第四章 発情期 ②グウェンの変化
着替え終わり、応接室へ戻ると、グウェン様とジェイシス様が真剣な面持ちでソファーに座っていた。
「待っていたぞ、キリ、ア……!」
私を迎えようと少し椅子から腰を上げたまま、なぜか真っ赤になって呆けるグウェン様。
今までにないグウェン様の反応に思わず、その様子をじっと眺める。
けれど、グウェン様は熱に浮かされたように私をぼーっと見たまま、固まったまま動かなくなってしまった。
その向かいに腰掛けていたジェイシス様は、グウェン様の様子を一通り観察した後、まじまじと私を見た。
「キリア嬢……。ほう、これはこれは……なるほどな……」
――なるほどなってどういうこと!?
すでに状況を把握しているかのようなジェイシス様に、ひとまずお礼を言う。
「ジェイシス様、朝早くに、ありがとうございます」
「いや、大丈夫だ。それよりも殿下。しっかりしてくださいよ」
ジェイシス様に強く声を掛けられ、ようやく口を開いたけれど、やっぱり様子がおかしい。
「……キリアが、キリアが美しすぎる……まさか、一番着て欲しかったドレスを着てくれるなんて……私のキリアはなんてすばらしいんだ……」
グウェン様は恍惚の表情で呟きながら、ぼーっと私を見続けている。
――いつも以上にグウェン様の表情が熱っぽいような……それに、昨夜よりも甘い香りが強い気がする。気のせいかな?
気にはなるけれど、大きな変化が起きているのはむしろ私のほうなので、それが影響しているのかもしれない。
ひとまず、今はジェイシス様に色々と聞いてみるのが早そうだ。
「さて、呆けている殿下は一旦放っておいて、キリア嬢には色々聞きたいことがある」
「なんでしょうか?」
「昨夜、殿下がこの離宮に膨大な獣人の魔力を使って結界を貼っていたようだが、それは間違いないか?」
「……ご存じだったのですか!?」
私の返答にジェイシス様が呆れたように、大きくため息をつく。
「あれだけ派手に魔力を使われれば、見習い魔導士でもわかるぞ……」
「た、確かに……」
「その結界なんだが、今はすっかり無いようだが……殿下が自ら解かれたのか?」
「そういえば……今朝マーヤは普通に入ってきましたね」
私がマーヤに視線を向けると、頷きながらマーヤが答える。
「はい。朝は特に入れないということはありませんでした」
「ということは、君のその変化は結界の魔力が影響している可能性が高いな……」
「結界の魔力が……? それは、一体どういうことでしょうか?」
「正しくは殿下が結界に使われた『獣人の魔力』だな」
「あの、金色の魔力ですか?」
「そうだ。……まあ、とりあえず、立ったままもなんだ。君も座ってくれ」
結界を思い出し、窓の外を眺めたところで、ジェイシス様が何かに気付いたのか、私に座るよう席を促した。
勧められるがまま、二人の間にある一人掛けの席に座ると、マーヤが私の分のお茶を淹れ、グウェン様たちのお茶を淹れ直す。
お茶がととのったところで、ようやくグウェン様が元に戻られたことに気づく。
グウェン様は淹れ直されたお茶を一口飲むと、にっこり私に微笑んだ。
その様子にどこかホッとしたような表情を浮かべたジェイシス様は、再びゆっくりと丁寧に口を開いた。
「……では、殿下も元に戻られたようなので、話を進めますね」
「取り乱してすまない。頼む」
「殿下が施した獣人の魔力の結界……それがキリア嬢の魂と身体に作用したと考えるのが一番妥当だと考えられます。朝までに魔力が消えているのがその証拠かと。殿下は何かお気づきになりませんでしたか?」
「気付いたから、すぐ離宮に来たのだ。私の魔力が消えたと思ったら、キリアの魔力量が一瞬一気に増大して、魔力感知がさらに容易になった」
「あ! それでしたら、私も……! 昨日感知できるようになったばかりですが、今朝はさらにはっきりとグウェン様の魔力を感じられました!」
揃ってそう訴えると、ジェイシス様は何か思い当たるふしがあったようで、悩みながらも言葉を選びながら話し始めた。
「まだ仮説ではありますが……キリア嬢の身体が長時間殿下の魔力に包まれたことで、その魔力を吸収して、身体が魂に合わせて進化したのかもしれませんね」
「私の魔力を吸収して、進化しただと……!?」
確かにこの身体の成長を見れば、そう考えるのが普通だろう。
それにしても、包まれた魔力を吸収するって……。
「……それって、グウェン様の魔力を糧に、ということですよね……?」
「そうなりますね」
年相応に成長できたことは嬉しいけれど、なんとも複雑な心境になってしまう。
「……とすると、番いの契約は特に関係ないということか?」
「そうですね……ですが、全く関係ないとは言い難いかと。番いの契約を結んだことで、魂に影響はあったと考えられるので、それによって、進化の準備をしていた可能性は高いと思われます」
「なるほど……」
「今回は膨大な魔力を一気に取り込む絶好の機会だったため、急激な変化を遂げたという感じでしょうか……」
話しながら自分の考えを整理していたのか、ジェイシス様は「そうすると、確かに辻褄が合うな……だがそれだと……」とそのままぶつぶつと考え事を始めてしまった。
残された私とグウェン様。
私がふとグウェン様のほうを見ると、ちょうどこちらを心配そうに見ていた彼と目が合う。
ようやく見たまともな表情に少しホッと息を吐く。
「……キリア、大丈夫か?」
「? あの……大丈夫、とは?」
「急な変化に身体が痛んだり、気持ち的にも不安定になっていたりしないか?」
「あ……はい」
普通になった途端に、真剣な表情で私の心配をするグウェン様に、驚きつつも、なんだかくすぐったい気持ちになる。
「今のところ、身体の関節が少し痛むくらいですわ。それ以外は特に」
「そうか……」
心配そうにソファーから立ち上がると、私の手を取り、そっともう片方の手を添える。
すると、グウェン様の手が金色に光り出した。
治癒をしてくれるのだと、黙ってそれを見守っていると、考え込んでいたはずのジェイシス様が急に声を上げた。
「殿下! いけません!!」
「!?」
驚いた表情のまま、グウェン様は魔力を流すのを止める。
けれど、最初に流した魔力が私の手に少し吸収され、ほのかに手の甲を光らせた。
すると、ほんの少しの魔力にもかかわらず、身体全体が火照ったようになり、むせ返るような甘い香りが漂う。
「この香りは……! 頭が痺れるような甘さだな……」
顔を赤らめながら苦しそうに何かを堪えるグウェン様。
「やっぱりそうなるか……」
聞こえるかどうかギリギリの声で、ジェイシス様が呟く。
「やっぱり? どういうことですか?」
「……これまで殿下には番いがいなくて、獣人にあるはずの発情期を経験されていません。そこに、番いが現れ、その番いが成長して大人になった……つまり――」
「私に発情期が訪れたということか……?」
苦しそうにしながら、グウェン様がジェイシス様に問いかける。
「発情期!?」
「ええ。その可能性が高いですね。先ほどまでの殿下の恍惚状態やキリア嬢の魔力への反応も、その可能性が高いかと……。ですので、キリア嬢が成人の日を迎えるまで、殿下はキリア嬢にあまり近づかないほうがいいかもしれませんね」
「なんだと!?」
淡々と言い放つジェイシス様に、苦しんでいたはずのグウェン様が急に怒りを露わにする。
「このままだと殿下、キリア嬢に無体を働くかもしれませんよ? 野生の本能に逆らえるのでしたら構いませんが……経験したこともない発情期に抗えるかどうかなんて、正直、殿下でもわからないのではありませんか?」
「いやまあ、それはそうなのだが……」
正論を突きつけられたグウェン様は、言い返す言葉が見つからず、捨てられた子犬のように私をじっと見た。
――野生の本能って……無理無理無理! そんな庇護欲掻き立てられる良い顔されても、まだ心の準備ができてないわよー!!!
「…………まだ、……まだ、早いです!」
赤面しながら精一杯そう告げると、何やらその表情にくるものがあったらしく、「ぐっ……」と静かな唸り声を上げた。
ジェイシス様は額に手を当てて、それを憐れむように大きなため息をついたのだった。
◇
――それからしばらくして、父様と兄様たちが離宮に、もとい王宮に出仕してきた。
成長した私の姿を見た三人は、なぜか目の前で一斉に泣き出した。
中でも父様は、完全に号泣していたと思う。
この国では、魔力が身体の成長に大きく影響する。
カイン兄様はともかく、父様とキース兄様はそれをよくわかっていた。
だから、私が魔力枯渇する前から、なかなか成長しないことをとても心配していたらしい。
結局は、私の魂に入れ替わるまで、この世界の魂ではなかったせいで、最初に親から与えられた魔力以外持っていなくて、成長が止まっていただけみたいだけれど。
――まあ、まさかこんなに急成長するなんて思いもしなかっただろうけどね……。私だって、こんなことになるなんて思いもしなかったわ。
グウェン様の発情期を伝えたら、やっぱり父様が怒りだしてしまって、案の定、グウェン様との接近禁止令が言い渡されてしまった。
離れ過ぎたら死の危険にさらされ、近づきすぎたら身の危険にさらされ……
獣人の番いというのは思っていた以上に厄介なようだ。
お読みいただきありがとうございます。
キリアの進化に合わせて、グウェンの獣人としての変化が始まりました。
次は、離れ離れの苦肉の策です。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
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