『胡桃の中の鳥』亭 1
ソラマメがチャマメ状態になっちゃったため、三人称視点です。
『胡桃の中の鳥』亭は、エイジとソラマメがスキル稼ぎの鍛錬のために使う空き地からさらに壁側へと進んだ、町の東部の壁寄りにあった。
流行ってはいなそうな小店が立ち並ぶ狭い街路の中で、その店一軒だけは木製のスイングドアのこちら側にまで店内の喧噪が溢れ返ってきている。
リオンはその扉を押して、勘定台にいた女将に向けて気持ち大きめに声をかけた。
「よう、女将。最近流行っているっていうのは本当なんだな。いま、席は空いてないか」
「ああ隊長さん、いらっしゃい。ようやっとね、うちの酒と料理の美味しさにも気付いてもらえたのかねえ。満員御礼で助かってるよ。いまは丁度一組帰るところなんでね、少し待っといてくれないか」
女将がそう言っているうちに十五台ほどあるテーブルの一番奥に座っていた集団が立ち上がって、店内を動き回っている若い女給へと手を振ってから店を出ていった。
その間もそこかしこから空になったジョッキを掲げて注文を入れる声が上がっていく。
「こりゃあずいぶんと忙しそうだ。あそこの席だな? 俺たちで片すからいいぞ」
「助かるよ。注文はいつもの感じでいいかい?」
「ああ。あとでセブンアップも来る」
リオンはエイジに目線で合図してから賑やかしいテーブルの間を縫って先導していき、慣れた様子で奥のテーブルにあった空いたジョッキや皿を両手で持って、厨房に繋がるカウンターへと持っていった。
席に置いて行かれたエイジは立場の上下にこだわらないリオンの所作に戸惑いつつ、こちらの世界でも通じるものか分からないが、せめて壁側を向いた末席へと腰を下ろした。
少し経ったあと、リオンが今度は三本のジョッキと何かの肉を包んだ料理の皿を持って来てテーブルに置き、エイジの向かいの席へと座った。
「うわ、なんかすんません」
「気にするな。慣れてるもんがやればいい」
「いやー、さっきも払ってもらってるし……」
「ん…んー、エイジ。これは別に説教じゃないんだがな、お前はずいぶん上下を気にするいい育ちなようだが、それじゃあ逆に損をすることもあるんだぞ」
「え、はあ」
「特に冒険者はそうだ。奢られたら、『助かるな、おいお前儲かってんのか』と笑っておけばそれでいいんだ。俺にも敬語は要らんし、冒険者同士で敬語など、逆に舐められるぞ」
「あー、そういうもん、すか」
「フフ、まあ徐々に慣れていけばいいんだがな。ソラマメの飲み方でも見習っておけ。お貴族様じゃあるまいし、武器を持つ者だったら酒つまり無礼講だ。と、いうことでな」
喋りつつリオンは自分の分のジョッキを軽く持ち上げる。
「まあともかく、まずは乾杯だな」
「ういっす」
リオンとエイジはジョッキを合わせ、傾けてそれぞれ喉へ流し込んだ。
露店のエールと違って冷やしてあるようで、日本のものに少し近い印象をエイジは憶える。
ジョッキを置いてからフォークを取って料理を口にしてみたエイジは、目を一気に見開き「うっま」と思わず声を上げた。リオンが「だろう? これで他よりも安いんだ」と得意げに微笑む。
エイジにとってはこれまでの味付けなしの焼肉や、袋屋のおばあさんが作る庶民的でシンプルな料理に比べると、この店で出す濃い目で複雑な味付けは前の世界に慣れた舌でも十分強く刺激してくる。
無言で料理を口に入れてはジョッキを傾ける作業に思わず没頭してしまうエイジのことをリオンは緩く笑ってしばらく見守ってから、口を開いた。
「ところで、冒険者になってからグラント爺さんのお前らへの当たりは、きつくないのか?」
「当たり?」
「ああ。まあ本人も恩人というのは重々分かってるのかもしれんがな。あと数日のことだし、平気ならいいんだ」
「え、ん? 冒険者にきついってことですか? あの人」
「まあ、そうだ。元々誰かに愛想がいいような人じゃないんだが、冒険者には特に、な。店の客に向かって『とっとと辞めちまえ』とか『いくら装備を良くしてもじきに死んじまうんだ』とか言ってはよくトラブルになってたもんだよ。俺たち衛兵も何度か呼び出された」
「うわー……。えー? いやまあ、そんなに喋らないお爺さんだけど、ご飯の時とかには一応普通に話してるっすよ」
「あんまり、想像がつかんな」
「まあ返事は単語単語とか、相槌とかっすけど。ああでも、ソラマメがお爺さんの機嫌が悪いとは言ってたかなー。そうか。俺らがギルドに登録したときからなのかな。え、なんで? 冒険者嫌いなんすか?」
「ん……さあな。まあでも、なかなか変わった人でな」
そう言ってリオンはジョッキをあおる。
「冒険者にはやめちまえというくせに、冒険者向けの袋には一番改良を入れて、どんどんよくしててな。お前らにも渡した、あの袋だ」
「あーあれ! めっちゃ使いやすいっす! あれからいっつも褒めてます」
リオンが微笑んでゆっくりと頷いた。
エイジにとっては、前の世界で使っていた鞄やリュックよりグラントが作った袋の方が実用性が高いぐらいで、これまでに何回も感心していたので、少し嬉しくなってこくこくと頷く。
頷きつつも、リオンさんはもしかして笑い上戸なんじゃないかな、と、中盤から微笑みっぱなしのリオンを見て心の中でつぶやいた。逆にセブンアップは今日を含めても一度も表情を動かしていなかったが、ソラマメによると『アレはゲラだ』、ということだった。笑い上戸にも色々あるらしい。
「で、それをな、爺さんが売り物に改良を入れたら、以前に買ったやつでも『あれは失敗だ。使われたくねえ』って言って、傷んでるのも構わず変えてくれたりな」
「ただでっすか?」
「ああ。『それを持って歩かれちゃあ沽券に関わる』って、新しいのに中身を入れ替えさせられるんだ」
「おおー、職人魂だ。しかも、不器用な優しさの?」
「フフ。俺が、お前らに道具を入れた袋を渡しただろう? あれも実はグラント爺さんの真似なんだ」
「え? そうなんすか?」
「これは俺じゃなくてアッソの話なんだがな。あいつは生まれも育ちもシアンテだから昔から爺さんとは顔見知りでな。ろくに金のないルーキー時代に、『失敗したやつだ。やる。お前にゃそれで十分だ』と、今度はさっきと逆のことをのたまって、大きな袋を放られたんだとさ。重たい袋をアッソが開けてみて、驚いて顔を上げると、『ガラクタを入れっぱなしかもしれん。ついでにお前が捨てておけ』って吐き捨ててな」
「ウハハハ。そーかー。優しさがバレバレじゃないすか」
「フフフ。どうなんだろうな。まあこっちがどう思っても、本人は認めんし言えんだろうな。そんなこんなで、衛兵ってのは冒険者時代に世話になってる奴も多いもんだから、まあ、なかなか頭が上がらん」
「うわー、ツンデレかー。やっぱツンデレなんだ、職人系の」
「ツン…なんだ?」
「あ、方言す。え、もしかしてリオンさんも元冒険者なんすか? ここの?」
「ん……、まあ、随分昔な。俺は割とすぐ飼い犬になって、一旦ここからも離れてたからな」
「へえー」
衛兵って公務員だよな、冒険者にはそういうコースもあるのかー、とエイジは興味がわいてもう少し聞こうかと思ったが、そのときソラマメのことを思い出して、まあ、いっか、と止めた。
代わりに袋の話からソラマメが「これ重要」と言っていた件を思い出す。
「袋っていえばですけど、冒険者が道具とか素材とかをたくさん入れられるような魔法の袋? みたいなもんって、あるもんなんすかね」
「ん? おう、あるぞ? そのまま魔法袋のことだろ。まあ普通は手に入らんがな」
「あ、あるんすね。えーと、やっぱお高い?」
「お高いな。ラルーバス硬貨が楽に飛んでいく。それに例え金があっても市場にまるで出回らんから、手に入れるのは難しいというか、普通無理だな。何やら作製には、属性に入らない希少な古代魔法が必要らしい」
「へえー。あるにはあるけど、って感じなんすねー」
「ああ。A級以上で持ってるパーティーがたまにいる、くらいだろう」
そのとき、人影がエイジのそばに来て、そのままリオンの横に座った。
「おう。ソラマメは大丈夫そうだったか?」
リオンが問いかけながらもジョッキを持ち、三人は無言で改めて乾杯をする。
セブンアップは全くのしらふのような顔つきで、リオンの質問に答えた。
「ああ。だいぶ酔っていた。ずいぶん変な酔い方をする奴だったな」
「フフ、ああそうだな。変な酔っぱらい方な奴なもんだよ」
リオンが意地が悪そうに微笑んでセブンアップに同意し、エイジも先ほどの屋台の光景を思い出して思わずクスリと笑う。
知らずにセブンアップは無言でもう一度頷いてから、再びゆっくりとジョッキを傾けた。




