『胡桃の中の鳥』亭 2
ソラマメの酔っ払いっぷりについて思い出していたリオンが、エイジに向けて口を開いた。
「エイジも、早く冒険者として強くならんとあいつを人と飲ませるのは不安かもしれんな。いくら無礼講で、あいつのは陽気な絡み酒だと言っても、ゴブリンがやって許されるものかどうか」
「あー……、そっすねえ。じゃあ基本、禁止にしときます。あの感じだと周りにも絡んで無駄なトラブルを起こしそうだし」
「また俺らと飲むときだったら平気なんだがな。なんせ衛兵隊長と、ギルド詰めのセブンアップさんだ」
そう言いながらリオンがセブンアップの肩にぽんと手を置いた。置かれた方は目線だけを返して、無表情にエールを飲んでいる。
「え、セブンアップさんて、俺知らないんすけどどういう立場の人なんすか?」
エイジが問うとリオンは笑いながら、黙しているセブンアップを見る。
ジョッキをもう一度傾けて空にしてからセブンアップはリオンを見て、エイジを見た。
「……説明が難しい。……む……用心棒のようなものか」
「用心棒?」
ピンと来ないエイジに、リオンが横から助け舟を出す。
「ギルド専用の用心棒と、兼、冒険者代理みたいなもんかな」
「へー。どんなことやるんすか?」
セブンアップは考えるようにして、結局リオンを見て説明を任せようとする。
「クク、自分で説明しろお前は。それかもっと飲め」
「飲んでいる」
「簡単に言うと、ギルドで暴れる冒険者を抑える役目と、難しいクエストを冒険者に代わって受注する仕事だな。シアンテ周辺のモンスターは基本的にシアンテの冒険者に任せるもんだが、どうしても駄目でどうにも被害に目をつぶれない、となった場合にはギルドの依頼でこいつが出張る、ということだ。いっしょに衛兵を連れて行くこともあるがな」
「うわ、えー、じゃあ滅茶苦茶強いんすねえ! 確かに付与式のときセブンアップさんがうるさいぞって言って睨んだとき、教室中がビビってました。俺も背筋になんか走ったっす」
「む……。そんなことがあったと、最近誰かにも言われた」
「クッ。クククッ」
リオンが楽し気に肩を揺らす。
そのとき、エイジの後ろから女将が現れ、お代わりのジョッキと料理の皿を卓の中央に並べていった。
配膳が終わると腰に手を置きながら、リオンに向かって声をかける。
「隊長さんらはうちのイチオシ料理の、しかも作るの早いやつばっか頼んでくれるから、いっつも助かるよ」
「美味いのを早く食えるに越したことはないんでな。こっちはこっちで、勝手に俺たちのお代わりを持って来てくれる店だからいつも助かってるよ。ここを俺たち専用の席にしときたいぐらいだ」
「そーりゃあ高くつくよー?」
「ああそうだ。女将、ちょっといいか?」
下がっていこうとした女将をリオンが引き留めた。
「何だい?」
「このルーキーが定宿を探してるんだがな、ここの宿の方は、いま空きはあるのか?」
「あー、部屋かい? すまないけど、そっちも酒場と同じく満員御礼なんだよねえ」
「げ。そうっすか」
「ふーむ。残念だったな。ほかを探すか」
エイジが肩をすくめる。
「まあ俺らはボロくてもゴブリンと普通に泊まれるんなら、どこでもいいっすからね。今まで野宿でも文句なくやってこれたくらいだし」
女将はそのまま厨房へとは下がらずに、エイジの言について少し考えるようにしてから口を開く。
「お兄ちゃん、ちょっとこれは、怒らんで聞いてくれたらいいんだがね」
「あ、はい」
「うちの厨房の裏にちょっと前に新しく倉庫を建てたから、元々あった屋上の倉庫の方は、場所的に不便だし使わなくなったんだよ」
「はあ」
「でね、旦那と『こんだけ混んでくれてるなら、あそこにも客を取りたいくらいだねえ』ってね、ついこないだ、冗談を言い合ってたんだが……」
「え! おお!」
「ん……いや、旦那とは冗談のつもりで言ってたんだよ? だけどあんたいま野宿でも、なんて言うじゃないか。そりゃあ、あそこでも野宿よりかはなんぼかマシだろうねって思ってさ」
「全然そこでいいっす! たぶん!」
とエイジは食いつく。「見てないけど!」
「屋根あるんですよね。ベッドはどうっすか?」
「両方しっかりあるよ。まあもう食材を置いてないからネズミも引き上げたはずだし、ベッドは古くて使ってないのがそのままそこに置いてある。ただ、あんた、そりゃ野宿よりはマシとしても、だいぶボロいよ」
「え、たぶん大丈夫っす。あとで見たいけど」
そこでエイジは値段の話をしてないことに思い至る。
確か以前にリオンが言っていた宿屋の相場は、人間とゴブリンとで50から60ラルだったか。ソラマメが使う単純な円換算では、5,6千円。
「ところでその“倉庫”の、お値段は?」
「ん……ゴブリン連れと言ってたかね。まあ、そうだねえ、32ラルでどうだい」
エイジは相場よりは安くはなってるな、と考える。でもこの宿屋自体がそもそも比較的安い方だとリオンは言っていた。
リオンが小さく身じろぎするのを感じるが、何か言わせる前に自分で口を開いた。
「お、そりゃちょっと、お高い! お高いのでは! アハハ。16で、どうすかね?」
「そりゃ安すぎるだろう。んー、30、いや、28……ラルだね」
「えー、なんせ“倉庫”だからなー。俺たち荷物がほとんどないから普段の掃除とかも自分でやるし、22は、どうすか? ほら、これからも放っとくだけになる倉庫が、ひと月で6.6ラルーナって、十分でかくないすか?」
「ふん……。ルーキーのくせして叶わないね。いいだろ。22ラルだ」
仕方ないね、という顔をしながら、しかし決して機嫌が悪いわけではなさそうな口調で女将が値段を決めた。
「で、いつから入るんだい?」
「あざっす! えっと、3日後っすね。ゴブリンと2人で来ます」
「あいよ。最低限の片付けと掃除はしとくけど、掃除道具なら貸すから要るなら言いな」
「っす! どもども、これからよろしくですー」
女将がフ、と小さく笑ってから、「じゃああたしは、戻るよ。これでも忙しいんでね」と卓の面々に言って、厨房の方へ戻って行く。それを見送りつつ、エイジは安い定宿が決まったことに満足そうに笑って、思い出したようにエールを持ち上げる。
リオンが「よかったな」と言ってエールを差し出してきたので、そのまま三人で再度の乾杯となる。
「どもどもー。商談、成功しましたー」
「ふ、やるもんだなぁ。俺が値切ろうかとも思ったが、出る幕がなかったな。俺がやるよりたぶん値引いたぞ」
「まあ毎日払うもんなんで、試しに頑張るのは大事かなー、と。いい女将さんでよかった」
「邪気なくぽんぽんと、よく喋れるもんだ。決して嘘を言ったわけではなかったしな」
「こういうのは得意なのかなー。どうなんすかね」
「人柄だろうな。そういや最初に会ったときもあんな感じだったか。セブンアップに見習わせたいぐらいだ」
リオンがからかうつもりでセブンアップを見ると、セブンアップは余裕の笑みをもってエイジとリオンを見返す。
「ああ……。いい値引だったな。今のはいい値引だった。何というか胸がすく、値引の中でもいい値引だ。女将も結局満足そうにしていたし、飯がうましいい宿だ。エイジは交渉が上手いんだな。あと飯がうまい」
「あざすー」
エイジも満足そうに笑う。
「あのーリオンさん、もしかしてこれ、二周目っすか?」
「ああ、まだ入りたてくらいか。大体一晩で五周くらいは行くぞ。いつだったか長く飲んで十周目をやったときにも、ずっとこれと同じ調子だった」
「はー、すげえ。お酒が強……い? んですねー」
エイジは自身が酔い過ぎないように気を付けつつも、改めて味を確かめるように軽くエールを口に含んでみる。日本で飲んだものと比べてしまうためそこまで美味しいものには感じなかったが、ここもどの卓でもみんな上機嫌で美味しそうに空けていってるんだし、自分にもそのうちこの味も分かってくるんだろう。そう思ってジョッキをさらに傾けた。




