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ゴブリンダンス ~余命一年の最弱魔人~  作者: 百号
友人獣人俺ゴブリン 篇
15/55

茂みごっこ


 そう決めて歩き出してから、しばらく。二人の澄ました耳に、丘陵の向こうから複数の低い音が届いてきた。

 隊商かなんかだろうか。複数の馬の足音のようなものが町の方角から道なりにこちらへ向かってくる。

 最初は、お、何だろう、たくさんいるっぽいし丘の上には行かない方がいいかなー、ぐらいに思ったが、徐々に徐々にと接近してきてみると、それが何だかヤバい信号音っぽいぞ、と分かってきた。自然と青ざめてくる。あれは隊商みたいなぬるいもんじゃない。何というか、何というんだろう。ヤバい音なのだ。お腹の底あたりの臓器が全部縮まってくるような感覚。

 重めな動物が複数、規則正しく、結構なハイペースで移動する音。

 馬の蹄じゃない。そういう小気味良さは全くない。が、それぐらいには重い生き物の足が強く地面を叩く音。


「―――やばいやばいやばい」


 小声でエイジに囁く。


「なんかいっぱい、来てるねー。まだ距離ありそうだけど」


 彼は相変わらずの悠長さで答える。

 この音の、この音が表すものの危険度が分かってないんだろうか。


「ねえ、遠いけど、もうなんか、地響きっぽいよね? ねえあれさ、超、軍隊っぽいよね? で、軍隊は怒ってるよね」


「え? 怒ってるかは分からんけども。まあここにいれば大丈夫っしょ」


「ほんと? ほんとに? すげー怒ってそうじゃんアレ。俺のゴブリンソウルが『狩られる!』って叫んでるんだけど。え、逃げたい逃げたい逃げたい」


 俺は辺りを見回す。

 ここから50メートルくらいの距離に、大小の木が7本ほど生えてるところがあった。頼りはないが、ここに来て植生が変わったのか木の下にこれまであまり見られなかった茂みが見える。


「あそこ行こう。ねえお姉ちゃん、あそこ行こう! 行くの!」


「誰がお姉ちゃんか。えー? 別にここで大丈夫っしょ」


「行くの! カズエあそこ行くの! 茂みごっこするの!」


 ウイスパーシャウトで返してから、俺はもう待ちきれずに走り出した。


「誰がカズエか」


 エイジも後ろからついてくる。


 怖い怖い怖い。音めっちゃ怖い。自然と身がかがんでしまい、忍者走りになる。

 茂みまではもうすぐだ。でも地鳴りもだいぶ近づいてきてる。とってもとっても近づいてきてる。間違いない。すっごい怒ってる。丘の向こうで真っ赤になってこん棒振り上げて俺に対して激怒しながら走ってきてるに違いない。


 てゅるるるるるるズボッ! と、減速なしで茂みに突っ込んだ。

 顔や腹を枝が引っかくが、構わず中で小さく身を縮める。すぐにエイジが来て、茂みの後ろに立った。


「どした。めっちゃ怖がるじゃん」


「しぃっ! なんかこの音ダメだ。背骨からブルっと来る」


「まー近づいてくると、迫力はあるねえ。もうちょいで通り過ぎるかな」


 道とこことは小さい丘とその向こうのもう一回り大きい丘の、ふたつの丘陵を挟んでいる。それらの陰になるため俺たちは相手の姿を見ないまま、右から左へとこの音が過ぎていくのを待つかたちになるはずだ。

 早く過ぎ去ってくれ、と心から思ってしまう。こんな音とっとと行っちまえ。

 ドドッとかドコッというのが重なり合って地面を揺らし続けてるような感覚。

 音は明確にどんどんと大きくなり、右手から正面へと移り、俺は手汗をかきながら自分のくるぶしを抱きしめている。


 え?


 え、曲がっ……!! こっち……え? 曲がっ、え?


「やば」


 エイジも茂みの中に入ってくる。

 音が俺たちの正面辺りでふいに進行方向を変え、こちら側に向かってくるコースを取ったのだ。


 ………。

 歯の根が合わない。

 自分がいま、目を見開き、歯をむき出しにしながら体ごと縦揺れしてるのが分かった。逆に気配でばれてしまうのでは、というのも頭では分かるのだが、全く止まらない。

 なんで、なんでこっちに来るのおおお!? と大声で叫んでしまいたくなる。


 ばらけた低音の寄せ集めだったものが、今はもう嵐のような、一個の重低音の塊に感じられる。


 見開いたまま固定されてしまったような眦の中に、丘の頂から現れた、数多の軍勢の姿が映し出された。

 白銀のフルメット。白銀の甲冑。黒いマント。

 の人間たちの、下から現れた騎獣の姿は。


 竜。ドラゴン。ドレイク。


(フィイイイイイイイイイ!!!)


 声も何も出なかった。声を抑える、じゃなくて、声にもなれなかった空気だけが一気に肺から押し出される。それほど恐怖を感じた。

 白銀の額当ての下の、尖った瞼のない目。剥き出しの牙。牙の連なり。酸のような涎。煙が立ちそうな息。太く厚みのある二足と、宙を掻く前足の爪。

 恐怖の体現のような姿の化け物が、とっさには数えられないくらい一斉に丘の上から出現する。


 もう俺は頭がぼうっとして、半分失神したような状態のまま、ただそれらの姿を視界の中へと受動的に捉え続けていた。エイジは後ろからずっと俺の肩に手をかけてくれている。


 竜に騎乗した集団は、俺たちの左側に差し掛かり、そこで先頭騎手のハンドサインに従って停止した。

 もう俺の思考は停止している。ただ騎獣の唸り声ともうめき声ともつかない音が近く遠くからいくつも耳の穴から入ってきては、頭の空白の中を通り過ぎていく。


 確かに永遠に感じられるような時間。

 突然人間の声が響く。


「一列横隊! ここを起点とし騎間距離、6ユー!」


 メット越しでくぐもってるはずなのによく響く声。怒鳴り上げるというよりかは、声量が、腹筋のパワーが純粋に大きいのだ。


「整隊!」


 途端に再び一騎一騎の足音が響きだす。近く遠くに、広く広く足音が広がっていく。


「行程はここから内心10デユーの半円を描きつつ! 日没までにエモケまでの到着を予定とする! 各騎は両端及び中央ディトリを基点にし、速度25を保て! …前進!」


 その声を合図に、音の軍勢は再び動き出し、左後方へと向けて素早く移動を始めた。俺の視界は最初に竜が目に入ったときからずっと固定されてしまっていて、すぐにその姿は見えなくなった。何もない丘陵の景色を見つめたままで、音と気配の情報が入ってくるのを受け入れるだけになっている。

 音たちはまだ聞こえる。遠ざかりはするがまだずっと聞こえる。もう耳から消えることなどないのではないかという錯覚に陥る。


「ふぅおおおー……」しばらくして、すぐ後ろからエイジの声がした。


「迫力あったなー。あれってやっぱ、竜だよね? あれか、竜騎士ってやつかー」


 反応を返さない俺をしばらく待ったあと、エイジが後ろから肩をぽんぽんっと叩いてきた。

 10分、10分待ってくれ、と思う。10分経ったら、あと20分待ってと口で言えるようになるから。


 エイジが後ろで立ち上がる気配。「んーあっ」という伸びの声。


 俺は丘陵を見つめ続ける。


「いやー、この茂み来といて良かったわ。俺たちがさっきまでいたところに集まってたね。結構ピンチだった」


 彼は俺の反応を少し待って、まだ返ってこないのを見ると、

「もう、大丈夫そうだよ? まあもーちょい休んでていいけど。んじゃ俺は、見える範囲で確認してくっから」

 と言ってから道の方へと歩き出した。


 視界の中にエイジの後ろ姿が現れて、丘の向こうへと消えていく。


 それからどれぐらいかが経ってから、俺の目の焦点と意識の焦点がそれぞれ少しずつ合いだしてきた。

 浅い呼吸が続いてたことに気付いて、意識的にまともな速度で呼吸をしてみる。それをまたしばらく続け、より意識が戻ってきて、俺は最後に大きく息を吸って、ゆっくり吐いた。


 体がガチガチだ。壊れないようにそっと姿勢を解いていく。


 コインだ。コイン触りたい。

 ポケットから取り出して、それを指でいじる。

 今までもなんだが、こうしてると色々上下動しそうになりがちな気持ちが落ち着いてくる。もしかすると最初からこれを持っとくと、いまも大分よかったのかもしれない。


 またしばらくの時間。

 徐々に思考が戻ってくるのが分かる。病室で被害者の目が開いて焦点が合いだすみたいな感覚だ。やったことはないけど。


 はー……落ち着くー。

 あー、このコインいいなー。好きだなー。眺めてもよしいじってもよし。俺、この横顔の旦那にホの字なのか?

 もう一枚欲しい。お金を増やして何かが買いたいとかじゃなくて、純粋にこのコインを増やしたい。うーん、別に貯蓄家じゃないはずなんだけど。頑張ってバイトした月も、あれ使う速度が間に合わねえ!? って必ずなってたんだけどなあ。


 気持ちがだいぶ正常モードに戻ってきたところで、ふと右上のポッチが明滅してることに気付く。


 クリックしてみる。

 恒常スキルのボックスに

 耐性(恐怖耐性 3)

 が増えていた。


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