再度の這いずり音
それから数時間後、俺たちは狩猟時の拠点としている高い樹の上に座って小声で雑談をしていた。
「まさか掃除を手伝ってくれるとはねー」
「最後に雑巾をパクられたけどな」
生意気なマモーについてだが、見た目は齧歯目と蝙蝠目のあいのこのくせに意外と綺麗好きな奴だったらしい。
俺たちが宿の部屋の床や棚を吹き終わって人心地つけていると、マモーがバケツにかかっていた雑巾を掴んで上に飛んでいき、勝手に梁の上の拭き掃除を始めたのだ。
再び雑巾を持って降りて来たのでエイジがゆすいでやったんだが、それは受け取らずに今度は乾拭き用の雑巾を上に持って行った。うおおハム公が乾拭きもかよ、と見守っていたところ、マモーは梁の上でそれを折り畳み、上にごろんと寝ころんだ。
エイジが棍ではたき落としてもまた降りてきて、不機嫌そうにエイジを睨んでから持って行ってしまう。
エイジは笑って女将さんに事情を説明し、結局無料で雑巾を一枚譲ってもらったのだ。
「ベッド譲る気にはなったんじゃん。自分の寝ぐらを自分でお掃除するとはね」
「どうすんのよ、餌なんかやって」
「まあ俺らがいる間は、いてもいいんじゃないの。先住民だし。ソラマメはやだ?」
「いる間、か。うーむ」
「それ、気に入られてるんじゃないの? 情が移って来たっしょ」
「んなわけねえだろ! 俺の毛髪抜いたり汚したりした瞬間、追い出すからな」
エイジが食事の後に飯のかけらを部屋に持っていくと、マモーはすぐに降りてきてそれを手ずから受け取り、ふいーと梁に戻っていくのかと思ったら俺の髪にまた座ろうとしやがったのだ。ものすごく当然な顔で寄って来たときには驚いた。そのときはもちろん振り払ったが、何故だか向こうもえらく驚いた表情をしていた。
「頭に乗られたときって気付かないもんなの?」
「多分こいつ浮いた状態からゆーっくり体重移してきてんだよ。ひょっとすると呼吸まで読んでんのかもしれない」
「おお。すごい」
ほんとに気づいたらいつのまにか、なのでもう諦めた。まあ今も乗ってるわけだが。
俺たちが冒険に出ようと部屋を閉めて会話しながら街道を進んでいると、後方を歩くエイジの受け答えが途中から明らかに何かに耐えているようになった。
訝しんで振り返って何度か声を掛けるたび一層ゲラっぽくなることから気づいたんだが、案の定いつの間にか乗っかってやがったのだ。
エイジによると、マモーは後方からふいーんと追いついてきて俺の赤毛の上に着地し、そこにゆっくりと寝そべった。以降は歩く俺の頭上で寝転がったままずっとエイジに向けて目線を固定していたそうだ。俺が振り向いたりしても不思議と決してホールドを解かずに。
何だよそれ。
そうしてくすくす思い出し笑いをしていたエイジだが、ふいに兎の両耳がピンッと森方向に動いた。
両耳に遅れてエイジの顔がそちらを向く。
片耳だけならこうして雑談してるときもよくあちらこちらにぴくぴくと動くんだが、両耳がこんな風に反応したときはだいたい索敵した気配が濃厚だ。
「‥‥這いずり音」エイジが呟く。
俺も耳を澄ますが、聞こえない。
「数は?」
「他にはない、ね。周りも静か。うーん、150メートル? 150ユー? ぐらいかな」
二人ともそちらを注視するが、木々が深く茂っている辺りなのでこの高さからは地面自体が見えない。
一匹、か。
前に川の近くで冒険者に聞いた話だと、蛇かトカゲかスライムか。亀だったら逃げの一手、と。
とにかく新顔だね。
「見には行ってみる、かね」
「そだねー」
俺は視界に映らない自分の頭頂部に向かって、「おい、戦闘になるかもだぞ。そこにいても知らないからな」と声を掛けて、地面に降りる準備をする。
頭頂部からの反応はない。まあ危なかったら勝手に逃げるんだろう。
今日からは狩猟解禁だ。
しっかりこれから俺たちで成果を上げていく。色々学んでも行く。でも絶対無理はしない。
よーし、…よーし、うっしやるぞ、怖いー。
俺たちはするすると木から降りて行った。
エイジが音を補足してるので焦る必要はない。向こうの移動に合わせて俺たちも音を殺して近づいていく。
じきに俺の耳にも這いずり音が聞こえてくる。エイジが前方の木を指さして、俺が頷き返し、俺たちはそれに登っていく。
もうモンスターの進行方向には入っているので、まずはこの枝葉の陰で待ち伏せて相手の姿を捉える。
敵が蛇やトカゲだったら樹上の優位はないが、見下ろす形になるので向こうが低重心の体勢でも見つけやすいはずだ。いざとなったときには飛び降りればいい。
土を擦りつける通奏低音が徐々に近づいてくる。
俺はふと頭頂部に手を伸ばした。ハムだとしたら爬虫類系は天敵なはずだから既にもう逃げてるかなとも思ったが、そっと伸ばした手はそっと振り払われた。
おおう。この野郎?
知らんからなー。
音はもうすぐそこまで近づいて来ている。
さあ。
さあさあさあ。
……!!
あああ!!
太くて立派すぎる!
こんなの絶対無理!!
俺は声を上げそうになるのを必死に抑えた。口と目を思わずいっぱいまで開いたんだが、音は立ってないはずだ。
だが相手は何を察知したのか顔をこちらに向けて口を大きく縦側に開き、鋭く、敵意の籠もった威嚇音を上げた。
『シャーーーー!!!』
その姿は、まるまると太い短い蛇。いや、あえて言おう。
あれははっきりツチノコだと。
濃緑色で背中に黄色い波形斑紋。サイズは恰幅のいい成人男性を丸々飲み込んだぐらいの平べったい幅で、3メートル程度の長さがある。頭と尻尾はそれに比してすぼまったようにサイズダウンしているが、そうは言っても今の俺のことぐらいなら楽々飲み込めそうだった。
それが、ここから15メートルくらいの距離から明らかに俺たちを捕捉して迫ってきている。
「どうする? 降りるか?」
エイジが聞いてくる。
「キ、木をノノボノボノボ登れるかなアレ短いけど」
「さあー。でも蛇なら、ねえ」
「飛び降り準備! もし登ってきたらその反対側から飛び降りる!」
ツチノコは減速せずに俺たちの木を目指してくる。うねりは少ないがそれなりの速度があった。
来るぞ。どうだ登れんのか!?
と、思ったらツチノコは真下で胸の部分を大きく反り返して、そのまま木に向かって体当たりをした。ドン、と音がして俺らのいる枝が大きく揺れる。
シュルルとすぐさま尻尾を根元に巻き付けてもう一度反り返り、再び胸を打ち付ける。ドンという低音にミシ、という不吉な音が重なった。
ツチノコは巻き付いた状態から少しずつこちら側に向かって這い寄って、威嚇音を上げた。思い切り締め上げてるらしく幹からはミチミチミチという悲鳴が上がり、俺達のいる場所も細かく揺れる。
「どっち!? どうしたいの? 登り締め折ってる!」
俺が半パニックで叫ぶとエイジが「飛び降りるぞ!」と声を重ねてきて、俺の肩を掴んで蛇の顔がある方とは反対側に体を向けさせた。
「せぇ、の!」というエイジの短い掛け声で俺たちは木から飛び降りる。
着地してすぐさま振り向く。それと同時に木の幹がメキィ!という破砕音を立てて半ばで折れ、向こう側に倒れて行った。
人間の胴ぐらいある幹が、だ。中がみっしり詰まって人間よりずっと頑丈な木の幹が、たった今圧殺された。
そのままツチノコは幹の折れた部分に留まって誇らしげに頭部をもたげ、異様に赤く長い舌をチロリと出した。
「お前らもこうしてやるってよ!」
「え聞こえたの?」
「聞こえない! きこ聞こえた! 聞こえない!」
「ソラマメ、落ち着けー。とりあえず巻き付かれたらアウトってことだよな」
落ち着き過ぎのエイジの声が終わらないうちに、もう一匹落ち着き過ぎの小動物の後ろ姿がふいー、と頭上から俺たちに背中を見せて舞い上がった。そのまま蛇の方に向かっていく。
え…。
なんかしてくれんのか!
すごい能力持ちかも知れない。
マモーはそのまま高度を上げて蛇のそばの木の枝へと辿り着く。そしてそこに腰を掛けた。
………!
なんもしてくれんのか!!!
公園のベンチに座ってたらおかしな集団でも見かけたかのような傍観者モードのマモーに見下されながら、俺達は巨大ツチノコとカッチリ向かい合った。




