自分の魔力で染め上げなければならないということだ。
キリア以外を染めるなど、考えるだけで虫唾が走るが、そうしなければならないことも理解している。
実際問題、このままいけば、魔力暴走を起こして国(下手をすれば世界)を滅ぼすか、キリアを本能のままに無理矢理襲ってしまうかのどちらかになってしまう。
嫌ではある、嫌ではあるが……せめてキリアが成人する日までに発情期を終えたい。
とそこで、私は大事なことに気づく。
「抑制香で抑制することはわかった。だが、それは一時的なものなのか? それとも抑え込むことによって期間が短くなったり、収束していくものなのか? 回答次第では、話はここで終わりだ」
「……さすが鋭いところを訊いて来られますわね。ええ、収束していきますわ。それこそがわたくしたちの継承の要の一つですから。なんでしたら、番いではない相手に、無理矢理発情を起こさせる方法もございますよ」
――番い以外に対して発情期を起こさせる方法だと!?
先ほどまで理由を話すことを躊躇っていたとは思えない発言に、思わず身構える。
無理矢理発情を起こさせる方法など、倫理に反している。
だが、それが継承の秘密に含まれているというのであれば、フィルニアの獣人の力の継承は、かなり危険且つ悍ましい方法である可能性が高い。
――もしかしたら私は、踏み込んではならない部分に触れてしまったのではないのか?
だがしかし、今のままではキリアを傷つけてしまう。
だから致し方ないのだと自分に言い聞かせる。
「わかった。では、そなたの言う通り、魔力染めを行うとしよう。だが……耐えられるのか?」
私の魔力は多いだけでなく強い。
キリアは番いだからなんの問題もなく耐えられたが、王族でもない、ただの平民の獣人の末裔であるラナリスが自身の魔力に耐えられるものなのだろうか。
「……え、ええ。たぶん、いえ、もちろん大丈夫ですわ!」
妙にいきがった回答をしたラナリスに不安しかない。
「無理ならば、すぐに言うように」
「ええ。わかりましたわ」
そうしてラナリスの手を取り、染める意思を込めて魔力を流した。
◇
魔力を流し始めて四半刻が過ぎた。
最初こそ私の魔力の圧に苦痛を訴え、その場にへたり込んでかなり苦しそうにしていたラナリスだったが、だんだん慣れてきたのか、呼吸を荒らげる程度になってきている。
キリアの時のように、元が人間の魔力の時と比べ染まりやすいとはいえ、番いではない。
魔力炉を染めることはできないため、いつまでも自分から沸き出ようとする魔力と私の魔力が体内でせめぎ合い続ける。
染め続ける限りこの苦しみがなくなることはないのだ。
何の目的があるのかわからないが、これだけ力の差を思い知れば、企みなど考えようとも思わなくなるだろう。
そうして半刻が過ぎた頃には、ラナリスの魔力炉付近まで染め切れたようで、顔がほてる程度にまで落ち着いた。
その時だった――
ラナリスの体から、嗅いだことのない爽やかな柑橘系の香りが漂い始める。
「この香りが……」
「え、ええ。これが、抑制香、ですわ……」
まだ苦しげに答え、ラナリスは私の目をじっと見た。
その瞬間、少し漂う程度だった香りが一気に濃度を上げ、二人の周りを包み込んだ。
「ゔっ……」
えも言われぬ気持ちの悪さに思わず声が出る。
「こ、この香りに慣れた頃には、発情期も、きっと、おさまっておりますわ……」
「こんな香りに、慣れるものなのか……?」
「ええ……もう少しすれば、慣れてきますわ」
そう答えるラナリスの眉間にも先ほどまではなかった皺が寄っているのを見るに、やはり彼女もこの香りを不快に思っていることがわかる。
けれど、香りはどんどん強まっていき、そのうち鼻が痛み始めるレベルにまで到達する。
そこまで来ると、鼻が麻痺してしまい、もう香りを感じなくなっていた。
「慣れるとはこういうことか……」
私が呆れたように言うと、まだ少し辛そうにしながらラナリスは悪びれた様子もなく、鼻を押さえながらなぜか自信満々に口を開いた。
「ほら、慣れましたでしょう?」
「これは慣れるではなく、麻痺と言うのだ!」
「どちらでも良いではありませんか。これで少しは魔力の流れが落ち着いたのではありませんか?」
言われてみて、ふと体が軽くなっていることに気づき、自身の魔力に意識を集中する。
「……魔力の流れが安定している!?」
「効果は、あったようですね……」
ラナリスはまだ少し苦しそうに告げながら、にっこりと微笑んだ。
「体がむしょうに番いを欲して理性が擦り切れるような感覚も、マグマのように魔力炉が沸き立つ感覚も、すべておさまっている……」
「これが抑制香の力ですわ。まあ本来は番い以外に手を出した際に出る警告のようなものですから、力を抑える効果もあるのです。いわゆる浮気行為ですわね」
浮気と言われ、背中にゾワっとしたものが走る。
「浮気……? まさか! キリアにもこの香りはわかるのか!?」
「当たり前ではありませんか。何を今更。まあ、先ほどまで強くはないですが、香りますわね」
「わ、私が浮気をしたと思われるのか……?」
「厳密には違いますけれど、勘違いはなさるでしょうね。まあ、どの道しばらくはキリア様には近づかないほうが良いと思いますけれど」
「なぜだ?」
さも当然と言わんばかりに告げるラナリスに、大体の事情は推測できているのに、思わず苛立ちを込めて聞いてしまう。
「お試しに五日と申し上げました通り、完全に抑え込めている訳ではありません。何もしなければ戻りますし、ましてや番いを強く想ったり、出会えば抑えていたものが溢れ出しますわ。ですから、定期的にわたくしに魔力を注ぐ必要があるのです」
「やはりそうなのか……」
「その証拠に、今はもう抑制香がおさまったようですし、染められたわたくしの魔力もじわじわと元に戻って来ていますもの」
確かに香りが消えている。
染めるまでにあれだけかかったにもかかわらず、目的の抑制香が発現したのはものの数分。
つまり、早く発情期を収束させるには、ラナリスを染め続け、抑制香を出し続ける必要がある。
「わかった。では、そなたを染め続けるとしよう」
私の言葉にラナリスは満足そうに笑い、恐ろしいことを口にする。
「ふふふ。染め続けられるうちに、もしかしたらわたくしの魔力炉も染まるかもしれませんわね」
魔力炉が染まるのは魂の番いの特権であり、番いが獣人にとって特別な証。
「冗談でもそんなことを言っていると、魔力炉もろとも消し去るぞ!」
「あら怖いですわ〜」
怒りを露わに告げても、ラナリスに響いた様子はない。
むしろ、本当に染まるのではとどこか期待しているように見えた。
しばらくして魔力が完全に落ち着いた私は、神殿を出て執務室へと戻った。
途中、キリアの様子が気になり、居場所を探ると離宮に戻っているようだったので、安堵した。
だが、そうやってキリアのことを考えたことにより、少し熱が上がる。
「グウェン様、今はまだ考えてはダメですわよ」
「少し居場所を探っただけではないか」
「全然少しではありませんわ! もしキリア様とお会いになっても、目を合わせたり、お声をかけてはなりませんよ。発情だけならまだ良いですが、それによって魔力がまた暴走する可能性がありますわ。どうしてもそうなってしまった場合は、わたくしに魔力を流してくださいませ」
「わかった。そうしよう」
そうして、早々にキリアに遭遇してしまったばかりか、彼女を泣かせた上に、「大嫌い」という一番聞きたくなかった言葉を受け取る羽目になってしまった。
魔力暴走をくすぶらせ、ラナリスに腕を掴まれたまま、キリアが去っていった扉をじっと眺めるしかなかった――。
お読みいただきありがとうございます。
グウェン視点の続き、発情抑制の方法でした。
次からはキリア視点に戻ります。
グウェンの執務室を飛び出したキリアは……?
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
ブックマークや☆の評価、いいね、ありがとうございます。
いつも大変励みになっております。
不定期更新が続いていて大変申し訳ありません。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。




