第二章 思わぬ出会い
それから一週間後、王宮に行く日。
私は朝から父様と出掛けるため、早起きをして、侍女におめかしをしてもらっていた。
「ねえ、マーヤ、王宮ってどんなところなの?」
「王様や王妃様、それに王子様がお住まいになられている場所です。それに、多くの貴族が働いている場所でもあります。本来は成人してからしか訪れることが叶わないところでございますよ」
私の専属侍女であるマーヤが私の髪を整えながらにこやかに教えてくれる。
鏡にはブロンドのウェーブがかかった長い髪に、翡翠色の瞳をした西洋人形のような美少女が映っている。
まさかこれが自分だなんて……神様ありがとう! と叫びたくなる衝動を堪えるのに必死だ。
「王様に王子様……! じゃあ今日私が行くのは特別なの?」
「そうだと思います。宮廷魔導士も普通はなかなか会うことができない存在ですから」
「ふーん、そうなのね。宮廷魔導士さん、どんな方かしら……良い人だといいのだけれど」
「そういえば……確か、今の筆頭宮廷魔導士様はご主人様と親しかったかと」
「まあ! 父様のお知り合いなのね!」
思わず勢いよく振り向いてしまい、マーヤに前を向くように言われてしまう。
鏡越しに会話ってなかなかしづらいのよね。
会話をしつつも私の準備は着々と仕上げられていっている。さすがマーヤだ。
「ええ。そう伺っておりますよ。きっとそれもあって、お嬢様の王宮行きに許可が出たのでしょう」
「なるほど。どんな方なのか、お会いするのが楽しみだわ」
満面の笑みで返事をすると「さあ、できましたよ」と肩に手を当てられ、鏡を凝視する。
そこには、水色のドレスを身に纏い、先程以上に可愛く、そして美しく仕上げられた西洋人形が映っていた。
部屋を出て玄関ホールに到着すると、準備の整った父様と、お見送りの母様、そしてなぜか二人の兄様が待ち構えていた。
騎士団に所属する二人の出勤時間はもっと早いはずなのだけど……どういうことなの?
しかも、騎士服ではなく、執務服だなんて。
「え? 兄様たちがなぜまだいらっしゃるの? 出勤時間はもうとっくに過ぎてますよね?」
「ああ、今日は休みを取ったんだ。キリアの一大事だからな。そんなの当然じゃないか」
「そうだぞ。何かあってからじゃ遅いんだ。それに……王宮で変な輩に絡まれでもしたらと思うと……仕事なんか手につく訳ないじゃないか!」
ああ、もう……。
父様と母様は「おやおや」と少し困った顔をしているだけで、止めるつもりは全くないようだ。これはどうやら四人で宮廷魔導士さんに会いにいくことになりそう。
馬車の中で父様に筆頭宮廷魔導士さんのお話を聞くつもりだったのに……。
その後、母様に見送られ、当初の予定とは異なる大きめの馬車に乗って、四人で王宮へと向かった。
道中の馬車の中でも大変だったのだけれど……それはここでは言わないでおくことにする。
体感で三十分位だろうか、それくらいで馬車は王宮に到着した。
王宮が見えてくると、あまりの大きさに思わず声を上げてしまい、二人の兄たちに頭を撫で撫でされてしまった。
父様もその様子にほのぼのしていたのだけれど、王宮の門をくぐり、入口に馬車が着くと、急に表情が引き締まって、一気にできる男の風格が現れる。
え、何このイケオジ……普段の父様どこ行ったの?
しかも、父様だけでなく、何やら向かいに座る兄様たちも心なしかいつもよりキリッとした表情になっているではないか。
え、なんかみんな急にどうしちゃったの?
三人の変化に驚いていると馬車が止まり、御者が扉を開ける。
すると、王宮の入口に居た二人の騎士が馬車に近づいてきた。
それに合わせるように父様が扉から出て、チェーンの付いた大きなメダルのようなものを騎士にかざす。
どうやら、王宮に入るためのチェックを行っているらしい。
チェックを終えたのか、父様はそのまま馬車を降り、兄様たちもその後に続くようにして降りていった。
私はどうすれば良いのかわからず、同じように出ようと顔を覗かせた。
すると、両側から兄様たちの手が差し出される。
「さあ、お手をどうぞ、お姫様」
「危ないからしっかり捕まりなさい」
さながらお姫様のように、両手を取られ仰々しく馬車から降りることに。
入口付近に居た侍女たちだろうか? 女性のキャーキャー言う声が聞こえる。
それと同時に、私が誰かを詮索するような声も聞こえてくる。
「アーヴァイン公爵様のご子息が揃い踏みだなんて……今日はラッキーだわ」
「しかも、今日は騎士服じゃなく、執務服だなんて! レアだわ!」
「それにしても、あの手を引かれている子って、もしかして……」
「アーヴァインの妖精!?」
兄様たち、予想通り人気なのね。まあ、当然か。
ああもう、それにしても、こんな二人に手を引かれるなんて……やっぱりドキドキしてしまう。
三ヶ月ぽっちじゃまだまだ慣れないわ。
それはさておき……
「アーヴァインの妖精」って何? もしかして私のこと!?
いやいや待て待て、まだ社交界デビューもしてないのに、何でそんな呼び名があるの?
私が不思議がっていると、兄様たちだけでなく、父様までが気まずそうな顔をする。
どうやらこの三人……王宮で私の話を色々としていたようね。
てっきり兄様たちだけが色々話をしているのだろうと思っていたんだけど……。
私がジト目を向けると父様が口を開いた。
「いやだってね、あまりにもキリアは可愛いし、仕事で毎日会えないのが辛いから……執務室の机にホログラムの球体を置いていたんだよ。そうしたら、いつの間にかそんな風にみんなが噂するようになってしまってね……」
まさかの犯人、父様だった!
まあ、仕事机に家族の写真置いちゃう人居るよね。わからなくはない。
ホログラムっていうのはこちらの世界では写真と同じような扱いのようだし、別に変ではないか。
ちなみにうちの父様のお仕事は宰相補佐という名の宮廷筆頭管理官なんだそうな。
簡単にいうと、各部門間の調整役。なので、無茶苦茶顔が広い。
そんな父様の机に置かれたホログラムなんて……もう王宮内に知らない人居ないんじゃないかな。
とはいえ、やはり兄様たちがあちこちで私の話をしていたのだろう。
あの気まずそうな顔はきっとそうに違いない。
「まあ、なんだ。とりあえず、魔塔に向かおうか。あれが魔塔だよ」
少し気まずそうな父様がそう言いながら、ここより少し離れた白くて真っ直ぐに伸びた塔を指差した。
魔塔……! なんかすっごくファンタジーっぽくなってきたじゃない!
「魔塔にはたくさんの魔導士がいて、今日会いに行くのはそこの筆頭魔導士だよ。私の旧友でもある。お前が赤ん坊の頃にも一度うちに来て、お前を抱き上げたことがあるんだが、まあ、さすがに覚えている訳はないな。あちらは覚えているかもしれないが。なにせお前は生まれたばかりの頃から一際可愛かったから、印象に残っていないわけはないと思う。何と言っても愛くる……」
あ、これは長くなりそうだ。誰か止めて……と思っていたら、キース兄様が止めてくれた。
「そういえば、あれ以来うちにはいらしていないですよね? 私も久々にお会いするので、楽しみです。騎士団だと魔塔に来ることはほぼないので」
「そうか。私はなんだかんだとしょっちゅう王宮で会っていたからな。キリアが生まれたときだと、もう十五年近くうちには来ていないのだな」
「当時私は十歳くらいでしたが……とてもユニークな方だったと記憶しています」
「あれ? じゃあ、俺も会ってるんだよね? あんまり記憶にないなあ……」
「ああ……お前も一応会ってはいるな。あまりに騒がしくうるさかったので、奴が眠らせてしまったが……」
「はい!?」
「あれ? そうだっけ?」
いやいや、そんなサラッと返すことなの? しかも、父さまそれで良いの?
我が子眠らされてオーケーなの? ユニークとかそんなレベルじゃないのでは……。
もうツッコミどころが多すぎる。
それにしても、筆頭魔導士……なかなかすごい人みたいだわ。
そんなとんでも会話を聞きながら、魔塔へ向かって王宮内廊下を歩いていると、急に今まで嗅いだことのない何ともいえない馨しい甘い香りが鼻腔をくすぐった。
すごく良い香り……花の香りかな?
けれど、辺りを見回しても、あるのは日除けに植えられた背の低い針葉樹のみで、香りの元になるような花は見当たらない。一体何の香りなのか?
「ねえ父様、この付近にお花の咲いている場所があるのかしら? さっきからすごく良い香りがしているわね」
私の問いに、三人は揃って首を傾げた。
「何か香っているかい? 私は何も匂わないのだが……」
「私もです。父上」
「俺も何も匂わないよ」
「え?? 甘い香りがしませんか?」
「いや、全くそんな香りはしていない」
驚く私に三人が一生懸命何かを嗅ごうとするものの、やはり何も匂わないようだった。
どういうことだと四人で顔を見合わせていた時だった。
不意に向かいの角を曲がって一人の男性が歩いてきたのだ。
見るからにガタイの良い、兄様たちにも引けを取らない寡黙そうなイケメンだった。
すると、その男性を見た父さまが小さく「まさか……」と呟いた。
男性は急に速度を上げて私の方へ向かってくる。
不意をつかれたのか、父様と兄様たちが慌てて止めようとするが、それをすり抜け、気がつくと私の前に膝をつき、満面の笑みで私の手を取っていた。
「え!?」
思わず悲鳴のような声が出てしまう。
けれど、父様も兄様たちも相手の正体がわかっているのか、振り払う様子はない。
ただ黙って見守っている。
どういうこと?
「初めまして。可愛い人」
「え? あ、あの……」
慌てて一瞬後ずさろうとした途端、取られた手を強引に引かれてしまう。
掴んだ手を離そうとしてくれない。イケメンだけど……なんか怖い。
すると、私が怯えたのが伝わったのか、離しはしないものの、手の力を少し緩めて、じっとこちらの様子を伺い、さらに何かを乞うような瞳で声をかけてきた。
「驚かせてしまってすまない。怪しい者じゃない。私の名はグウェン・カイル・サージェスト。サージェスト公爵家の当主だ。お名前を伺っても?」
サージェスト公爵家……どこかで聞いた気が……。
それにしてもイケメンの破壊力……名乗りながら真っ直ぐに私を見つめる瞳は漆黒なのに、時々青みを帯びる不思議な色をしていた。
突然のことに訳がわからず、コクコクと首を動かすのが精一杯の私に、彼はまるで宝物を見つめるかのように優しく微笑んだ。
イケメンの破壊力ヤバイ……。兄様たち以上にこの人甘くて危険……。
「は、初めまして。き、キリア……。キリア・アーヴァインと申します」
「キリアか……良い名だ。いくつだ?」
「……十四歳です」
「なるほど……どうりで社交界などで見ていない訳だな。そして、この甘い香り……やはり間違いないようだ」
「え!? サージェスト様はこの香りを感じるのですか!?」
驚きを隠せず、思わずはしたなく声を上げてしまう。
けれど、父様も兄様たちも全く止める気配はない。
それどころか、皆複雑な表情で私とサージェスト様をただ見守っていた。
「もちろんだ。この香りは、獣人が番いを引き寄せるために発する香りに、番いが反応して起きるものだからな。化学反応、とでも言うのかな。私も実際に嗅ぐのは初めてだ」
「獣人……? 番い?」
「ああ、私の愛しい唯一の番い……やっと、やっと出逢えた」
私が頭に疑問符をたくさん浮かべた時だった。
膝をついていたサージェスト様が不意に立ち上がり、私を抱き寄せようとした。
それに気づいたカイン兄さまが勢いよく割って入り、気づいた時にはカイン兄様の腕の中に抱きかかえられている状態だった。
「ストップ! そこまで! うちのキリアにこれ以上触るのは禁止です! 殿下!」
「あ、ちょっ」
「殿下……そこまでです」
カイン兄様のさらに前に父様が入ると、サージェスト様は、小さな子どもがおもちゃを取り上げられたような、犬がお預けを言い渡されて耳が垂れ下がっているような表情を一瞬すると、何とか我に返ったのか、冷静さを取り戻したようだった。
え? 殿下? どういうこと? 公爵様じゃないの?
カイン兄様に抱きかかえられながら、私の頭の中に更なる疑問が追加されてしまった。
「……アーヴァイン公。すまない。気が急いてしまったようだ」
「いえ、失礼いたしました。まさかこんなことが起きるとは……ですが、まだキリアは未成年ですし、状況もよくわかっておりませんので、今日のところはどうか引いていただけないでしょうか」
父様が苦しそうにそういうと、サージェスト様もまた辛そうに、けれど、先程までとは異なるしっかりとした表情で答えた。
「名残惜しいが仕方ない。また出直すことにする。陛下にもご報告せねばならないし、準備も必要だからな。……次はきちんと挨拶に伺うことにするよ」
「そうしていただけると助かります」
「ああ。では、キリア嬢。また近いうちに必ず」
「えっ、……あ、はい……」
そう言うと、サージェスト様は本当に名残惜しそうに私の顔をじっと見つめると、何かを振り切るように、物凄い勢いでその場を去って行った。
サージェスト様が去ったのを見届けると、カイン兄様は私を下ろしてくれた。
「一体何だったのかし──」
「「「はあ〜〜〜〜〜〜」」」
私が軽く呟いた言葉に、三人の重い重いため息が重なる。
しかも父様なんか、今にも泣き出してしまいそうな表情だ。
さっきまでのイケオジ公爵然としていた姿はどこへ行ってしまったのか……。
兄様たちも悲壮な表情を浮かべ、各々結構大きめな独り言をブツブツと言い始めた。
「私の可愛い可愛いキリアが王弟の番いだなんて、何かの間違いだろう? 生まれた時の謁見では何もなかったのに、どういうことなんだ……」
「よりにもよって、王弟の番いだなんて……破棄もできなければ、逃げることもできないじゃないか……魔力も無い上に、こんな仕打ちって……あまりにもあまりだろう……」
「相手が王弟だろうが、番いだろうが知ったことか! 俺からキリアを奪うものは誰でも許さない。持ちうる限りの力で、八つ裂きにしてやる! 俺がキリアを守るんだ! キリアは誰にも渡さない!」
なんか最後の一人はもはや独り言じゃない上に、危ないこと言ってるけど……というか、サージェスト様って王弟なの?!
そりゃ父さまたちがギリギリまで何も言えない訳ね。
しかも、生まれた時の謁見って……魂が入れ替わっていることがバレたのでは!?
え? ヤバいんじゃないの!?
それに、婚約破棄もできなければ逃げることもできないって一体どういうことなの?
わからないことが多過ぎる。
でも、一つ言えることは、なんだかとんでもないことになりそうってことね。
もうなんか次から次に何なのよ〜〜!
思わず物騒なことを言っているカイン兄様に「私を守って!」と縋り付きたくなってしまう。
私このままどうなるのかな……。
でも……正直、あのイケメンのキラキラは忘れられない。
カッコ良かったなあ〜。兄さまたちもカッコ良いんだけど、なんかこう……王子様だからか、気品とか、醸し出す空気までキラキラしていた。やっぱり異世界転生はこうじゃなくっちゃ!
そんな具合に私だけが少し浮かれて、他の三人が暗く落ち込んでいる時だった。
魔塔の方向から青白く光る丸い球体がこちらに向かって飛んできた。その球が側まで来ると、球体から急に低い男性の声が響いてきた。
「なかなか来ないから様子を見にきてみれば……大丈夫かい? サイ」
「ジェスか。すまない……。大丈夫と言いたいところだが、そうもいかないようだ」
突然の呼びかけに父様は相手の名を呼びながら、落ち込みを隠さずに答える。
父様が愛称で呼ばれるのを聞くのは、家族や親族以外だと初めてではないだろうか。
ジェスさん? よほど親しい方なのね。
もしかして、例の筆頭宮廷魔導士さんかな?
「少し見ていたんだが、なんか大変そうだな。ひとまず、魔塔へ来てお茶でもしないか」
「そうだな。そうさせてもらおう」
「では、待っているよ」
そう言うと、光の球体は魔塔の方へと戻って行った。
優しそうな声だったな。どんな人なんだろう? 会えるのが楽しみだわ。
「というわけだ。お前たちが暗くなるのもよくわかるが、ひとまず場所を移そう」
「はい。父上……」
こうしてまさにトボトボという感じで、当初の予定通り私たちは魔塔へと向かっていったのだった。