リースと休暇
閑話 リースの休暇
「それでは、失礼致します」
砂国の屋敷の主人が住まう一室から出てきたリースは、丁寧に礼をして扉を閉めると、名残惜しそうにその場を後にした
「はぁ……」
「あらリース、どうしたの?」
たまたますれ違ったアーシュが、リースの様子を心配して声をかける。
「ご主人様に怒られたの?」
「聞いてください、アーシュ。先ほどご主人様から、休暇を取るように命じられたのです」
頬を膨らまし、憤慨した様子で訴えるリース。黒色の犬耳をピンと立て、美しい銀色の毛並みを逆立てるリースを、アーシュは優しく手櫛しながら答える。
「休暇かぁ。今日これから?」
「はい。それならばご主人様の側でお世話することを申し出たのですが、許されませんでした」
「そっか」
リースが筆頭奴隷として身を粉にして働く姿には、アーシュも少し心配していた。本人は好きでやっているのだろうが、周りから見ると明らかに働きすぎだ。ご主人様が休めという命令を出したのもうなずける。
「ご主人様のご命令なら仕方ないわね」
「しかし、私はご主人様のお役に……」
「ダメよリース。あなた最近、働きすぎでお肌が荒れてるもの」
「えっ!?」
肌が荒れていると聞いて、リースは真っ青になって頬に手を当てた。
「ほ、本当ですか? アーシュ」
「えぇ。それと毛並みも良くないわ。ロルちゃんと比べてざらざらして指にひっかかるもの」
「うそ……」
「この砂国が乾燥しすぎってこともあると思うけど、リース。あなたまた手入れを怠っているでしょ」
「そ、そんなことは……」
狼狽した様子を見せるリース。筆頭奴隷として完璧なスタイルと高い能力を誇る彼女だが、アーシュはそんなリースの唯一にして最大の弱点を知っていた。
それは自身のことについてかなりズボラなことある。リースは自身の容姿や美容に関して、全くと言ってよいほど関心が無いのだ。
「最後に蜂蜜で顔の手入れをしたのはいつ?」
「えっと、10日くらい前かしら」
「毎晩毛づくろいはちゃんとしている?」
「ロルにはやってるけど、あの子、先に寝ちゃうから……」
「……そもそも最近ちゃんと寝てるの?」
「遅くまで起きてることが多いかも……」
「はぁ」
アーシュはこれ見よがしにため息をついた。
「リース。あなたがご主人様のお役に立ちたいのはわかるわ。でも前から言っているでしょう? あなたの美しい身体と毛並みは、すべてご主人様の所有物なの。それを自身の怠慢で失うことは、ご主人様の持ち物を打ち捨てることに等しいのよ」
「……はい」
アーシュはこの類の説教は、月に一度のぺースで行っている。しかし何度言っても、リースは手入れを疎かにしがちだった。
「リース。今回ご主人様が休暇をくださったのは、きっとしっかり休んで肌と毛並みの手入れしてきなさいってことよ。だから今日はゆっくり休みなさい。後で私の仕事が終わったら、一緒に風呂場でお手入れしましょう。最近買った質の良い蜂蜜、分けてあげるから」
「わ、わかったわ」
「それじゃあ、夕方部屋に呼びに行くわね」
「うん。ありがとう、アーシュ」
リースは礼を言ってアーシュと別れると、慌てて自室に戻った。そして服を全て脱ぐと、タオルケットを一枚羽織ってから部屋を飛び出し、隣の部屋のドアを叩いた。
「ロル、ロル!」
「はいはいー。あれ姉さま。どうしたの? その恰好」
隣はリースの妹であるロルの部屋だ。ロルは扉を開けるとあられもない格好で姉が立っていたので、きょとんとして首をかしげてしまった。
「今、アーシュから毛と肌の手入れをしなさいって言われたの。悪いのだけどロル、毛づくろいをお願い。香油は持ってきたから」
「またアーシュ姉さまに怒られちゃったんだ。ぷぷぷ!」
「笑わないで。大体、夜あなたがすぐにねちゃうせいでもあるんだからね」
「ごめんなさーい。でも、今日は任せておいてよ。ほらほら! 早くベッドに寝っ転がって!」
「まって、タオルを敷かないと毛が――」
「いいからいいから! ほい!」
ロルはリースを部屋に招き入れるや、ベットにうつ伏せになるように押し倒した。犬獣族のリースは主に背後――首から背中を経由してお尻に生えた尻尾までが銀色の美しい毛で覆われている。身体の前は人族と変わりないため、毛づくろいはこのようにうつ伏せになって行うのが普通だった。
「ふんふふーん。リース姉様の毛づくろいー。毛づくろいはー大事だぞー。ご飯の次にー大事だぞー」
調子外れな歌を歌いながら、ロルはリースの毛にブラシを掛けていく。ちょっと荒い手つきだが、久しぶりの本格的な毛づくろいだ。リースは緩やかな快感に身を任せ、大きく息を吐いた。
「ロル。やっぱり私の毛並み、傷んでる?」
「うーん。どうなんだろ。そんなに傷んでるようには、あ、でも前に触らせてもらったナスタ姉様の毛より、少しザラザラしてるかも」
「そ、そう……」
ナスタは犬獣族ではなく猫獣族である。そもそも種族が違うため、どちらが優れた毛並みを持っているのか比べても仕方がない。しかしザラザラしているという言葉に反応して、リースは少し落ち込んでしまった。
「でも大丈夫だよ。姉様の毛並みはちょっとお疲れかもしれないけど、髪はほら、こんなにさらさらだし」
リースの長く伸びた銀髪を手で梳きながら、ロルはうっとりとした様子で続ける。
「それにお腹もお尻も引き締まってるのに、おっぱいはこんなにおっきい。いいなぁ。ロルも大きくなるといいけど」
「大丈夫よ。ロルもこれからどんどん大きくなるから」
「ほんと!? 楽しみー。ご主人様、喜んでくれるかな」
「えぇ。きっと……」
久しぶりの毛づくろいが気持ちよく、リースはうとうととしてきた。ロルが話しかけてくる他愛もない話題に相槌を打っていると、その内に眠りに落ちてしまった。
◆
「……ん」
リースが目をさますと、目の前にはロルの小さな寝顔が見えた。どうやらリースが寝てしまったのを見て、自分も隣で寝てしまったらしい。まったく仕方がないなと思いつつも、手近にあったタオルケットをそっと掛けてあげる。
その時ドアをノックの音が聞こえ、すぐに入ってきたのはアーシュだった。
「こっちにいたのね。リース、迎えに来たわよ」
「えっと……?」
「もう忘れたの。蜂蜜を分けてあげるって言ったじゃない」
そうだったとリースは思い出した。荒れているといわれた肌を復活させるために、これから風呂場で蜂蜜まみれにならなければならないのだ。
「そうだった。ごめん、寝ちゃってた」
「ほらね。やっぱり疲れてるのよ。早くしないと夕食の時間に間に合わなくなるから、急ぎましょう」
「えぇ」
ロルの部屋に合ったワンピースを一枚拝借して、素肌の上からそれを着ると部屋を出た。そのまま風呂場に向かう途中、アーシュが呆れた様子で指摘する。
「リース。それロルちゃんのでしょ」
「えぇ、そうだけど?」
「……ぱっつんぱっつんじゃない。全然に似合ってないわよ。ダサすぎ」
「どうせ風呂場に行くだけでしょう? お客様がいるわけでもないし」
ご主人様はいるかもしれない、そう指摘しようと思ったがやめておいた。これだから服装も私がしっかり選んであげないと、とアーシュは一人決意して話題を変える
「そう言えばラピスが言っていたのだけど、シクル島ではお肌の手入れをするのに、泥を使うそうよ」
「泥? 本当に?」
「えぇ。島の奥にとても綺麗な泉があって、そのそばの泥はサラサラでとてもキメが細かいそうなの。その泥を肌に塗って一晩立つと、ダークエルフのような美しい肌になっているんだって」
「それは自慢ですか。アーシュ」
エルフであるアーシュに美しい肌になると言われても、リースにはまったくぴんと来ていない様子だ。
「違うって。というかエルフだって手入れを怠ったらひび割れたりするもの。すくなくともリース、貴方よりは手間を掛けているわ」
「そう。でも肌にいいといっても、泥は少し気持ち悪いですね。毛に付いたら落ちづらそう」
「帝都の貴族階級の人達はエルフや獣人の生き血を塗るというから、それよりは全然マシよ」
「……帝都の貴族はひどいものです」
「そうね。でも砂国で一番肌に良いって言われているものはまた別なの。知ってる?」
「いえ」
「それはね、若くて力強い男の精液なんだって!」
「……はい?」
「砂国の傭兵の人たちが言ってたの。最近娼館では中じゃなくて、肌に良いから顔にかけてくるように頼まれるんだって」
リースの顔が少しだけ曇る。アーシュがたまにするこの手の話は、彼女は少し苦手だった。微妙そうな顔をするリースを気にもとめず、アーシュは話を続ける。
「ご主人様にお願いしてみればかけてくれるかしら。今度の伽の時にお願いしてみようかなー」
「アーシュ、失礼ですよ」
「でも生き血よりはずっとまともだし、それにご主人様のはちょっと効きそうじゃない?」
アーシュのこの手の噂話をするのはいつものことだ。彼女はどこからかこのような話題を仕入れてくる。他の奴隷達が変な風に影響されなければと、リースはいつも心配していた。
「効くかもしれませんが、ご主人様にそのようなことはお願いできません」
「そうかしら。意外とご主人様、そういうことはノリがいいから行けるかも」
「いけません」
「そうだ。風呂場に行く前にご主人様の部屋に寄って二人で誘惑――」
「アーシュ、いい加減にしないと――」
「俺がどうしたって?」
突然聞こえた男の声に、二人は固まってしまった。見ると廊下の先で、自分たちの仕える主人がぽかんとした表情でこちらに視線を向けていた。リースが慌てて姿勢を正す。
「ご、ご主人様」
「何か用事か? というかリース、なんだそのちんちくりんな格好は」
そう言われてリースは自身の身体を見下ろす。腕周りはピチピチで、胸の辺りはほとんど裸と変わりないほどに盛り上がっている。さらに裾は全く足りておらず、少し足を上げると全て見えてしまいそうだ。そんな格好を主人に見られたリースは、どうして良いかわからずに言葉を失った。
その横でアーシュが、ポンと何か思いついたように手をたたいて進み出る。
「ちょうど良いところにご主人様。よければ今ここでお情けを――ぶふっ」
言いかけたアーシュの口が、我を取り戻したリースの力強い掌によって顎ごと封じこまれた。
「んー! んー!」
「ご主人様。お見苦しいところお見せしました。失礼いたします」
「ん、あぁ……」
そのままリースはアーシュを引き吊りながら、逃げるように風呂場へと向かった。