帝都のキッチンにて
閑話 帝都のキッチンにて
エルフのアーシュが帝都の拠点に戻ると、キッチンから香ばしい匂いが漂ってきた。誘われるように足を向けると、エプロン姿でかまど前に座る牛獣族のサラの姿が視界に入った。
「サラ、いい匂いね」
「あ。アーシュん、おかえりー」
サラが振り向き、優しい笑顔で迎え入れる。サラは食事の準備を担当することが多い。最近は精力的に新しい料理にも挑戦しており、夕飯の多くは彼女の試作品だ。試作品といっても腕は確かなので、外れることはほとんどなかった。
ちなみのアーシュんとは、サラがアーシュを呼ぶ時のあだ名である。主人が居らず畏まる必要がない時、彼女はこのようにアーシュを呼んでいた。一方でアーシュもサラに対しては砕けた態度で話す。同時に買われた彼女達は、主人の心配をよそにすぐ仲良くなってしまっていた。
「先ほどね、ご主人様とおでかけしたら、帰りに香辛料や調味料を買ってくださったのぉ」
「香辛料? それって帝都でも随分と高いでしょ」
「えぇ。でも色んな種類を買ってくださったわぁ。それで今日は、香辛料を使って何か美味しいものを作ってくれって言われてるのぉ。私、香辛料なんかほとんど使ったことがないのよねぇ」
「今は何を作ってるの?」
「えぇと、出店にあった料理で、炊き込み御飯って言えばいいのかしらぁ。野菜と羊肉を炒めてから水を入れて少し煮込んで、そこにコメを入れて蓋をして、ゆっくり蒸すの」
「へぇ。そういえば前に買ってきてた気がする」
「そうそう。味付けに香辛料を使ってるみたいだったから、ちょっと試してみようかなって」
鍋から立ち昇る香ばしい香りにうっとりしながら、アーシュは頷く。
「とっても美味しそうね。でもさ、やっぱり香辛料といえばお肉でしょ。なんかないの?」
「羊肉の残りならあるけど、あと倉庫にソーセージが結構残ってたかなぁ」
「ならソーセージに香辛料をつけて食べましょ」
「でも、2日も前のだからちょっと傷んでるかもしれないわぁ」
「大丈夫大丈夫。香辛料をつければ食べられるって。取ってくる」
香辛料をつければ腐った肉でも最高の味となり、しかも食べても大丈夫という話は冒険者を中心に伝わる噂である。実際にはそのような効果はあまり期待できないわけだが、アーシュは手早く手を洗いエプロンを身につけると、ワクワクとした様子で倉庫からソーセージを取り出してきた。
「何がいいかな。やっぱりコショウ? それとも唐辛子?」
「ご主人様には色々なものを試せって言われているわぁ」
「それなら一本ずつ変えてもみましょう。よーし」
腕まくりをするとアーシュは痛み始めていたソーセージに香辛料を塗りたくる。塩とともに黒コショウ、白コショウ、クローブ、唐辛子、ショウガやニンニクなどを一通り塗り終え、それらを串に刺して繋げ合わせた。
「隣、借りるよー」
「うん。火は分けておいたからぁ」
「さすがサラ。気が利くぅ」
サラの横のかまどでアーシュがソーセージを炙り始めると、周囲に香ばしい匂いがさらに広がった。
「とってもいい匂いねぇ」
「本当に。でもこれで二品目か。もう一品くらい作ったほうがいいかしら」
「んー。ソーセージがいろんな味だから、今日はもう大丈夫かなぁ」
「そっか。そういえば炊き込みご飯にも羊肉が入ってるんだっけ? そうなると今日はお肉ばっかりね。私はお肉大好きだから全然良いけど」
「私も好きよぉ。でもまあ、それじゃあ適当にポタージュでも作っておくわぁ」
彼女たちの主人は、食事の内容にはあまり注文をしてこない。しかし毎食一皿だけでなく、複数の料理を作るようにとは言われていた。主人の命令だからとくに疑問もなく従っていたが、その理由として説明された栄養が偏らないようにという意味は二人には全く伝わっていなかった。
「これだけあれば、今日はサラダは要らないわね」
「でもアーシュん、最初の頃は澄ました顔でサラダばかり食べてたけどぉ、サラダ食べたくないの?」
「別に嫌いじゃないけど、好き好んで食べてたわけじゃないわよ。そのほうが喜ぶご主人様が多いって、奴隷商人から教わってたの」
「え、じゃあ演技だったのぉ?」
奴隷として買われてからしばらくは、アーシュは口数も少なく、食事もサラダばかりを少量しか食べずにいた。その頃に比べると、今のアーシュは随分と変わっている。
「普通の人はエルフに対して、御淑やかとか少食とかそんなイメージ持ってるらしいの。だから気に入られたければそう振る舞いなさいって言われたわ。まあ、ご主人様はそんなこと気になさらない方だったかすぐやめたけど。サラは何か言われなかったの?」
「私は全然、なにも言われなったけどなぁ。ただいつもおかわりしていたら、すごいたしなめられたことがあったわぁ」
ぼんやりとした様子で話すサラに、アーシュは呆れ顔になる。
「それはあなた、ただの食べ過ぎよ。よく太らないわよね」
「たしかに不思議よねぇ。ここに来てからもずっとおなかいっぱい食べさせていただいているのに」
「その胸に栄養が全部行っているんだとしたら、さすがにちょっと腹立つわね」
じろりとサラの胸を睨み付けるアーシュ。そこには軽く両手で抱えられるほどの豊満な胸があった。彼女と比べると、自身は子供のロルと同じ程度の大きさだとアーシュはよく自虐していた。
「でもアーシュんはお肌がとっても綺麗だからいいじゃない。シミ一つない透き通った肌なんて、うらやましいわぁ」
「サラだって、最近お手入れしてるからずいぶん綺麗になったわよ」
「うふふ。ありがとう」
二人で料理をしながら話していると、さらにもう一人匂いに誘われてキッチンにやってくるものがいた。バタバタと廊下を走る音が聞こえたと思うと、犬獣族のロルが転がるように飛び込んできたのだ。
「いい匂い! サラ姉さま、 今日のご飯はなに?」
「あらロルちゃん。おかえり。今日は炊き込み御飯とソーセージよぉ」
犬獣族のロルはメニューを聞いて、ごくりと唾を飲み込む。
「美味しそう! あれ、アーシュ姉さまもいる」
「香辛料を使って料理してるらしいの。楽しそうだから私も一品ね」
「じゃあロルも作る。お肉まだある?」
「えぇ、羊肉なら」
「じゃあそれでステーキだ。お肉いっぱい食べたい!」
ロルの提案に二人が笑顔で頷く。さらに肉料理が増えることになるが、とにかく主人からの命令通り、夕飯の種類は増えることになるので問題ないという判断だ。
「それじゃあロルちゃん。手を洗ったら羊肉を切り分けてねぇ」
「はーい」
喜び勇んで返事をしたロルは、手を洗うとすぐに羊肉に切り分け始める。その横でアーシュが、焼きあがったソーセージを皿に盛り付けていた。15cmほどの大きさのソーセージが10本ほど。5人で食べるには十分だろう。
盛り付けが終わるころ、ロルもまた羊肉を切り分け終えた。
「できた! サラ姉さま。どの香辛料を塗ればいいかな」
「んー。そうねぇ。やっぱり黒コショウがいいんじゃないかなぁ。あまり使い過ぎないように、これくらいね」
サラが一つまみだけ黒コショウを掬い、切り分けられた羊肉にそれぞれ振りかけていく。その様子を見て、アーシュが呆れたように言った。
「何言ってんのよサラ。こんなんじゃあ全然味がしないわ。これくらいがばっと行かないと」
アーシュはがっと小袋に手を突っ込み、黒コショウを一掴みすると、切り分けられた羊肉に惜しげもなく振りかけた。まだ焼いてもいないのに、周囲につんとしたコショウの香りが広がる。
「うわぁ! 凄い匂い!」
「さあロル、まんべんなくこすりつけるのよ。終わったらこっちによこしなさい。串を刺してあげるから一緒に焼くのよ!」
「はい!」
「あぁ……大丈夫かなぁ」
香辛料の匂いに充てられたのか、テンションが上がり気味の二人を、サラは鍋の番をしながらはらはらして見ていた。確かにご主人様には好きに試して良いとは言っていたが、彼女たちがふんだんに使っている香辛料は小袋一つで金貨一枚にもなる高級品だ。
(ご主人様のことだからお怒りになることはないとは思うけど、それよりも怖いのはぁ……)
サラの心配はすぐに現実となった。羊肉に黒コショウと塩を塗り終え、喜び勇んで焼き始めたロルとアーシェの背後から、冷たい声がかけられたのだ
「二人とも、これはなんですか」
「えっ?」
「あっ……」
振り向くと、そこには筆頭奴隷であるリースが腕組みをして立っていた。彼女の視線はまず皿の上にあるソーセージに向き、続けて今まさに焼き上げている羊肉へと移っていった。
「この料理、ずいぶんと香辛料が使われているようですが、どれだけ使ったのですか?」
「え、えっと。これくらい?」
そう言ってアーシュが空中でボールをつかむように掌を作る。それを見て、リースはかっと目を見開いた。
「なんて量を使うのですか。高価な香辛料をそんなにいっぱい。ご主人様が召し上がりになるものだけならまだしも、すでにサラが作っていたではないですか。このソーセージと羊肉は、あなた達が食べたいだけでしょう?」
「そ、そんなことは」
「ごめんなさい、姉さまぁ……」
小さくなる二人をかばうように、サラがリースに声を掛ける。
「リ、リースちゃん。自由に使って良いって言ったのは私だからぁ。それに品数増やそうっていったのも私だし、あまり二人を責めないであげてぇ」
「サラは黙っててください」
「うぅ……」
サラの助け舟も空しく、リースはそのまま説教を始めてしまった。その間にも羊肉はジュウジュウと音と匂いをあげながら焼きあがっていたので、サラは炊き込みご飯の見張りをしながらせっせと羊肉を焦がさないようにしなければならなかった。
結局その日の夕飯は炊き込みご飯とソーセージ、それに羊肉のステーキとポタージュという肉々しいメニューとなった。特にソーセージは質的にも味付け的にもかなり怪しい出来だったが、主人にはどれも美味しいと好評だった。