DEATH▶HELLO ですぷれいはろー
エネルギーが切れるまで進み続ける。銃弾のような勢いで道路を渡る大型トラック、それの爆音が街中の気を害す。
皿を擦る際の効果音に似たブレーキ音とともに、華麗なスリップを極める。有って無いような秋の虚空を、微妙な広告が貼られた荷台部分が蝶のように舞う。何が起きたのか。そんな検証は専門業者にでも頼めば良いことだが、とにかく珍しい現象が起きた。
周りを囲う中毒患者共は運転手を気遣うことも、何らかの通報をするわけでもないくせに、多機能の携帯電話を構える。総ては良い写り、見栄、俗に言う“映え”のために、その行動は起こされる。
気持ち悪いくらい滑らかに踊る指を画面に沿わせ、下中央に表示される円に、指紋と呼ばれる特別な紋様を重ねる。
安物のカメラを彷彿とさせる軽いシャッター音がこの場を埋め尽くす。世間様とやらに仇成す極悪人を主人公とした記者会見と何ら変わりはない。このパフォーマンスのせいで道を絶たれた車々が天使の喇叭の如くクラクションを鳴らしても、義務付けられた鬱々しい職を全うするためだけに先を急ぐ横文字好きな社会の奴隷たちの欲求不満を具体的化した嘆きが挙がっても、只今世の雑音を征す存在は、電脳麻薬だ。
少し遅れて救急車のサイレンが場を正しかけていたが、混雑等による時間経過のせいで決まってしまったトラック運転手の末路は、言うまでもなく。午後の報道か明日の朝のニュースで、理解者を気取った勘違い群が心にもない無頓着なお悔やみを申し上げるのも、これまた言うまでもない。それでも所詮は新聞の角を使う程度。数刻経てばその手の番組で「驚愕映像」と取り上げられるのだろうか。民衆から関心を得られない命は、誰も気にしない故に札のように薄く軽く、目線さえ違えば金のように重く尊い。
道路脇、排気だったり排水の管がこんがらがった路地に置かれた段ボールの中からも、同類もしくは比べる必要性のない下位とも取れる命が顔を覗かせる。
その少女は、事故や野次馬、救急車の騒音により、悪夢より酷い正史の夢から覚めてしまったらしい。
環境に爆弾を投じる種類のガスが纏わり付いたようにすら見えるほど汚れた身体、痩せた筋肉を奮い立たせるが、追い風に煽られ、その小さく脆いお家諸共前方に倒れる。少し傷付いた額から流れる血にも、色や流動性から、どこか不健康的な雰囲気が感じられる。
栄養の足りない、簡単に音を立てて折れそうな足に鞭打つ勢いで、全身全霊を懸けてようやく起き上がった。
その頃には人命を画像より安く見た人集りは消え失せ、立入禁止のテープが貼られていた。法の下に正義を晒す集団が、意味のわからない行為を働いている。少し大事になっているようだ。新聞の枠が少々広がるかもしれない。
強大な権力を持つ大人たちに、一部始終を見ていたかもしれない少女は言い寄られる。「お嬢ちゃん、どうしたの?」と。
自分たちでは優しげに語りかけようとしているも、少女にとっては恐怖そのものだ。『知らない』『大人』、これ以上に恐るべき材料は他にない。
一瞬の静寂が流れる直後、少女は渇き枯れた声を発する。本来の声色を察することもできない、そよ風や砂を踏む音にすら掻き消され、どこの誰にも届くことのない、極限まで潰れた生気の感じられない声。
それは言葉に成らない。
少女は、言語機能を失っていた。発音ができないのだ。
知らない大人たちは、明らかに不快そうな表情をして、税金の無駄遣いの可能性を考える。保護だとか、そんなことをぶつぶつと、仲間内で、少女の思考も察せられない人間だけで判断を下そうとしている。
明らかにその少女に対し、事情も知らぬくせして勝手に同情している。無意味な正義感やらで「可哀想」と下に見ている。今まで見向きもしなかったのに、今更、事故のついでに、情報を聞き出すついでに助けてやろうと、どうせその程度としか思っていないだろうに。
触れるのにすら躊躇している奴が、簡単に剥がれそうな、気持ち悪い作り笑顔をして、表情筋を細かくヒクつかせながら、白い袋をした手を差し伸べる。
その時。男の警官冬服の袖が落ちる。
遅れて、薄く傷が刻まれ、それに沿って腕が滑り落ちた。まるで解剖書の図解のような、美しさすらある断面で、出血も異様に少ない。
『ねえ、綺麗だろう?』
脳に直接刻み込まれる、独特な声。人に近いがそれに非ず、知る内の言葉では表し難く、奇妙な感覚を覚える。
この小さな世界で、その声を脳に刻み込まれたのは、その少女のみ。それ以外には、届きはしない。
『おはよう。黒い神が死逢せの鎌を晒しに来たよ』
腕を滑らせた男が痛々しい叫び声を上げ、場を掌握する。それでも謎の声は滞ることなく、続く。人間の声とは波長────世界が違うようで、どれ程大きな音が発せられようと、飲まれずに、自然に聴こえる。
『腕が斬れた程度でウルサイね、早く現状を告げよう。名前は────君に名前は無いのか、考えないと。そうじゃなくて、ほら、見える? 鎌。見えない? ああやっぱり。じゃあ、名前を呼んで。“カルカミメイシェル”。カルカミエルって呼んで。死神だけど、そのほうが天使っぽい』
──────わたしに、いってるの?
形の見えない声の主に、そう、少女は問う。
実際に喋っているわけではない、喋れないのだから。
脳内で、語りかけているだけ。個心で、思っているだけ。周囲の誰にも聞こえていないらしい声が、少女にだけ聞こえる。
小刻みに体が震える。寒さだの恐怖だのに震えているのではない。ただ、権力のある安全圏の警察ではなく、初めて耳にする“死神”の言葉に魂を掴まれた。それ以外の理由はない。必要もない。
『さあ。さあさあさあ! この死神と契約をしよう!』
少女は、潰れ掠れた灰色の声で笑った。
物心付いてから今現在まで、一度たりとも使われることのなかった筋肉が少し引き攣っている。