小さな先住者
翌朝、俺とエイジは『胡桃の中の鳥』亭に向かった。
商品を売り払い荷物を引き払ってがらんどうになった元袋屋は、今日にも大店の人間とかいうのがやって来て完全に閉めるらしい。この後あそこに何が出来るかは知らないが、あんまり知りたくもないなあ、なんて思う。
じーさんにもらった冒険者向けの背負い袋だが、しょい紐をきつめに固定し、前紐でしっかり固定して、さらにジャパニーズオタクさんよろしく左右のしょい紐を両手でしっかり握りこんで歩く。いまのところすれ違う全員が悪人に見える。子どもたちはケケケと笑いながらこっちを見てるし、おばはんは絶対あの葱で人を殺めてる。とにかく町中が俺の後をつけてきてるのは間違いない。
俺はエイジの周りを衛星よろしく周回しながら何度も自転も加えて、最高の警戒レベルを保って歩いた。数回、途中からうざったくなったエイジにケツを蹴られた。
魔法袋については、昨晩軽く試したところ何と”アイコン仕様”と同じ操作方法だった。
コインを中に入れてから恐る恐る手を差し入れると、袋の上に自動的にウィンドウが開かれて
・1ラルーナ硬貨 ×1
が表示される。
ということは、とリュックを床に置き、それを見つめながらアイコン出現を意識してみた。すると、それでも出てきた。自分のステータスといっしょで意識するだけで袋の中身がウィンドウで表示される。
さらにそこに表記された『1ラルーナ硬貨』をポチットナしてみると、リュックの口からコインが現れて、コロンと優しい所作で床に転がった。
うわー…。魔法やあ…。
独自スキルと思っていた『ワールドコマンド』の仕様がここにも通じるとは、ねえ。魔法袋の使用者はそこだけは俺らと同じくウィンドウが見えるようになってるってこと? 俺がまだ知らないだけで、他にも色んなところにこの仕様が眠ってるんだろうか。
遠隔操作も可能なのは全ての魔法袋で共通なのか、それとも俺たちが『ワールドコマンド』を使用可能だからなのかは分からないんだが、この先この技は使えることがあるかもしれない。覚えておこうっと。
あとの許容量とか、内部空間での鮮度保持、重量の変化あたりについては町の外に出たときに試すつもりだった。
そうこうして『胡桃の中の鳥』亭の店先に着くと、エイジは看板を見上げ、小さくふぅ、と息を吐いた。
あー。
俺はエイジの腰のあたりを軽く叩く。
「また、これからやね」
「ん? おお。そだなー」
エイジは俺を振り向いて軽く微笑んでから、「よし」と言ってスイングドアへと歩を進める。
アベちゃん改めシオのことをここでぐだぐだ喋ってもしょうもなし。前向きに行きましょ、だ。
「すいませーん」
中に入ってエイジが声をかけると、カウンターにいた女将が顔を上げた。
「ああ、いらっしゃい。今日からだったね」
「はい、お世話になりに来ましたー。よろしくです」
「ふふ。はいよっよろしくねえ。じゃあ宿帳に二人の名前を書いといてくれるかい」
「ぐお」
エイジが反射よく呻き、女将が顔を上げ、俺はすぐに彼の上着の裾をくいくいと引っ張った。
「エイジ、エイジ、俺自分の名前を書く練習がしたいでゲス。いいでゲスか?」
「ん、あー、あー、そうね。いいよ?」
「へえー。あんた、字の練習なんてしてんのかい。大したゴブリンだねえ」
「ゲスー」
どころか隣の人間のが読み書きアウトで俺の方だけスラッスラなんでゲスけどね。
エイジが宿帳とウィンドウとの間で目を泳がせつつも初めてのグランドル語書き取りをやり終わると、俺はエイジに脇を持ち上げられながら自分の名前をサラッとサインした。
この体勢、屈辱。
そして手ずから著名する『ソラマメ』。呼ばれは慣れたけど自分で書くとまた少し削れることが分かった。
「ははっ、美味しそうないい名前だねえ。それじゃあ、これが鍵だよ。悪いけど普通の居室じゃないんで錠前だよ」
「どうもです」
「中はベッドだけ残してすっかり片してある。ちゃんと掃除したけりゃ一階の物置に道具があるから、あたしか旦那に声かけておくれ」
「はい」
「結局部屋を見てなかったけど、大丈夫かい?」
「そっすねー。まあ俺らベッドあるなら基本御の字だし、何晩かは泊まってみますよ。なんせ安いし、飯が美味いし」
「ははっ。そうだね。うちらもあの部屋の泊まり心地なんてのは知らないんで、今度様子を教えておくれ」
それから3日分の料金を先払いして、俺たちは鍵を持って階段を昇って行った。
食堂や廊下をほかの客も行き来してたが、まあ見たところ明るく談笑してたりする。冒険者風が半分くらい、あとの半分は商人だか旅人さんだか。
階段を上っていき三階を通り過ぎて屋上に出た。
屋上は普通のマンションと同じような四角い空間で、四方には膝程度の高さの柵が掛かっている。そして隅には思ったよりしっかりした大きさの倉庫があって、俺たちは進んで行ってその扉の前に立った。
「板張りと、漆喰? 結構ちゃんとしてない?」
「だねー。おばちゃんがネズミなんて言うから結構覚悟してたけど、これだったら隙間風もあんまなさそうだね」
エイジがいかつい錠前に鍵を差し込み、ドアを開ける。
おお。
とか思おうとした俺たちの視線は、部屋を色々と見回すこともなくベッドの上に鎮座した物体へとスイと吸い込まれた。
なんか、生き物、いる。
何。ネズミ? ハムスター? 蝙蝠?
ええー? 何こいつ。
明るい黄に近い薄茶色で、ハムスターみたいに丸っこい顔と胴体をしてる。
そこまでは愛嬌があるのかもしれないが、手足は細長くて黒くて、節くれだった無毛。それを丁度片膝を立てた感じに折りたたんでベッドの端に腰を掛けている。立てた膝には腕を乗っけてリラックスした雰囲気を醸し出しながら、しかしジイっと俺らを眇めたような目つきで眺めている。背中の羽には中途半端に毛が生えてるが、やっぱり黒くて蝙蝠みたいな形状。
見たことはない。
見たことはない生き物だったが、とにかく態度が悪かった。
ネズ公にせよ蝙蝠にせよ、もうちょい焦れよ俺らを見て、と。
慌てて隠れたりした方がいいんじゃないですかね、と。
「何、あいつ」
「何だろ。いるねえー」
「すげえ、生意気じゃない?」
「くっ。ふふっ」
エイジが溜まらずおかしそうに笑い、そいつを見つめながらそっと一歩進んだ。
問題の小動物の方は特段反応せず、変わらず「何?」という顔で俺たちを見ている。
エイジと俺はそのままベッドサイドまでゆっくりと歩いて行き、そいつのことを見下ろした。
「うわあー。いっさい目を逸らしやがらない」
逆にすごい。
「大物っぽいねえ。ははっ。いやあ、何かウケちゃう」
「笑い事か? んーじゃあエイジ、ちょっとこいつに触ってみなさい」
「ええー。病気とか持ってないかな」
「大丈夫よお互いケモなんだから。健康だし抵抗力もきっとすごいから」
エイジは軽く逡巡したが、結局そいつに向かってそうっと手を伸ばした。
恐る恐るという感じで頭を撫でる形にして伸ばしていく。
その手がもう少しでそいつの頭に届くというところで、ハム蝙蝠の目線がス、とその手へと移った。そして…。
すっごい迷惑そうに、片手でエイジの手をゆっくり払いやがった。
無下に扱われたエイジは一瞬固まって、それから「ぶはははははっ!!」と爆笑し出す。
いや、そんな笑いごとじゃないだろ。
何モンだこいつ。
何モンか知らんとしてもフォルム的サイズ的には絶対大したモンじゃないだろ。
ハムボディで冥界のドラゴン気分かと。こいつの所業は小動物界において明らかに異端だ。
「はあー。いやあおもろいわこの子。ねえねえ。俺らここ住むんだけどどうする? いっしょ住むの?」
エイジが目尻を拭いながらそいつに向かって声をかけた。
「おいこらエイジ」
「まあまあ、いいじゃん」笑みを含んだ声で答えながら、ハム蝙蝠の前でごにょごにょと指を動かしている。
ふいにそいつは片膝座りのままエイジを見上げ、俺のことを見上げて、それから小さく舌打ちをしてよっこいしょという体で腰を上げた。
「舌打ちした!! ねえコイツいま舌打ちしたよ!!」
俺はエイジの肩を叩いて指さすが、エイジはさらに大笑いするだけだ。
もしかしたら何か喋るのかと思ってちょっとドキドキした俺が馬鹿だった。クソハム蝙蝠はゆっくりと羽を広げ、その体を浮かせた。
飛翔というより浮遊といった感じで、ほわん、ふいーと部屋の中を小さく周回して飛んでいき、天井付近に懸かっていた一本の梁の上の方へと消えた。
俺とエイジが二、三歩下がってから見上げると、そいつは梁の上で自分の腕を枕にしながら仰向けになり、膝を組んで寝そべっているみたいだった。
「…おっさんかよ」
「いやー、おもろいのがいたねえ。まあ、噛んだり害はなさそうかな?」
「はあ? そうか?」
「敵対的ではないじゃん、ふてぶてしいけど。あとで宿のおばちゃんにちょっと聞いてみよう」
エイジは荷物をベッドサイドに放り、棍を立てかける。
腰に腕を置いて改めて部屋を見回し、「なあ、なんか部屋、広くね! マジか」と、嬉しそうに声を上げた。
「ああ、それはそうだなー。ボロくはあるけど、十分な広さだ」
「埃っぽいのも掃除すりゃいいし。棚がたくさんあるから便利そうだな」
俺も部屋をうろついてみる。
「風呂トイレはさすがにないんだよね。まあトイレは三階の使えばいいけど」
「だな。ふうん。ふむふむ」
「とりま、掃除か?」
「そだね、掃除して飯食って、昼になったら冒険いこっか」
一階まで掃除道具を借りに行っていたエイジが戻って来て、軋むドアを開けた。
「なんかねー、聞いたところそいつはマモーっていう動物で、って……ブハハハハハハハ!」
バケツやモップを両手に抱えているエイジが俺を見て爆発する。
何だこいつ?
って、ハッ! と、俺は転生初日の悲しい思い出が脳内にフラッシュバックして咄嗟に自分の身体の各所を目と手を使って確認する。が、取り立てて変わったところはない。ふっくらお腹のゴブリンボディ。色もあの頃君と見たグリーン固定。
次に自分の周りを見回し、そしてはっと上を向いたときには、ふいーんと浮遊したアイツの後ろ姿が梁の上へ消えていくところだった。
「なんだ? エイジ、何があった?」
「うぅふ、うひぃー、何でもない」
「いいや嘘つけ。アイツだろ? アイツがどうしたんだ。何かしてたのか?」
エイジが呼吸を落ち着ける。
「あれは、マモーという生き物だ、そうです。害獣というほどじゃなくて、ネズミみたいに群れたりバイキン色々持ってたりはしないはず、だそうです。人里だと倉庫や空き家に巣くってたり、します」
「それが何してた? 俺いま何かされてた?」
エイジは笑いを必死に抑えた声で説明を続ける。
「ときどきペットとして飼おうとする人もいますが、とっても臆病なので難しいそうです」
「嘘つけ! 臆病て!」
「追い出してもいいけどその必要もなく逃げてくと思うよ、だそうです。とにかくネズミに輪をかけて臆病なので」
「無視して被すな! とにかくそのマモーが今何してたか聞いてんだ。教えてくれ」
はあー、と堪えるように息を吐き、薄っすら涙目で俺の方を見る。
「今ね? ソラマメ、ベッドに座ってたじゃん。腕を組んで」
「うん」
「足開いて」
「うん」
「で、お前髪あるじゃん。頭頂部に赤いのが」
「あるね」
「そこの上、でね? マモーが、……うん。同じ…体勢、をね……?」
俺は「だいたい分かった」と答えながらエイジの棍を掴み梁の下へと移動する。
伸び上がるが届かない。
ベッドへと飛び乗ったがギリギリ梁に届くかどうかぐらいだ。
「エイジ! 肩車!」
「可哀想、マモーはとっても臆病な生き物です。ブブブフフ」
「異議あり! 肩車しろ!」
「まあ、本気の敵意はないみたいなんだからほっときなって。ほら、それよりも掃除しよー」
おちょくってやがる、おちょくってやがると息まく俺にエイジが雑巾を一枚差し出した。




