ヘレン・シャルフベック「快復期」が病んだ私を救ってくれた
大学4年生の時である。就職活動の時期に、私は将来が不透明で、不安定で病んでいた。
元々やりたいことがあったのに、その道に進むには自分の実力が足りず、会社員をやりながら目指すという方向に決めたのだが、会社でやりたいことが分からなかった。
なので、面接では本当は心の中にやりたいことへの想いがあるにも関わらず、嘘の笑顔で、嘘の言葉を吐きながら面接官に自己アピールを続け、いつも落とされていた。
そんな中で受ける専攻の美術史の授業は現実逃避になっていた。
絵画はいつも非現実へと自分を連れて行ってくれる。描かれている内容が自分の生活とかけ離れていればかけ離れているほど、意識を自分から外へ飛ばすことが出来た。
5限目の授業に、去年は無かった「北欧美術史」の授業が今年だけ追加されており、以前から北欧美術に興味があったので受講することにした。
国立西洋美術館主任研究員を経て、東京芸術大学美術学部芸術学科准教授を勤められている佐藤直樹先生という北欧美術史専門の先生がいらっしゃって毎回北欧の画家についての知識を私たちに教えてくださった。
どれも初めて聞く名前の画家と絵ばかりで、就活によって乾いていた心に綺麗な水が落とされたように、植物がむくむくと生命力を取り戻していくように瞳を輝かせて目はうるさく、しかし口は閉じて静かにお話を聞いていた。
「ヴィルヘルム・ハマスホイ」……ふむふむ、デンマークの室内画を多く描いた画家か……。後ろ向きの漆黒のドレスを着た女性たちが謎めいていて、白く灰色がかった薄明るいシンプルな室内に何故か心が惹きつけられた。華やかなだけが絵画ではないんだと気付かせてくれる画家だなと感じた。
北欧画家は単色の明るい色合いで描かれる他の国の画家よりも、どちらかというとハマスホイのようにシックな色調で切ない優しさを感じさせる絵を描く画家が多いように感じた。
あの有名なムーミンの作者・トーベ・ヤンソンもフィンランド出身の北欧画家である。彼女は元々画家で、ムーミン以外の油彩画等も描いており、彼女の作風も切なく優しいと感じるものが多かった。
北欧美術の面白さを知っていく授業の中で、出会ったのが、「ヘレン・シャルフベック」というフィンランドの女性画家だった。
私はどうも日本美術でも上村松園のような女性画家に心を惹きつけられてしまう。それは彼女たちの過酷な人生に同性として感情移入してしまうからであろうか。ヘレンも決して幸福とは言えない人生であった。
18世紀のフィンランドに生を受け、3歳の時に事故で腰を痛め、足を不自由にし、11歳の時にフィンランドの描画学校で絵の才能を見出された彼女。18歳で政府の旅行許可を受け、奨学金を得てパリに渡り、写実主義の画家レオン・ボナに学び、私立の美術学校、アカデミー・コラロッシで学ぶ。
才能溢れ、画家人生を順風満帆に突き進んでいくように見えたヘレンであったが、1883年に結婚したイギリス人画家に2年後一方的に離婚されるという悲劇を味わう。
ヘレンがその辛い時期に描いた絵画の紹介が授業で行われた。
それが「快復期」との出会いであった。
椅子に座った跳ねたブロンドの髪の少女が白に藍の模様の描かれた小さな陶器に萌え始めた草木を一本差している。青い瞳でじっとその若葉を見つめている、といった絵であった。
病気から快復しようとしている絵の少女とヘレンの心の回復を照らし合わせて描かれたと言われる絵画だ。
私はその絵を授業で聞いた後、自身の足を運び、芸大の美術館で行われていた「ヘレン・シャルフベック展」で実物を目にした。
そこで「快復期」の本物の絵画を見て、意図せず心の内側から涙が溢れた。
これは自分だと思った。大人の自分が絵の中の幼い少女と重なって見えた。
人生に悩み、病んで苦しんでいた自分。その自分がこの少女のようにもうすぐ快復へ向かえるんだなという温かい確信のようなものがあった。
絵から受け取った共感と活力を、この時に強く感じた。自分の生活とはかけ離れた少女と国の事であったが、自分の心と深く共鳴できるものがあり、この先の人生を歩んでいけるよ、という勇気を与えてもらえたような気がした。
その時から「ヘレン・シャルフベック」の「快復期」は私にとって大切な絵画となっている。