一夜の幻
拓巳さんとの初めての出会いは、かなり衝撃的だったけれど、僕はすっかり彼の虜だった…
当時付き合っていた二人の年上の彼女たちとの約束もそこそこに、僕は1週間のほとんどをバーでのアルバイトに注いだ。
拓巳さんが来店した日は、仕事終わりに二人で食事をして語り合い、最後はホテルになだれ込むのが日課の様になっていた。
拓巳さんは流石の大人の余裕でいつも全て奢ってくれるし、博識で色んな事を教えてくれるし、他愛のない僕の話もよく聞いてくれた。
今の収入の基盤となっている投資についてもこの頃教わったものだ。
…はっきり言って、今でこそ助かっているけれど、投資なんてそこまで興味は無かった。
僕がこんなにも勉強して投資を極めたのは、全部拓巳さんの為。
拓巳さんに少しでも近付きたくて…
ただそれだけの、不謹慎な理由からだった。
僕はそんな日々がすごく幸せだったのだけれど、幸せな日々というのは、どうしてか、長くは続かないものなのだ…
ある時から拓巳さんはパタリと店に来なくなった。連絡をしても
「今少し忙しい。しばらく店には行けない。ごめん。」
と、素っ気無い返事が遅れて返って来ただけだった。
僕は寂しくて彼にとても会いたかったけれど、しつこくしてますます拒まれたりするのが嫌で、我慢して彼から来てくれるのを待つしか無かった。
その頃彼の立ち上げた会社はアプリの開発を主に行なっていたのだけれど、大手が同じ様なシステムを開発し、あっさりとその座を奪われた。
その後も新たなアプリを開発するも、初期の様な斬新なものはなかなか出せず、気が付けば会社は倒産の危機に瀕していた。
立ち上げから共に戦ってきた彼の4人の仲間は、1人減り、2人減り…最後は拓巳さん1人になってしまい、彼は、支援してくれていた投資家達に1人で頭を下げて回ったそうだ。
その後、事業内容を変更し、彼は再び会社を設立。今では大手とも肩を並べるまでに成長している。
僕は拓巳さんがそんな大変だった時に、何も出来ず、当然だけれど、頼られる事も無かった。
全ては後から聞いた話だった。
けれど、会社が再起した事で、また以前の様に拓巳さんと会える様になった。
その頃から彼は店には1人でくる様になった。
以前の仲間たちはもう居ないのだ。その事を寂しく思わないのかと尋ねると、彼は
「寂しいよ。でもこれでいい。あの頃の俺にはみんなを守る力が無かったんだ。
でも今は違う。もしまたあいつらが戻って来てくれたら俺は今度こそ彼らの生活を守るし、喜んで向かえ入れる。
優秀な連中だったからなー。あいつらが働きたいと選び取ってくれる様な会社を俺は作らないとな。」
そう言って彼はお気に入りのスコッチを飲み干した。
拓巳さんは、自分を置いて去って行った彼らを少しも恨んでなど居なかった。
僕は彼のグラスにアードベッグを注ぎ入れながら、どうして彼らを許せるの?と問うた。
あなたが1番大変だった時に、あなた1人を置き去りにして消えた人たちなのに。
彼が大変だった時に、彼の為に何かをするでも無く、ただ彼の方からまた会いに来てくれる事を待つ事しかしてこなかった自分もまた、同じなのだ…
そんな思いから出た問いだったかも知れない。
すると拓巳さんは、
「あいつらにも、あいつらの生活がある。
その中で俺を選んでくれたなら俺はその人に最善を尽くすだけ。」
「まぁ、本当よくみんな、あそこまで残ってくれたよ、最後の方は給料だって満足に出せなかったんだ。
…本当、感謝してるんだ。」
自分の事が恥ずかしくなった。
僕はずっと、自分が嫌われたく無くて、拓巳さんの事を知ろうとすらしていなかったのに。
恥ずかしさの反面、更に拓巳さんへの想いも高まった。
相変わらず、拓巳さんは会うたび僕を乱暴に抱いた。その痛みが快感に変わる事は無かったけれど、僕にとっては、拓巳さんにそうされる事が大事だった。
拓巳さんに乱暴にされて与えられる痛みは、僕の罰、僕の戒めだ。
それが良いのだ。
再びその逢瀬が始まるも、それもやはり長くは続かなかった…
拓巳さんの新たな事業は以前より忙しい様で、会える回数は目に見えて減っていった。
僕も僕で、その頃には朱華と出会い、バーのシフトも減らしてもらい、昼間はカフェで働く様になっていた。
少しずつ離れていくうちに、拓巳さんは仕事の関係で出会ったモデルの女性と結婚する事になったのだと、僕は人伝に知ることとなった。
ー…拓巳さんが、女性と結婚??
何かの間違いでは無いのか?
初めは信じられなかったけれど、段々落ち着くにつれ、そういう事もあるのだろう、と、妙に納得出来た。
だって拓巳さんの事なんて、僕は何も知らないのだから…
それでもこうしてまた拓巳さんと会えた。
拓巳さんは僕に結婚生活の話はしないし、僕からも聞いたりしない。
ただ…当然の様に会って、当然の様に抱き合って、当然の様にまた、互いの日常に帰って行く。
それだけだ。
こうして一夜の幻の様な逢瀬は明けていった。