宮廷魔導士子育て記録 ④(ジェイシス視点)
番外編ジェイシス過去話、最終話です。
「キャンキャン!」
「あらまあ、可愛らしい鳴き声だこと……」
後ろから声が聞こえて振り返ると、そこには寝る前の部屋着だろうか、簡素な服に黒いガウンを羽織ったギュリア王妃が立っていた。
「ギュリア様……!」
「もう獣化できるようになっていたのね。驚いたわ」
平然とそう言う王妃の手は小刻みに震えている。
魔力量の多く無い王妃には、この場に居るだけで精一杯なはずだ。
けれど、そんな状態にもかかわらず、王妃はグウェン王子へとどんどん近づいていく。
「ギュリア様、危険です! お下がりください!」
さすがにそれ以上はマズいと、声を張り上げる。
けれど、俺の制止も聞こえているはずなのに、彼女はそのまま突き進んでいった。
「くッ……」
苦しそうに堪えながらも、グウェン王子の側まで着くと、ゆっくりと王子の前に手を伸ばした。
「グウェン……何を、ぐずっているのです……?」
「ヴゥ〜〜」
どうギュリア王妃を守ろうか頭をフル回転させていると、目の前で不思議なことが起こった。
「クゥーン、クゥーン……」
甘えた声を急に出したかと思うと、そのまま王妃の手にグウェン王子がすり寄る。
「あら、グウェン、急にどうしたの? ……撫でても、良いかしら?」
そう優しく王妃が声をかけると、グウェン王子はすっと頭を下げた。そうして大人しく頭を撫でられる。
見ているこちらは一体どうなっているのかがわからない。
「ふふふ。素敵な……手触りね。ありがとう」
「キャン!」
先ほどまで放っていた魔力を抑えて、まるでギュリア王妃に気遣っているかのような王子。
そんな二人を凝視しながら見守る。
すると、ギュリア王妃が撫でていた反対の手に持っていた布のようなものを、グウェン王子に差し出した。
「あなたにはもしかして、わかるのかしら? これはライアが、あなたのお母様が、あなたのために作ったものよ」
そう言って、グウェン王子の首に涎掛けを結びつけた。
「クゥン?」
グウェン王子は不思議そうに結ばれる涎掛けをクンクンと嗅ぐ。
すると、急に眠そうな顔になり、そのままそこに丸まって、目をゆっくり閉じるとスヤスヤと眠ってしまった。
「ふふふ。やっぱり赤ちゃんだものね……母親が恋しいわよね。渡すのが遅くなってしまってごめんなさいね」
そう言うと王妃はグウェン王子を抱きかかえ、こちらに向かって歩いてくると、側にあるゆりかごへとグウェン王子を運んだ。
「ライア、あなたの息子はもふもふね。約束通りわたくしがあなたの代わりに守ってみせるわ」
王妃はゆりかごで眠る王子をじっと見つめると、そう呟き、再び手を伸ばして王子を撫でた。
王子はスヤスヤ眠ったまま、起きる気配はまったくない。
「それにしても……この手触りは本当に素晴らしいわね。思わず撫でたくなっちゃう」
そう言いながら俺に笑いかけると、「遅くなってごめんなさいね。さっき聞いたのよ」と申し訳なさそうに謝った。
「やっぱり母親には敵いませんね」
「そりゃそうよ……母だもの」
王子が落ち着いたことで、ホッと息をつく。
それから師匠を起こし、治癒魔法をかける。
スヤスヤと安らかな寝顔を見せる王子に、師匠も安堵の息を漏らした。
そんな中、王妃が「他にもあるの」と、下で待たせていた侍従を呼び寄せる。
「どうなっているかわからなかったから、ひとまずわたくしだけ来たのよ。毎晩大変だとは聞いていたのだけれど、獣化していたのは知らなかったわ」
「いえ、獣化は今夜が初めてです」
「あら、そうなの?」
「ギュリア様のおかげで助かりました。ありがとうございます。さすがにあれ以上は、もう檻に閉じ込めるしかないかと思い始めてましたので……」
「ジェイシス、檻はいかんと言っただろうが」
再び怪訝な顔で俺を叱る師匠だが、どうしようもない状況になりかけたことは、部屋の結界の強度が物語っていた。
そこへ転移陣が現れ、小さなトランクを持った王妃の従者、アルダールが姿を見せた。
「ギュリア様、ご無事で何よりでございます」
「ええ。では、それを置いてあなたは先に戻りなさい」
「承知いたしました」
トランクを王妃に渡したアルダールは、俺たちに一礼すると、隣に光った転移陣に乗り、消えていった。
ここから先の会話は、制約魔術の内容が絡むだろうと、三人ともが互いを見て頷く。
それを確認するとトランクを片手に、王妃は話し始めた。
「このトランクの中にあるものは、ライアが子どものためにと作っていたものです」
説明とともに開けられたトランクの中には、赤ちゃん用の産着や涎掛け、靴下などがいくつも入っていた。
「わたくしが彼女に教えたのですが……グウェンをはじめ、他の者には、ライアが作ったものだとは教えてはなりません」
「なっ!」
王妃の言葉に思わず声が出る。
「なぜ知らせてはならないんです!? 母親の形見をそれとは知らないで育つなんて、殿下があまりに可哀想です!」
「ジェイシス!」
反発した俺を師匠が睨みつける。
「師匠! なぜ止めるんです?」
「よく考えろ。今の殿下を見てお前はどう思う?」
そう言われて、改めて考える。
母親の匂いのついた涎掛けをクンクンしながら、穏やかに眠る仔狼。
先ほどまでの荒れっぷりが嘘のようだ。
そして、帝国には親族たちが引き上げたライア様の遺品が山とある……。
「ライア様の匂いのついたもので、グウェン王子が操られることを避けるため……」
「その通りです。グウェンには酷なことをしますが、グウェンのため、ひいては国のためでもあるのです」
そう言われて、自身の浅はかさを思い知り、何も言えなくなってしまう。
「わかったか。このお預かりした品は王妃様からの贈り物ということにいたしましょう」
「そうね。では、そのように」
「仰せのままに」
俺の代わりに師匠が受け答えをすると、王妃はグウェン王子をもうひと撫でしてから部屋を去っていった。
なんともやるせない思いが俺の胸の中に湧き起こる。
それをわかっていてなのか、師匠は俺の肩をポンと叩くと、トランクの中身に時間を止める魔法を施すように促した。
少しでもライア様の匂いを王子に残して差し上げるために。
今俺たちにできることはほんの些細な、そんなことでしかない。
「ジェイシスの思っていることはワタシにもよくわかる。だが、そういうわけにもいかない。だからせめて、殿下がこの魔塔で過ごされる期間だけでも、我らの手でしっかり守り、愛情を注ぐのだ。よいな」
「はい……」
それからグウェン王子は、三歳になるまでこの魔塔で過ごした。
あの後も夜泣きやぐずり、オネショに悪戯……もう本当に色んなことがあった。
俺には子どもはいないし、宮廷魔導士には既婚者が少ない。
あれだけ一生懸命育てたこともあり、俺も含めて、みんなグウェン王子のことを実の子どものように思っているところがあるかもしれない。
三歳以降は師匠が必死に教えた魔力制御をマスターし、王族居住区で暮らせるまでになった。
兄であるエヴァン王子が父王より受け継いだ強大な魔力の持ち主だったこともあり、エヴァン王子とよく遊んでいるのを見かけるようになった。
俺と師匠、宮廷魔導士たちのことはどうやら記憶には無いらしいが、俺たちが注いだ愛情が、他者を拒絶しない王子を作ったのだと思いたい……。
もし師匠が生きていて、グウェン王子の今を、キリア嬢との姿を見たら、きっと泣きながら大喜びして、仮誓約の魔導士役を買って出ただろう。
そして、必要以上に盛大な魔力を注ぐのが簡単に想像できる。
もう師匠は居ないけれど……きっと、あの場面も、あの幸せそうなグウェン王子の笑顔も、師匠には届いていると俺は信じている……。
お読みいただきありがとうございます。
ひとまずこちらでジェイシス過去話、グウェンとのお話は完結です。
本当はサイラスとのお話を書こうと思っていたのですが、仔狼出したさにこちらになりました。
また機会があれば、そちらも書きたいと思います。
いつもブックマークや☆評価やいいねなど、本当にありがとうございます!!
もう一つ番外編が残っていますので、そちらも準備を進めます!
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。




