恋人たち
もうそろそろ時計は19時をまわろうという頃だった。僕と亜美ちゃんは今日のデート先のレストランに向かって街の中を歩いていた。
亜美ちゃんは今日も楽しそうに僕の腕に絡み付いて、学校での出来事なんかを一生懸命話してくれる。
「でねっ、美咲が…あ、美咲っていうのは先週一緒に雪都くんのカフェに行ったあの子ね、覚えてる?」
「…覚えてるよ、あのショートヘアのスラッとした子だよね」
「そうそう!それで…
てゆーか雪都くん、1回しか見てないのに美咲のこと覚えてるの?なんで??もしかして可愛いかったから?!
まさか雪都くん美咲に告白されたら、美咲とも付き合うの?!?!やだやだっ!」
亜美ちゃんは急に不安になったのか次々まくし立てる。
僕が他に恋人が居るのに亜美ちゃんとも付き合っているから、その子とも関係する気なのかと気にしているのだろう。
「僕の大事な彼女が連れてきた人だから覚えてたんだよ。連れてきた人が男だったらもっと覚えてた。」
「え…雪都くん、やだぁそうなの?
嬉しいっ!!」
彼女はすっかり上機嫌になった。
亜美ちゃんのこういう所、本当…可愛くて、愛しい…
そんな他愛のない戯れをしていた時、向こう側から知った顔の人が歩いて来た。
僕はまっすぐに彼を見つめた。
背が高くてガタイもよく、顔は彫りが深くて
一見プロアスリートのような印象の男。身につけている物も、シンプルだけど品があって大人の雰囲気の漂う、そんな人だ。
ー…僕はこの人を知っていた。
向こうから歩いてくる彼は、連れの男性と何やら楽しげに話していた。
僕は、彼がこちらに気付けば良いのに…と思いながら、じっと彼に視線を向けて歩いていた。
隣を歩いている亜美ちゃんは、僕が話に上の空でいる事などまるで気付いていない様だ。
ふと、彼の視線がこちらを向いて、目が合った。
彼は柔らかく微笑むとこちらに手を上げた。
僕は駆け寄りたい衝動に駆られたけれど、冷静に足を進めた。
そうして彼と対峙すると、
「雪、久しぶりだな。なに、今日はデート?」
と、声を掛けてくれた。亜美ちゃんは僕を見上げた。
「雪都くん、知り合い?」
僕は亜美ちゃんの質問には答えずに
「拓巳さん、お久しぶりです。今日は、まぁ、はいそんな感じです」と、彼を見つめた。
「今日は‘ヴォッカ’休みなんだ?また行くよ、じゃあな」
そう、短く言葉を交わすと彼は去って行った。
「ねぇ雪都くん、まぁそんな感じってどんな感じよ!ちゃんと彼女ですって言って欲しかったな!」
亜美ちゃんは隣で頬を膨らませて拗ねている。
「ごめんね?あの人お店の常連さんなんだ。あんまりプライベートなことは、ね。」
「お店って、雪都君が夜働いてるバーの事?
いいなぁ~私もそこ行ってみたいなぁ。バーテン姿の雪都君見てみたい!ねぇ、今度行ってもいい?」
「…それは、ダーメ。」
「えー!どうして??」
不満げな亜美ちゃんを宥める様に言った。
「あの辺りなかなかディープだから、危ない人も結構来るんだよ、亜美ちゃんが変な人に絡まれても、僕は店員だから下手に手は出せないし。だから、ごめんね」
そう説明すると、亜美ちゃんはまだ少し不服そうだったけれど、納得してくれた様だった。
まぁ、結構イカツイ拓巳さんを見たばかりだったから納得したんだと思う。
それから僕らは食事をして、亜美ちゃんを駅に送る所だった。
「ねぇ、雪都君…」
食事をしている時から何だかモジモジした雰囲気の亜美ちゃんが、駅の手前の交差点で信号待ちをしている時にこんな事を言い出した…
「今日ね、実は私、美咲の家に泊まるって言ってあるの!…美咲にも口裏あわせて!ってお願いしてるから…だから、今日は朝まで一緒に居られるんだけど…私、今日雪都君のお家、行ってみたいな…なんて…」
亜美ちゃんは甘える様な上目遣いで僕を見上げた。
いつもの僕なら連れて帰ったかも知れない。今日は朱華も居ないし…
でも…今日は…
「ごめんね、家は、シェアしてるから連れて行けないし、実は今日はこの後少し用事があるんだ…」
亜美ちゃんはとても残念そうにうなだれてしまった。
「ごめんね、今度必ず埋め合わせするよ。」
そう言うと僕は俯く亜美ちゃんの顎を、くいと持ち上げてキスをした。
往来の真ん中で。
亜美ちゃんは驚いていたし、道ゆく人もこちらを振り返った。
亜美ちゃんは先程の事などすっかり忘れた様に頬を赤らめて目を丸くしている。
「またね…」
そう言って、まだ呆然としている亜美ちゃんとは駅の前で分かれた。
ー…本当は約束した用事なんてない。
僕はしばらく歩いて元来た道を進むと、途中の路地を左に入って、職場のバー‘ヴォッカ’に向かった。
この時間、きっと彼がいるはずだから…
ー…僕の最初の恋人、拓巳さんが…