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狼少女はもういない

作者: 風神

 中学を卒業してから、ずっと暮らしていた千歳市から札幌市に引っ越して、市内でもわりと有名な私立校、明清東高校に通って三年が経とうとしていた。

 楽しくもあり辛くもあり面倒でもある高校生活だったが、なかなか満足いく高校生活だと思う。

 気づけば十一月。季節は秋。そしてもうすぐで冬になろうとしている。十二月の終わりまで通えば、三学期なんて学校に行く日なんて数えるほどしかないから、もう高校生活は終わろうとしている。

 進路は、まぁ適当に専門学校に行くことにして、十月のうちにさっさと合格を決めた。決めたと言っても、面接も試験も無く、書類選考だけだったので受かったという実感は無いが。

 ふと、中三のころの今の時期をふと思う。

 塾に通って、必死こいて勉強していた。でも学校ではそんなに真面目に勉強していた記憶はない。

 ……はて。それ以外特に思い出せない。友達とどんな話しをしていた? どういう服や音楽が流行っていた? 俺は何を考え、世の中や学校にどういった感情を抱いていた?

 えーと。修学旅行はどうだ。東北に行った。山奥をバスで走った。わんこそばが美味かった。きりたんぽはあまり口に合わなかった。どこかで竹馬に乗った。

 そうやって断片的には思い出せるけど、具体的には思い出せない。どういう話題で笑ってた? 思い出せない。

 中学時代の記憶を思い返そうとしても、断片的に思い出せるだけで、具体的に思い出せない。大袈裟に言うと、中学時代の記憶はほとんど無いように感じる。

 ま、でも。普通そんなもんか。三年前のあの頃はあぁいう話しをしていたり、あぁいう物が流行っていたとか、そんなのいちいち思い出せるわけはない。音楽とか、そういうものならなんとなく思い出せるのだが。

 じゃあ、高一と高二の時のことを思い出してみよう。と思ったが、中学同様思い出せない。

 でもやっぱりそれは不思議なことじゃなく、当たり前なのだ。あの日あの時何してた。友達とラーメン食いに行ったのはいつごろでどんな会話してた。思い出せるわけない。

 しかし、それだとやはり不思議な気持ちになる。一年前のことすら正確に思い出せないとなると、まるで自分がつい最近生まれたように思える。

 実は、本当に俺は最近生まれた人間で、過去の断片的な記憶はニセモノなんじゃないかとも思ってしまう。だが、過去の記憶がニセモノなら今の俺がいるはずがない。

 それでも、中学時代の記憶で、一つだけ具体的に思い出せることがある。

 それは、千野(ちや)凛という女との記憶である。今から三年前、中三の秋。

 凛はとても美人であった。大人っぽさはあまりなかったが、中学生らしい健全な可愛さを持っていた。目は大きく、鼻も高く、輪郭も整っていた。髪は長く、サラサラしていた。

 なにより、大人の色気なんか持って無いくせに、たまに見せるしんみりした顔は、生意気にもなかなか雰囲気を醸し出していてドキッとした。

 凛と一緒にいた時間はとてつもなく短かったが、凛との記憶はほとんど失われていない。

 今、凛と接点はない。縁は、切れている。

 ま、それこそ別に不思議なことじゃない。男と女の縁なんて簡単に切れるもんだ。どんなに仲良かろうが、お互い好きだろうが嫌いだろうが、縁は簡単に切れてしまうものだ。男と女の友情は、やはり難しい。簡単なものじゃない。

 縁が切れているから、もちろんメールもしていない。よく、メルアドをお互い知っている状態じゃなくなったり、メールをしなくなった時は縁が切れたも同然だと言う人がいるが、それはちょっとおかしいと思う。

 確かに言ってることは間違っていなくもないが、それは人間のコミュニケーションの本質を捉えた発言ではない。たかがメルアドごときで人の縁どうこう言うのはおかしいだろう。メールってのは交流のシステムではない。交流とは会話で成り立つものであり、メールで成り立つものではない。メールは、あくまでも交流を便利にする物の一つにすぎない。なのに、最近はメールだけで女を落とそうと考えている、意味不明の情けない男が多すぎる。

 俺と凛の縁が切れたのは、ごく自然なものだったと思う。縁が切れたから、メールをしなくなるのもそりゃあ当然だろう。

 凛は良い子だった。明るくて、いつも笑っていた。

 しかし、凛はかなりの虚言壁だった。


 中三の秋。あのころ俺はまだ千歳に住んでいた。千歳は人口約九万人のうち三万人ほどが自衛隊関係者という、自衛隊の町として有名だ。あと、自然が多く残っていて鶴が多いことで知られている。それと支笏湖も有名かな。

 田舎なために店が出来てはよく潰れる。戦車やら戦闘機が空を飛んでいて、森は自衛隊の演習所になっている。

 俺は、そんな千歳が結構好きだ。森がかなり削られて、新しい家がどんどん出来ているが、それでも住宅街の周りにはまだまだ森が残っている。クワガタなんか、俺が小さいころは、そこらへんの森に行けば簡単に取れた。

 そして住宅街や、市の中心部から少しチャリを走らせると、人気のない自然が延々と続くのだ。やはり自然は良い。なにより、静かで落ち着く雰囲気が好きだ。

 俺はある日、散歩がてら支笏湖に行き、そこでぼーっと湖を見つめながら音楽を聴いていた。何を聞いてたかな。BUMPOFCHIKENをひたすら聴いていた。ロストマン、リリィ。そしてメロディーフラッグ。

 俺は親の仕事の都合で、中学を卒業したら札幌に行くことが決まっていたので、なるべく今のうちに支笏湖を見ておきたかった。札幌は隣だが、さすがに市外に気軽にひょいひょい行くのは難しい。

 受験するのは、公立は進学校の琴別高校。私立は明清東高校。どちらも、入学するのは難しい。俺はあの日、受験について色々と考えていた。その時、後ろから突然声をかけられた。

「鶴はいないよ」

 驚いて後ろを向くと、そこにとある女がいた。長い髪をサラサラと風で躍らせ、右手で揺れる前髪を押さえていた。黒色のパーカーのポケットに両手を突っ込みながら、俺を大きい瞳で見つめている。強い風が吹き、今度はスカートをおさえる。細い体は、細くて頼りない。

「ねぇ、鶴はいないよ」

 また凛はそう言った。だから、どうした。

「お前、一組の千野だろ。なんでここにいるんだ?」

「鶴が沢山いると思ったから」

「残念だったな」

「うん。後、私苗字で呼ばれるの好きじゃないから。凛って呼んで」

「始めて話してから五分も経ってないのにか? まぁ、いいけど」

 凛はこちらに近寄ってきて、俺の隣に体育座りをした。スカートのポケットから携帯を取り出し、支笏湖の写真を何枚か撮り、棒読みで言った。

「わぁ綺麗」

「本当にそう思ってる?」

「うん。すっごい綺麗。癒されるわー」

 超わざとらしい。まるで小学生の発表会の台詞のようだ。

「嘘つけよ。別に、綺麗と思わないなら、本当の事を言えよ」

「綺麗だなぁ。綺麗綺麗。綺麗だぁー」

 うーむ。ちょいと金具屋に行ってネジでも買ってくるか。どんなネジ買えばいいのかな?

 ふざけているのか、なんなのか、よくわからない。話していると面倒だと感じてこの場を去ろうと思ったが、ちょいと興味を惹かれた。こいつは変わり者なんじゃないだろうか。変わり者は嫌いじゃない。何より、可愛い。

 凛はスカートのポケットからタバコの箱を取り出し、生意気にもジッポのライターで火をつけ、一口吸った。そしてタバコを咥えながら、石をえいっと投げる。

 湖に力なく石は沈み、凛は「石は今痛いと思ったのかなぁ」と呟いた。煙が目に入って痛い。

「一本、俺にもくれ」

「この一本が最後だよ」

「嘘つくな。箱にまだ沢山入ってるだろ」

 凛は無表情のまま箱から一本取り出し、俺の口に無理やり突っ込んだ。そしてライターで火をつけ「どうぞ、お吸いください」と、無邪気な笑顔で言った。凛が始めて嘘を認めた瞬間であり、無邪気な姿を見せた時だった。

 しばらく無言で吸い、吸い終わると凛の携帯灰皿にタバコを捨て、また黙る。

 遠くまで広がる、綺麗な湖。周りには森。鶴はないけど、綺麗な景色に変わりは無い。湖を見ても、後ろを見ても自然しかない。どこを見てみ湖、森。草。そして上を見ると、空がある。あぁ、世界の終わりが来るならば、俺はここで終わりたい。そして世界の中心が支笏湖だったら良いのに。

 空は、青からだんだんオレンジ色に染まっていく。夕日以上に綺麗なものって、世の中に存在する?

 ところで、女と二人きりで湖を見つめあうとは、なかなか良い体験である。しかし、虚しくも感じる。どうせ、俺は札幌に行く身。今女の子と仲良くなってもしょうがない。それに、まず受験だ。

 沈黙はあまり得意じゃなので、適当に話題を探して話しかける。

「千野……。凛はどこの高校志望してるんだ」

「貴方と同じ」

「は?」

「だから、同じだって。琴別高校が第一志望で、第二が明清東」

「なんで俺の志望校を知ってる」

「市外を受ける人の噂は、結構伝わってくるのよ。ていうか、誰がどこを受けようとしてるかっていう噂は、普通そこそこに広まるもんでしょ」

 千歳には高校が二つしかないので、確かに市外、特に札幌の高校を受ける人は少なくない。毎年、琴別高校や明清東を受ける人は何人かいるらしい。

 俺は内心、嬉しかった。市外の高校を同じ中学の生徒が受けるってだけで気持ちが楽になるのに、こんな可愛い女と同じ高校に行けるのなら……。そりゃ、嬉しい。

 だが、俺が公立落ちて凛が公立に受かる場合だって十分考えられる。最悪、俺が両方落ちる可能性だってありえる。ちなみに、私立は二つ受けることが出来る。一つは明清東、もう一つは香蓮高校。香蓮は完全な滑り止めで、行く気はさらさら無い。

 とは言っても、人生何が起きるかわからない。模試で志望校の合格率が九十八パーセントだったとしても、その二パーセントの確率で落ちる可能性だってあるのだ。油断は出来ないし、色々と覚悟をしておく必要がある。

「俺は札幌に引っ越すからいいけど、お前は千歳にいるんだろ? 通学、大変じゃないか?」

「別に。自然は好きだけど、田舎はもう飽きた。高校くらい、都会に通いたい」

 ま、その気持ちはよくわかる。札幌には地下鉄だってあるし、とにかく北海道で一番大きな都市だ。学校帰りや休日、色々な所に寄って遊べるだろう。

「卒業して高校に通うの、不安か?」

 なんとなく、そう聞いてみた。皆がどう思っているのか、知りたかった。

 凛はまたタバコに火をつけ、煙に目を細めながら言った。

「全然! とっても楽しみ!」

「だから、また棒読みだって。不安なのか?」

「不安じゃないって。楽しみって言ったじゃん」

 なんだ、こいつ。絡みずらいったらありゃしない。こいつが可愛くなかったらさっさと立ち去ってるところだ。でも、男ってそういうもんだろう?

 それに、まだ会ったばかりで、もちろんお互いのことはよくわからない。もう少し話してみないと、こいつを理解することは無理だろう。

 いや、なんで俺がこいつを理解しなきゃダメなんだ。他人を理解したところで、自分に何か得することでもあるのか? 特に無い。俺は何事も、ムダが嫌いだ。

 凛は俺をじーっと見つめて、言った。

「ねぇねぇ。琴別高校って、どんな高校かな?」

「知るか。下見行けばわかるだろ」

「やっぱ、札幌がいいよね。地下鉄はあるし、お店は沢山ある。それにオシャレ。何度かススキノ行ったけど、みんな凄いよね」

「オシャレなんか、どこにいても出来る」

「じゃあ、勉強も千歳ですればいいじゃない」

「来年の四月に札幌引っ越すんだから、札幌の高校に通うのは必然だろう」

 凛は黙った。そしてまたタバコに火をつける。

 石を力なく投げたり、夕日をぼーっと見つめたりしている。ていうか、なんでこいつは俺に話しかけてきたんだ。話しかけただけならまだわかるが、特に話すことがないのなら、帰ればいいのに。

 本当なら、可愛い子ならお近づきになるために頭をフル回転させるのだが、どうせ俺はもう千歳を去る。千歳で自然を堪能するのはいいが、千歳の女の子と仲良くなったとしても、どうせ負の感情が後に残るだけだ。

 ……あー。でも、こいつ札幌の高校受けるんだよな。同じ高校に通う可能性もある。むぅ。

「なぁ、お前学校楽しい?」

「楽しい!」

 また棒読み。イライラしてくる。

「どんなところが?」

「皆と上っ面で楽しく話すのが楽しい!」

「それは楽しいって言うのか?」

「でもそれが人生だし、楽しいと思わなきゃ」

 なんだかなぁ。会話が弾まない。

 凛は、吸っていたタバコを突然俺の口へ突っ込んだ。

「おい」

「明日、遊ぼう」

 突然のことで驚いたが、明日の土曜は確かに暇だ。

 嫌ではないが、こいつと遊んで楽しいだろうか。まともな会話が出来るだろうか。

 まぁ、悩むということは、どっちでもいいという事だ。でも、一応聞いてみる。

「何して遊ぶの?」

「お話ししたい」

 うーむ。こいつと雑談を楽しむことが出来るだろうか。自信はない。

「じゃ、明日一時、フードDの前でね!」

 凛はそう言うと、立ち上がって走って行ってしまった。

 タバコを一口吸う。フィルターには、口紅の赤色がついていた。


 翌日、一応髪を整えてフードDの前に行く。

 凛は黒色の、ちょいと大人っぽいワンピースを着ていた。

「待った?」

 と、月並みなことを言うと、凛は前髪をかきあげながら笑顔で「全然」と答えた。ドキッとする。

「イオクンヌカって知ってる?」

 知っている。喫茶店。

 頷くと、凛は俺の腕を引っつかんで歩き出す。

「これはデートだからね!」

「そういうことだけ、普通の声音で言うな」

「私ね、札幌に引っ越すんだ」

「は?」

「引っ越すの」

「わかんない」

「嘘だろ」

「……」

 こいつの趣味は嘘。凛は多分、虚言壁があるんだろう。

 じゃあどうして、そんなくだらない嘘を言うんだろう。意味がわからない。この女は全く読めない。

 戸惑いながらも、住宅街を抜ける。

 住宅街を抜けて広い道路をひたすら歩くと、地平線の果てまでまっすぐな道と畑と空しかない場所に出る。本当に、何もない。道路はどこまでもまっすぐで、信号は無い。左右を見ても、たまに畑の持ち主の人の家があるだけ。あとはどこまでも空、空、空。

 気が遠くなるほどに何もない。地平線という言葉は、この景色を見た時にしか俺は使わない。だって、本当に果てしない。このまま真っ直ぐ突き進むと、あの世への入り口があるんじゃないかと思うが、あるのは現実と国道。

 少し歩くと、ぽつりと小さいアイス屋がある。プレハブみたいな建物で、面積は多分畳六畳くらいしかない。で、店の隣に牛が一頭。

「私、アイス嫌い」

「バニラとチョコ味、どっちが良い?」

「バニラ」

「じゃ、チョコ味二つで。買ってやるよ」

 凛は顔を真っ赤にしたが、満面の笑みで「ありがとう」とつぶやいた。その笑顔にKOされそうになりながら、アイスを二つ買う。

 凛に渡すと、ペロペロとおいしそうに舐めだす。小さい子供のように、無邪気な笑顔でアイスを食べながらまた歩く。ちなみにここのアイスを食べたのは初めてだが、とても美味かった。千歳にいる間に、沢山食べておけばよかったなぁ。

 アイスを食べ終えると、凛は赤色の可愛らしい鞄からルイヴィトンの財布を取り出して、二百円差し出した。

「いらないって。奢りだから」

「でも、やっぱり……。別に恋人でもないのに、ましてや会ったばかりの人に奢ってもらうのは失礼だよ」

 そんな、いきなりまともな事を言われても困る。変人なら変人を突き通せ。遠慮は失礼に当たるので、受け取るけど。

 更に歩く。途方もない気持ちになる。歩いても歩いても畑。空は青い。どこまでも青い。なんで空は青いんだろう? 神様なら知ってるだろうか。でも神様なんて何もしてくれないし、何も出来ない。神様にこんな美味いアイスは作れない。

「ねぇ滝君。私いまだに少女マンガの雑誌読んでるんだけどさ、いつ止めればいいのかな?」

「知らん。俺はマガジン読んでるけど、死ぬまで止めれそうに無い。止め時がわからん」

「じゃあ私、定年超えたしわしわのヨボヨボのお婆さんになっても、りぼんとか仲良し読んでるのかな」

「それはまずいだろ」

 凛はニコニコしながら言った。

「じゃあ、大人にならなきゃいいんだよ。大人になんかなりたくないしさ」

「お前はピーターパンか。なりたくなくても大人にはなるし、少女マンガも読まなくなるだろう」

「でもでも、最近の少女マンガをナメたらダメだよ。かなりエロいし、ディープな恋愛が描かれてるんだよ。超楽しい」

「どうでもいい。ていうかあの目の大きさが意味わからん」

 凛はひたすら笑顔で、俺の顔をバッチリと見ながら話すので、恥ずかしい。別にそこまで見なくてもいいじゃないか。俺が目をそむけても、まわりこんでまたじーっと見てくる。

 歩くのに飽きて来た時、畑の横にまた店が現れる。アイス屋ではなく、イオクンヌカ。喫茶店。

 木造の小さい小屋で、なかなかの穴場として有名だ。でも、こんなド田舎の畑しかない所にあるので、学校帰りによる学生も会社帰りに寄るOLもいない。

 店内には、店長一人しかいなかった。笑顔で出迎えてくれて、左奥の席を案内される。

「カフェオレお願いします」

「アイスココアとチーズケーキとチョコレートケーキとアップルパイとイチゴパフェお願いします」

「力士でも目指す気か」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 しばらく雑談していると、全ての品が木のテーブルに置かれた。

 凛はゆっくりと、フォークでケーキを崩していく。小さい口に入れ、幸せそうな顔で「おいしいっ」と呟き、また口に運ぶ。俺はそれをぼーっと眺めている。

 さて、何話そうか。ここにくるまでに結構話し込んでしまった。ていうか、凛は普通に話してくれれば、案外話しはあうのだが、どうにも意味不明な発言や嘘が多い。

 まぁ俺は千歳を離れる身。千歳の出来事は大事にしておこう。少しでも会話を楽しむ必要はある。

「凛、高校入ったら何したい」

「バイトして留学するのー」

 と、気の抜けた声音で言った。多分、嘘だろう。全く、こいつは宇宙から電波でも受信しているのか。しかし俺の携帯は電波妨害を受けて異常状態になってるわけでもなく、やはりこいつがどこかズれているのだ。

 いっそ、ストレートに聞いてみるか。

「本当に留学したいの?」

「うん」

「でも、嘘だろう」

 すると、凛は一気に嫌そうな表情になり、フォークを皿に置いた。

 何か言うのかと思ったが、黙りこくったまま俺を見つめている。

「なんでいちいちくだらない嘘つくんだよ」

 そう聞くと、凛は突然挙動不審になる。目はキョロキョロと動き、手はひっきりなしに動いている。しばらくそんな状態でいた後、突然フォークをつかみ、ケーキにがっつきだす。

 ケーキを凄まじいスピードで食べ、次はパフェに手を出す。いちごを丸呑みし、キュウイを食べたところで思い切りむせる。涙目になり、げほげほと咳をする。

 ……意味わからん。でも、なんだかほっとけない。

 俺は立ち上がって凛の背後に回って、背中をドンドンと叩いてやる。顔を覗き込むと、凛の顔は異常なほどに赤い。

「おい、大丈夫か?」

 水を差し出すと、凛は一気飲みし、なんとそのまま走って店を出て行ってしまった。

 突然のことで、俺は何がなんだかわからなくなった。嘘ついて、どうして嘘をつくんだと聞いたら、突然ケーキとパフェを物凄い速さで食べ、むせて店を出て行く。

 うぅむ。変人は嫌いじゃないが、さすがにこれほどの変人だと一緒にいるのは辛そうだ。同じ札幌の高校に行ったとしても、こいつと友達をやっていくのは無理な気がしてきた。

 ……そうだろうか。無理な気はするが、凛と友達でいるのは嫌じゃない気がする。なんでだろう?

 俺の目の前に残ったのは、アップルパイと凛が落として行った口紅。

 何故か俺は、凛を追いかけた。


 金を払い、急いで店を出ると、凛は何故か畑の真ん中で蹲っていた。大事な農作物を潰すな。

 凛は、泣いていた。俺に気づくと、涙を拭いてごまかそうとしたが、目は真っ赤である。

 悪いけど、俺に凛を理解するのは難しそうだ。あまりにも変わりすぎている。だが、凛のことは別に嫌いだとは思わない。ただ、こいつと理解しあうのは難しい気がする。

 それに、知り合って一週間もしていないのだ。もう少し、この女を理解しようと頑張ってみるのもいいか。

 俺は凛に近寄り、背中をつんつんと突いた。

 しばらく反応が無かったが、しばらくすると空を見つめ、呟いた。

「なんで空は青いんだろうね」

「青いもんは青いんだよ」

「空は白色だよ」

「白じゃない」

 凛は立ち上がり、俺の目をじぃっと見つめた。くっきりした二重、長いまつ毛。描いた眉。うぅむ。やっぱ可愛い。

 しばらく無言で俺を見つめ、はぁと溜息をついた。

「ねぇ、私といて楽しい? つまんない?」

「つまらなくはない」

「じゃあ楽しくないんだ」

「楽しくなくもない」

「嘘」

「俺はお前じゃない」

 凛はほっぺをぷぅとふくらませて、あからさまに不機嫌な態度をとった。ちなみに、こういう事をする女はあまり好きじゃない。俺はほっぺたをつついて空気を出してやり、もう一度聞く。聞いちゃいけないとわかってる。空気を読むべきだとはわかってる。でも、これを聞かないとこいつとやっていくのは無理だと思う。

「なぁ、お前なんで意味不明な嘘つくんだよ」

 凛は首をかしげた。

 ……もしかして、いまいち自覚症状なし? そうか。それは相当タチが悪い。

 しかし俺はこいつの過去なんか知らないし、どういう毎日を送ってるかもわからない。凛が何故俺を誘ったのかも、もちろんわからない。

 凛は突然畑から走って出て行き、歩道にぺたんと女の子座りした。俺もしょうがなく隣にする。どこを見ても空と畑しかない。世界から凛と共に追放された気分になる。

 あぁ、俺何やってんだ。昨日たまたま知り合った嘘女に誘われ、気づいたら一緒に喫茶店に行っていた。で、意味不明な言動と行動に振り回された。もっとやるべきことが、あるんじゃないだろうか。

 いや、別に無いか。今の俺にやることなんか、受験勉強しかない。

 優しい風が肌に気持ち良い。凛はバッグからタバコを取り出し、火をつけた。

「ねぇねぇねぇ。滝君彼女いるの?」

「いない」

「高校入ったら作るの?」

「わからん」

「札幌、オシャレな子とか、多そうだね。滝君、すぐ彼女作りそう」

「だからわからないって」

「写真ちょうだい」

「なんの」

「滝君の写真だよ。たーきーくんっ」

 と言って、携帯で俺の顔を撮りやがった。携帯を奪おうとしたが、凛はワンピースの中に携帯をすぽっと入れてしまった。

「取れるもんなら取ってみな?」

 と、よく通る綺麗な声で言う。むぅ。俺の顔撮ってどうするんだ。

「ねぇ滝君。今度の日曜、明清東行こうよ」

「はぁ?」

「見てみたいじゃん。ね、行こう行こう」

「どうせ下見で行くじゃん」

「下見のしーたーみー」

 知るか。行ってもしょうがないだろう……と思ったが、面白そうな感じもするなぁ。

 それに、札幌で色々買い物もしたかった。だが、凛は何をするかわからない。札幌まで行き、無事我が家へと帰れるだろうか。

 ま、ここで行かないと言っても、なんかゴリ押しされそうな気がするし、別にいいか。俺は凛のことは嫌いではない。

 確かに嫌いじゃない。でも、やっぱりこいつと分かり合うのは一生無理な気がする。別に根拠はないけど、なんとなくそんな気がするのだ。

 俺は凛のタバコを奪い、一口吸う。呆れるほどに空は青く、また白いわけもない。俺たちの声と風の音しか聞こえないと思ってたら、遠くで戦車の走る音がした。


 学校で、凛は俺に話しかけてくることはなかった。セーラー服を着た凛は、私服よりもかなり幼く見えた。

 凛はいつも友達二、三人で行動していた。男子と話してる様子は全く無い。男子に話しかけられても、適当に流すだけ。

 廊下ですれ違っても、やはり凛は話しかけてこなかった。しかし、微笑みかけてきたり、手をふってきたりはした。

 そんな様子に気づいたのか、友人が冷やかしてきた。

「おい、滝。お前、あの千野凛と友達なのか?」

「友達かどうかは微妙だけど、なんで知ってる」

「だって、千野のやつ、お前みてすっごい微笑んだりしてるじゃん。おい、お前あぁいう奇人が好みなのか」

「確かに変わった奴だけど、奇人というほどではないだろ。芯はわりとまともだ」

「そうだけどさ。あいつの虚言壁やべぇぞ。今だって、千歳の公立と私立を受験するのに、札幌の高校受けるとか言ってやがる。先生に千歳の高校受けるって話ししてるし、あいつ札幌の学校に行く気なんてゼロだぜ」

 弾丸を心臓に食らった気がした。それは、マジか。

 凛はそんな嘘までついていたのか。急に腹が立ってきた。ふざけるな。そんな嘘、さすがに許せない。意味不明な嘘だが、それは明らかに人を騙している嘘だ。

 そんな嘘ついて何の意味がある。あの女は何考えてやがる。もうどうでもいい。あんな奴、知るか。

 もう凛といる意味はなくなった。だって、あいつは虚言壁で、俺を騙す嘘をついていた。それに、俺は千歳を離れる。凛は札幌の高校には行かない。凛とは一生会わなくなるかもしれない。

 じゃあ、もう凛といるべき意味なんかない、と酷いことを思う自分がいる。一緒にいて、あいつをわかる時が来たとしても、俺は千歳市民じゃなくなる。

 でも、凛の真意だけは知っておきたい。

 それと、俺は凛のことをどう思っているのか? 嫌いでは……ない。好きかと言われれば、わからない。恋愛感情があるかは、よくわからない。友達と言える関係か? 言えるような、言えないような。

 ダメだ。やはり女との友情は、あいまいで苦い。ハッキリしない。それに俺は、女との友情があっさりと崩れることも知っている。本当に些細なことで、壊れるもんだ。

 放課後、俺は色々と考えながら玄関を出た。ふと前を見ると、凛が友達数人と歩いている。凛は後ろを向き、俺に気づく。目が合う。

 舌をペロっと出して、「バイバイ」と小さな声で言いながら、手をふった。周りの友達が、騒ぎながら興味津々な顔で俺を見ている。

 ……あぁ、うん。じゃあな。声には出せなかった。


 次の日曜日。JRで札幌まで凛と一緒に行った。久しぶりの札幌駅。

 凛はとにかく興奮し、午前中は色々な店に出入りした。ステラプレイスで服を見まくり買いまくり、ちょいと高いレストランで食べまくりむせまくり、とにかく笑っていた。

「滝君。ねぇ滝君」

 と、百万ドルの笑顔で話しかけてくる。

「なんだよ」

「これはデート?」

「デートなのか?」

 すると、凛は顔を真っ赤にして言った。

「私はそう思ってるかもよ〜?」

 札幌駅からバスで大通りまで行き、そこからまたバスで明清東高校まで行く。明清東は、中央区だがほとんど西区に近い場所にある。

 すぐに明清東までつく。さすが私立と言うべきか、校舎は立派で、綺麗だった。

 中を見てみたいとふと思う。だが時間は昼。真昼間から学校に侵入するのは危険だろう。それに、グラウンドでは野球部が練習しているし、文化部も校舎の中にいるだろう。

 ん? 待てよ。じゃあ、俺たちは何しにここまで来たんだ。そこんとこ、あまり考えていなかった。校舎ぼけーっと見て、どうするんだ俺。

 そう考えていると、凛は突然走り出した。慌てて追いかける。校舎の裏まで行ったところで、肩を掴んで引き止める。

 凛は凄い勢いで振り向き、顔を真っ赤にして俺をアホ面で見ている。

「お前、何する気だ」

「何って、侵入だよ。しーんーにゅーうー」

「アホか」

「でも、見てみたかったんだもん!」

 あぁそうだろうな。だってお前は明清東に入学なんてしないもんな。当然下見の日は来れないし、今のうちに見ておくしかないもんな。

「今度は琴別にも行きたいな」

 ……なんで見ておきたいんだろう? それがわからない。

 見て、何がある? 何かお前にとって得することがあるのか?

 とか色々考えていると、突然背後から声が降ってきた。

「誰?」

 驚いて振り向くと、そこには美人がいた。サラサラの黒髪は長く、リスみたいな目はパッチリ。整った顔のパーツ。綺麗な輪郭。白い肌。とにかく、可愛い。

 その女は右手にカントリーマァムの袋を持っている。口をもぐもぐと動かしながら言った。

「だぁれ? 中学生?」

「小学生です」

 と、凛が言った。虚言壁も、たまには休んでいてほしいものだ。

 怒ると思ったが、やはり高校生は一味違った。

「ここで何してるの?」

 綺麗にスルー。

「別に、何ってわけでもないです」

 そう俺が言うと、その人は口の中のものを飲み込み、俺と凛をじぃっと見た。

「明清東受験予定なのかな?」

「あ、そうです」

「ってことは……。わかった! 新聞部に入部予定なのね!」

 ずっこけそうになった。なんでそうなる。何がわかった。まず俺は明清東は第二志望だし、新聞部が存在することも始めて知ったし、ありえないだろう。

「私、三年の白井綾! 部長やってるの。来年はいないけど、是非入部してね!」

 またずっこけそうになる。来年はいないのか。

 凛は、何故か不機嫌な顔で俺を見ている。……どうした?

 しかし、あまりここに長居してはいけない気がする。早く、凛がここに来たかった理由を知りたいし、この女は「とりあえず今日は暇だから部室と部の内容を案内しとくべきか……」とか呟いてるし、とにかくここを立ち去るべきだ。

「あの、すいません。今日は時間ないので、帰ります! な、凛?」

「え?」

「ちょっと! ここまで来て帰るなんて、怪しいわね。本当は何しに来たの?」

 ぐぅ。やはり高校生。鋭い。俺は面倒くさくなって、「急用が出来ました!」と言って、凛を引っ張って、小走りで逃げ出した。校門を出たところで振り返ると、女は不思議そうな顔で俺を見て首をかしげていた。

 校門を出て、適当にぶらぶらと道を歩く。凛は納得いかなさそうな顔で黙っている。

「まだいたかったのか?」

「そんなんじゃないし」

 完全に不機嫌だ。でも、今はそんなことどうでもいい。

 俺は、聞くべきことがある。

「お前さ、本当は千歳の高校受けるんだろう?」

 凛は驚いた顔で俺を見た。つい溜息が出る。

「あのさ、いい加減そういう嘘は止めろよ」

「えっと。だって、だって」

 凛は、急に泣き出した。

「滝君。ねぇ滝君。好きだよ」

 また、溜息が出る。

「嘘つくな」


 今思えば、たった二回遊んだだけの女の子である。明清東に行ったあの日以来、学校で凛とすれ違っても、凛は俺を見て微笑むことは無くなった。お互い、無視していた。

 二回遊んだだけ。ちょっとした、気まぐれだったのだ。友達といえるほどの仲じゃなかったろう。だから、些細なことで縁が無くなり、話すことが無くなっても不思議ではない。

 男と女の友情なんて、本当に脆いものである。珍しい事じゃない。

 でも、なんだろうね。この切なさは。このまま卒業すれば、もう凛と会うことはないだろう。大人になったら、凛の顔と声と数々の嘘も何もかも、忘れてしまうのだろうか。思い出そうとしても、思い出せなくなる時が来るのか。

 存在すら、忘れてしまうかもしれない。

 凛は、どう思っているんだろう。最後に聞いた凛の言葉。でも、たった二回だけ遊んだだけ。たったそれだけで、凛が俺を好きになるか? そんなわけない。ありえない。

 支笏湖で会ったのも偶然だ。たまたま知り合って、気まぐれで二回遊んだだけ。それだけ。ただ、それだけの関係の女だったんだ。何かあったわけじゃない。純粋に遊んだだけ。友達といえるほど深い仲でもない。友達と言えるほどお互いのことをよく知らない。

 そうだ、それだけだ。凛が俺のことを好きだというのは、信じられない。

 ただでさえ信じられないのに、凛は虚言壁だ。また、変な嘘をついただけだろう。そう、いつもの嘘だ。

 沢山の嘘の中の、一つに過ぎない。そうに、決まってる。

 もう、凛と会うことは一生ないだろう。

読んでくださり、ありがとうございました。


http://www7.plala.or.jp/S_H_Binary/kaze/

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― 新着の感想 ―
[一言] いいお話だと思うけど、落ちを、きっちりしたほうが、読みやすいと思うよ。 あと、千歳にこだわるなら、もっと地域の特色を出したほうが良いね。 千歳市栄町出身
2009/07/11 00:40 カラスガレイ
[一言] とてもいいお話でした。文章力があって、とても読みやすかったです。こういう感じの小説はすきなので、また書いてくれるとうれしいです。 貴重な小説を読ませていただき、ありがとうございました。
[一言] とても淡々としていて、思い出を振り返ってる感じがすごく出てて、続編が欲しいぐらいです。それに、リアリティが凄いと思う。見習いたいです。
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