老人と猪
翌朝、日が昇ってから起きた。【レコード】をやり過ぎると、【スタミナ】だけでなく頭が疲れるようで、睡眠が深くなる。連日の苦労にかかわらず数字の伸びは重く、まだ最初に見たときより4しか増えていない。
俺は目をしぱしぱさせながらブランケットから抜け出して、そばにエイジがいないことに気付いた。
周りを見回して耳を澄ますが、気配も感じられない。
あれー、背負い袋もないや。あいつのブランケットはそのまま置いてあるけど。
何用だろ。
まあ待つしかないし、朝の鍛錬をやっておくことにする。
昨日の検証では、エイジの【合】がかなり化けそうな見込みが立った。
俺の【円】も負けたくないので、ぐるぐると色んな回転を練習する。
自分の体のどこに重みがかかってどこが軸になっているか。どれぐらいでスピードが乗るか。空中でどういう回転が出来るか。地上ではどうか。向心力、距離、等加速など物理の授業を思い出し、戦闘に置いての効果的な動きというものを考えながら低く、高く鉈を振る。
そうしていると、遠くから走ってくる音が聞こえた。
速くて、二足歩行。
うん、エイジだな。
「おーす、おはよー」
木々の間からオレンジ色の兎人間が見える。
まだ慣れてないから、朝一で見るのキツイなー。なんか汗だくだし。
「おはよーさん。袋持ってどこ行ってたん」
「ん。ラン。慣らし運転」
袋いるかと思ったが、まあ何か見つけたら拾う気だったんだろう。
「んじゃ飯にするかー」
「それより大変なこと気付いたんだけどさー」
エイジはいきなりこちらに尻を向けて、ズボンをペロンした。
「ブハ!」
「尻尾生えてたー。可愛いやつ」
つるんとしたお尻にくっついたオレンジ色のふさふさ玉が左右にぴょこぴょこ振られる。
仕舞って、もう一回ペロンする。
「はい異世界ケツー」
「ぶははは! ねーちゃん! ねーちゃんもっかい! ケツ見せろ!」
「はい異世界ケツー、ぴょこぴょこ」
「ぶはっははははは!」
「お前も異世界チン〇を見せろぴょん」
「その語尾やめろでゲス!」
「いいから見せろぴょん」
「ぶははははは………はは、ハハハ、ハーア…………」
俺は目を伏せてため息をつく。そんな俺を見て、エイジが笑顔のまま少し固まる。
「見ない方がいい。な? 分かるだろ?」
「あ……ああ」
「なんとなく想像、出来るだろう。そう、それだ。緑、さ。そんで少し……いやなんでもない」
「………」
「お前だって男だ。分かるだろう。………色。………サイズ感。あと……」
「おっと火が」
エイジが優しく薪をくべる。
「今日も、晴れかな?」
エイジが優しく問う。
「ああ。さあな?」
「晴れだといいな」
俺たちはずっと優しい目で火を見つめていた。
◇
数日後、俺たちは北門から伸びた道を一時間ほど進んだところのほど近く、小高くなった場所に生えた大きな木の上に並んで腰をかけ、ひと房ずつのブドウを食べていた。
エイジはおニューの棍を背中にくくって、うさ耳を揺らしている。
その姿を見るといまだにシュールな可笑しみが襲い掛かってくることはあるけれど、少しづつ慣れてきた。
「なんかさー」
「ん?」
「ソウマ戦ってるとき、たまにゲス語が出たりするじゃん。 あれなに?」
「あー、何だろうなー。とっさに俺ん中のゴブリンが強くなっちゃう感じかね」
「いやいや。ゴブリンて別にゲス語じゃないっしょ」
そう言ってエイジが笑う。
「あとリオンさんと話したときも」
「あれは謙譲表現よ」
「意味わからん」
「エイジ以外とかの、特に仲良くない人間と話してるときに、自分がゴブリンなの理解してるでゲスよー、みたいな。自分でそうしてないと、俺すぐ失礼なこと言っちゃうしな」
「んーまあ、なるほどね、ゴブリンでソウマの口悪さが出ちゃうと、ちょっとまずいのか」
「2秒で吊るされるでゲス」
「自分で小太りアッソとか無言肉って言っといてなー」
笑っていたエイジのうさ耳がぴくん、と動く。
お。
二人とも黙る。
「……いや、道の方。普通に牛車が一台、だね」
「そか」
北の道も南の道も、往来がちょぼちょぼとあった。安全な南の道ばかりに人が寄らないのは、行き先の町ごとで商流とか目的とかが異なるのだろう。
商人以外に、冒険者っぽいのや兵士の一団も通る。
冒険者は武装とかを見たくて覗ける位置まで何度か移動した。
皮鎧と片手剣、ローブと杖など、ちゃんとしっかり冒険者な恰好だった。3,4人が多いかな。談笑しながら通り過ぎていき、いまのところは、『誰かに見られてる……あそこよ!』とかのイベントは起きていない。
ちなみに、もう人には声をかけないと決めていた。毛皮や魔石が売れるかは試してみたいが、下手に『人間とゴブリンの二人組が外でものを売りつけようとしてる』というのが町の噂になってもまずそうだし。
エイジのウサリュージョンは、可聴領域、距離ともに広がって、かなり遠くから「武装した一団、が、4人」とかが分かるようだ。
スタミナ不安と制御の難しさから、いまだ戦闘では封印中。修練と持久を積んでからデビューする方針だ。
ただし座ってるだけだったらだいぶ緩やかに1ずつ下がっていくくらいなので、索敵用に【合】状態を維持してもらうことになっている。
コインをいじりながら【爪】と【レコード】を修業してると、エイジの耳が動き、姿勢を変えて道の方を見た。
「なんか、速度を上げたっぽい」
ここから道は見えないが、しばらくそちらに耳を澄ませ、振り向く。
「たぶんモンスター、……猪か? に見つかった」
「げげ。1匹か?」
「んー」
狩りはあれから3日目だが、倒したのはミギウデンだけだ。
猪もいるんだが、ミギウデンより倒すのが難しい上、基本は群れで行動するのかあれ以降毎回複数匹で現れるのだ。あの猪に縦横無尽に走られるのは、当然避けたいところだ。
「違うな。2……いや、3匹。まだ離れてるけど」
「げげげ」
俺たちにとっては当然、回避対象だ。
しかし……。たぶん牛車は普通の人間より速くは走れるが、猪には負ける。町までの距離にしても、たとえ最後まで駆けれたとしたって30分以上はかかるだろう。
どうする?
「とりあえず、道の近くまで行くか?」
「そうだな」
木から降りてるあいだに、俺にも牛車が走る音が聞こえてきた。そしてそこから少し後方に、確かに猪たちのドドドッという足音が複数。
完全に追われてる。こーれはやばいな。
俺たちは道へと急いだ。
すぐに視界が開けてきて、木々の合間から道を走ってくる牛車が見えた。猪は、木の陰でよく見えないが、2、30メートルくらい後ろか。
御者台には、老人が一人。非武装だ。さらにまずいなー。商人はよく若い護衛っぽいのを連れてたり、自身が軽くでも武装してたりするものみたいだったけど、この人は完全に初期装備のじいさんじゃん。
で、え、エイジさん、あれー。止まらないの。
いや俺も後ろついてって走ってるけど。相談も何もしてないよね、え、これ行っちゃう流れ? エイジな流れ?
エイジが顔を少しこちらに向ける。
「戦わないけど! あいだに!」
やっぱりー。
まあもう分かってたー。




