第二章 仮誓約の弊害 ①異変
馬車に揺られること半刻あまり。
一日振りに戻ったアーヴァイン公爵邸に着いたのは、まだお昼にもなっていない頃だった。
わずかな時間、馬車に揺られていただけなのに、なぜか妙に体が気怠い。
仮誓約の儀式に披露宴、そして離宮での騒動。
一日があまりにも目まぐるしすぎて疲れているのだろうか。
そんな状態だったからか、出迎えてくれた母様と侍女のマーヤに、私はホッと息をついた。
「母様、ただいま戻りました」
「お帰りなさいキリア。てっきりあなたは誓約後は殿下の元に行くのだと思っていたのだけれど……何があったのかしら?」
笑顔で出迎えているはずなのに、ゾワッと寒気が走る。
それに、一緒に戻ってきた父様とキース兄様が後ろでカタカタと震えているのは気のせいだろうか。
本来、婚約をした令嬢というのは、成人する少し前から花嫁修行の一環として嫁ぎ先の家で暮らすのがこの国の貴族の間では一般的だ。
そして、成人と同時に結婚して、そのままその家に入る。
それは早いうちからそれぞれの貴族家の役割や作法を学ぶというのが一番の目的ではあるものの、要は早いうちから馴染んでおいた方が、やり易いということらしい。
ちなみに、中にはその期間で姑と相性が合わず、破談になることも稀にあったりする。
本当にごく稀なことらしいが……。
そうなってしまった場合、戻ってきた令嬢の行く先は修道院か後妻かしかなくなってしまう。
できればそうはなりたくないと皆が思っているのだ。
だからこその、この母様の怒りという訳である。
「さ、さすがにまだ成人していない娘を、殿下の元に行かせるわけがないだろう! まだ私はキリアを嫁がせると決めたわけではないからな!」
私を盾に身を隠しながら、父様が懸命に訴える。
――父様、カッコ悪いです……。
腰の引けた父様の言葉に、母様の笑顔がどんどんどす黒くなっていく。
「まあ! 嫁がせるつもりもない相手と誓約を交わさせた上に、披露宴までなさいましたの!? これで破談になんてなったら、キリアはいい笑い者ですわよ。その上、本当にどこにも嫁げなくなってしまうではありませんか! そのことをもちろんわかっておりますのよね〜?」
怒りのあまり母様の目が完全に座ってしまっている。
「き、キリアは別に嫁ぐ必要なんてないんだ! 我が家で穏やかに幸せに暮らせば良いんだ! ……別に相手なんか居なくたって、問題ないさ!」
たじろぎながらも、頑張って強がる父様に、思わず呆れてしまう。
――せめて私の後ろから隠れながら言うのはやめてほしいわ。それに私、一生独りはちょっと……。
グウェン様に出会って、今朝のあの安心感、充足感を感じてしまったせいか、私は以前以上に「番い」というものを意識し始めていた。
とはいえ、ここでこのやり取りをずっと聞いているのも、なぜかしんどくなってきた。
なんだか急に体がだるくて仕方がない。
私は自分の急な体の変化を不思議に思いながら、父様に振り返る。
「父様、私疲れてしまったので、早くお部屋に入りたいです」
玄関先だというのをうっかり失念していたのか、父様は「そうだったな」と言いながら慌てて私をエスコートし始めた。
そうして手を取った父様が「キリア?」と私の名前を呼んだのが聞こえてすぐ、目の前が真っ暗になった。
◇
次に私が目を覚ますと、見慣れた自室のベッドの上だった。
「……あ、れ?」
目を開けるとすぐ横には父様とキース兄様、それにその後ろには母様が座っていた。
「キリア! 大丈夫か!?」
「え……何で、私、ここに……?」
「馬車から降りてすぐに倒れたんだよ。もしかして馬車に乗ってる間からずっと具合が悪かったのか?」
心配そうにキース兄様が状況を説明してくれる。
けれど、私はボーッとして、体に力が入らない。
――これは一体どういうことなの? 体がなんだか気持ち悪い。それもどんどん凄いスピードで悪化してってる気がする。
披露宴とかで疲れていたにしても、熱があるわけでもない。
なぜか体が怠くて、どんどん力が入らなくなっていくのだ。
「ん……わか、ら、ない……」
ほんの一瞬で状態が悪化したのか、喋ることさえたどたどしい状態になってしまっている私に、父様はオロオロしている。
「キリアの身に一体何が起きてるんだ!? こんな、治癒魔法も効かないなんて、ただの疲労ではない!」
どうやら私が寝ている間に治癒魔法を施していたらしい。
けれど、ただ目覚めただけで、症状自体は全く回復していないどころかどんどん悪化している。
「あ……! 父上。もしかしたら、すでに獣人の魔力に染まっているキリアには、通常の治癒魔法では効かないのではありませんか?」
キース兄様の言葉に、父様は何とも言えない、苦々しい表情になる。
「では、殿下に頼るしかないということか……」
「けれど、キリアの様子を見るに王宮に連れて行くのは難しそうですし、殿下に来ていただくにしても、呼びにいくのに時間がかかってしまいます。どうすれば……」
それを聞いて、私はジェイシス様にもらったペンダントを思い出す。
けれど、いつの間にやら着替えさせられていて、首にかけていたはずのペンダントが見当たらない。
――どこ!? どこにあるの、ペンダント!
首を動かすのすら辛くて、ゆっくりと視線だけで部屋の中を探す。
宝石箱にしまわれていたらどうしよう!?
不安に思いながらも、じっくりと部屋中に視線を巡らせる。
……すると、ベッド脇のテーブルの上に、赤く光るそれを見つけた。
思ったよりも早く見つかったことに、少し安堵する。
けれど、どうやってペンダントを手元にもってきてもらうか。
父様とキース兄様は、グウェン様をいかに早く呼び出すかを言い合っているようだし……。
――母様、お願い! 気づいて!
懸命に母様に視線を向けるも、父様たちを見ながら少しイラついているのか、扇子をギュッと握りしめている。
――父様たちの言い合いの解決法が、今そのサイドテーブルの上にあるのよー!
「っ……って。そ、れ……」
なんとか言葉を搾り出そうとするけれど、まともな言葉にならない。
けれど、私のその絞り出した声に三人が反応した。
「どうした、キリア! 苦しいのか? 何かほしいものがあるのか? 水か? 水だな。すぐに準備させるからな。父様が必ず何とかしてやるから、頑張るんだよ!」
「そうだぞ、キリア。必ず兄様たちが何とかしてやるから、頑張るんだぞ!」
――いや、そうじゃない! 水じゃないのよー! 頑張るんだぞじゃないの〜! ……あと残るは母様だけ、お願い、気づいて!!
その途端、母様としっかり目が合う。
そして、私はその視線をゆっくりとサイドテーブルのペンダントへと動かしていく。
母様ならきっとわかってくれるはず……!
そう願って、サイドテーブルを見た後、再び母様へ視線を合わせた。
母様はジッと私の反応を見ながら、先ほど見た視線に沿って手を伸ばし、サイドテーブルの上を確認する。
サイドテーブルには父様が持って来させたばかりの水も置かれていたが、母様はペンダントを手に取った。
「キリア、これであっているかしら?」
「っ!!」
言葉にならない声で、必死にゆっくりと頷くと、母様は私の手にペンダントを渡してくれる。
そのペンダントを力の入らない手で、ゆっくりと握り込んだ。
ようやく手の中に入ったペンダントに、魔力を込める。
するとその場に魔法陣が浮かび上がる。
そして、次の瞬間、私は母様たちの視界から消えたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
予告通り、早速ペンダントを使いました。
キリアが飛んだ先は……そして、キリアが体調を崩した原因は。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
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