第一話
ここはゲドラス山脈。王都より遥か南に位置し、貴重な資源が採れるということで有名。だが、貴重な資源とともに暮らす希少な魔物が巣食う森としても知られている。
「わー!!ヤバいどうしよう、どうしよう!種はあと1個しかないよ!」
道なき道を木をかわしながら、茂みをかき分け突き進む青年。そしてその脇には泣きじゃくる少年を抱えていた。
「ねぇお兄ちゃん、早く倒してよー!何やってんの!?倒せるんでしょ?さっきそういってたじゃん!?」
背中に迫る殺気を感じ咄嗟に木の陰に飛び込むが、その木を蜘蛛の巣のように払い飛ばす。魔物は背丈3メートルほどのトロール。巨躯でありながら、気を抜けばつかまりそうなほどに俊敏であり、大木を一振りで払い飛ばすところを見れば、かなわないのは一目瞭然である。
「その予定だったんだけど、あいつ強すぎるんだよ!そして俺はそんなにつよくない!!!」
「お兄ちゃんの嘘つきー!!!」
少年の叫びが森一帯にこだました。と、同時に怪しげに揺れている観葉植物のような花が走る青年の目に留まった。
「なんだあれ? なんか霧みたいなの出してる、でかい花……と、女!!?」
袋状になった花の真ん中から、華奢な脚が2本出ている。
「えっ!?」
青年が2本の脚を認識したと同時に袋状の植物は大きくうねりだし、植物の色は緑色から一気に赤色へと変貌した。次の瞬間、赤く染まった植物から、女もろとも赤い液体が青年のもとへ勢いよく飛んできた。青年は咄嗟に横へとステップを踏み間一髪のところで回避したが、その時後ろにいたトロールは赤い液体を全身で浴び、女の上半身はまたしても魔物の口にくわえられている。
「やべっ、どうしよう! 使うか?残り1個の種を…でもこれ使っても倒せないし、そもそもあの女が生きてるとも限らない。でも…やれるだけやってみるか?」
トロールはなぜか女の上半身を加えたまま仁王立ちでまっすぐ前を向いている。
「なあ君、走れるか? 多分だけどだいぶ森の端のほうまで走ってきたみたいだ。ここからなら、走って君の家がある村までそんなに遠くないと思う」
「えっ、あっ! そう言われれば、この辺は見覚えがある! 多分もうすぐ村だ、村の周りには魔よけの札が貼ってあるからそこまであともう少しだ、走ろう!」
少年は先ほどまで流していた涙をふくのも忘れて青年を促すが、青年は魔物の方を向いたまま。左手には指先ほどの球体を人差し指と親指で摘み持っている。
「俺はあの子を助けてみるよ。まだ生きているかもしれない。だから君は先に村へ戻るんだ」
「えっ!? なんで、明らかに死んでいるよ! お兄ちゃんも早く逃げなきゃ、あの魔物はお兄ちゃんじゃ倒せないんでしょ?」
「うん、確かに俺じゃ倒せないけど、魔物に人間が食べられるのは見たくも想像したくもないんだ。大丈夫、あの子を引きずり出したら余計な戦闘はせずに、俺もすぐに村へ向かうよ」
トロールの上半身が少し動いた。
「早くいくんだ!」
「わかったよ、村で待ってるからね! 絶対だよ!」
少年の後姿を見送り、青年は手に持った種を口に含んでボリボリとかみ砕いた。そしてそれを一気に飲み込んだ直後、青年の足元はまるで隕石でも降ってきたかのように陥没し、体は湯気をまとったかのように薄白い霧に覆われている。
「よっしゃ、それじゃやれるだけやってみるか」
青年が拳に力を込めた次の瞬間、仁王立ちだったトロールの口はまるで顎が外れたかのように力なく開いた。女の体が地面へとずり落ちる直前に、青年はしっかりと両腕で女の体を抱き留め、素早くトロールと距離をとった。その直後、トロールはその身を硬直させて前へ倒れたままピクリとも動かない。
「死んだ…のか?」
青年は思い出したかのように、女の顔に目を向ける。女はブロンドのショートカット、首には白色の魔石のようなものをペンダントにしてかけている。
「大丈夫か!? なぁ!」
青年は膝をつき片手で抱きかかえたまま、応答がない女の首筋にそっと手を当てた。指先はしっかりと脈を感じ、青年はほっと肩をなでおろす。
(それにしても魔物の口にくわえられていたのに、服が一切溶けていない?ってことは、魔物の体毛が素材に使われてる戦闘服!?まあ戦えないやつがいるような場所じゃないし、そりゃそうか)
白色のシャツは魔物の唾液によって濡れており服の向こう側が薄っすら透けている。さらにはボタンも上3つほどが外れており、青年は抱きかかえた女の胸元からとっさに目を逸らした。
(やべ、見ちゃった。まあでも気絶してるみたいだし、まあいいか少しくらい)
そう言って恐る恐る視線を戻そうと、顔を向けると女の目は見開いていた。
「えっ、あぁ目覚めたんだね! よかった! ハハッ…ハハハッ……」
青年は下心をごまかすように引きつった笑顔を必死に繕った。だが、女の警戒心は今考えるべき問題を確実に捉えていた。
「……誰…?」
「えっ、あぁ俺? 俺は王都に向かってたんだけど、いつのまにやら魔物に追われちゃってさ、そしたら君が魔物に食われそうになってたから助けなきゃと思って」
青年は自分が怪しいものだと思われないように、できるだけ落ち着いて状況を説明した。
「あぁなるほどね、それで私を助けるためにこの手は一体どんな意味があるのかしら?」
女が目覚めた時、驚きざまに青年の手は女の二の腕から成熟した胸の方に移動していた。青年の手は女の脇を通り、二の腕に挟まれた状態で胸の脂肪に指がしっかり埋もれている。
「あーーー!ごめんなさい、ごめんなさい! 本当にごめんなさい、そんなつもりはなくてただ、気絶してたから、抱えて逃げようと思ってただけなんだ!」
突然の指摘に驚いてとっさに女の体から離れた。無意識に青年の手のひらは女の方を向いて、自分は無害だと体を使ってアピールした。
「まぁいいわ、要するに助けてくれたわけね。ありがとう、確かに体がうまく動かせないわ。あなたがいなかったら危なかった」
落ち着いて自身の状況を理解した女は倒れている魔物の死体を少しだけ眺めて、その後青年の方を向き直した。
「ところでここがどこだか分かる? 私も王都へ帰る途中に仲間とはぐれちゃって、とりあえず近くにあるカラミスの都市へ行ってみようと思ってたの」
「へぇ、そうなんだ! 俺もここがゲドラス山脈のどのあたりなのかは分からないんだけど、一緒に逃げてた少年の村が近くにあるみたいなんだ! よかったら一緒に行ってみる?」
先程の汚名を返上しようと、明るい声色で女に訪ねた。
「そうね、またいつ魔物と出くわすかわからないし、よければ案内してくれる? 魔力の消耗も激しいみたいだし、その村で一休みしたあとに改めてカラミスの都市へ向かうとするわ」
「オッケー、あの子は確かあっちの方に行ったと思う! あと少し歩けば魔除けの札があるみたいなこと言ってたよ」
少年の言っていたことを振り返った後、青年は重い腰を上げて浅くため息を吐いた。
「じゃあ行こうか!」
「うん、そうね。でもちょっともう少し体を休めないとまだ体に力が入らないみたい」
足を崩した状態で座っている女は、顔に少しの汗を流しながら困った様子で考え始めた。妙に艶っぽい女の顔を見た青年の心は先程の胸のざわめきを思い出し、その視線はいつのまにやら女の体に引き寄せられていた。
「だからってあなたに背負われるのも嫌だしなぁー」
女の視線を感じ我に返る青年だったが時すでに遅く、女の不審者を見るような目はもはや覆りそうもなかった。何を言っていいのか分からなかった青年は気まずさに耐えかねて、その場にうずくまった。言葉にできない自己嫌悪と女の前からいなくなりたい気持ちを、言葉なき声に出して、『あー、あー』とうなだれ始めたのだ。
「あなた、一体どうしたの?」
女は青年の理解できない言動に身をのけぞらせ警戒感をあらわにしていた。この人は信用していいのか?そんな疑問を考え始めた矢先、森のどこかで先程のトロールのような魔物の雄叫びが聞こえた。二人は雄叫びが聞こえたほうに反射的に顔を向けた。その後、女は若干下を向いて深くため息をつき、落ち着いた様子で青年に話しかけた。
「ねぇ、その近くの村まで私を背負って行ってくれない? ここで休憩しててもしまた魔物に襲われたら私は一巻の終わり。なんとか頼めないかしら?」
「お、俺で良ければ……全然それくらい…するよ?」
青年は自身が頼まれているにも関わらず、申し訳なさそうに女の頼みを了承した。