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地獄で初恋

作者: ひろりん

なんとなく書いてみたリハビリ作品です。

誤字脱字あれば、教えてくれると嬉しいです。


気が付いたら知らない場所にいたというのは、死した話の定番である。

そして、当の本人はパニックに陥ったり、怒ったり泣いたりと感情を大いに全面に出す。

それは人間が感情を持つ生物であるという証明な様なものだろう。


その大前提を前にして私は、なぜか今の自分がそうでないことに、

ただぼんやりと意識を揺蕩わせていた。


私という自我はかろうじてあるものの、思考が動かないといえばいいのか。

とにかく、何も感じないし、何も考えられない。

ここがどこで、私が誰であるかすらも思考の彼方だ。


かろうじて言及出来ることは、私が今いる場所について。

ここは、道だ。


道と言っても道幅30cm弱程の細い道。

そして、道の両側は断崖絶壁とでもいえばいいのか、

崖下が見えない程の高所な細い道を私は歩いていた。


この道を歩き続けて何時間になるだろうかとふと小さな疑問が湧いた。

同時に、意識の端に、前を歩いている人が居ることに気が付いた。

そして、気を付けて意識を向ければ、私の後ろにも確かに誰かが居る気配があった。


何時間も、いや、下手すると何日も歩き続けていた気もするが、

考えるという思考が消えてしまっていたのか、

今の今まで、何一つと言って気にすることはなかったことに、

今更ながらに、私はゆっくりと首を傾げていた。


私の周囲には真っ白な霧が周囲を立ち込めている。

その霧は、触れても冷たくも熱くもなく、

そして、水分を含んでいないかのように肌に触れても全くの違和感を感じない。

薄いようで濃い乳白色の視界を全面に広げる不思議な霧。


視線をゆっくりとだがあちこちに動かしていたら、意識は少しずつ浮上するというのか、私の何かの感覚が動き始めた気がした。


思考が戻りつつあると感覚が気になるのが本能なのか、

指先が動くことを確認する。


そうして、ゆっくりと私の手のひらを見る。

右、左と指先を動かしているうちに、足が止まったらしい。

私の背中に、後ろの人がぶつかり、小さな呻き声が聞こえた。


一種の抗議にも似た唸り声に、慌てて前に足を進めた。

道幅30cmでは先を譲ろうにも不可能だ。

後ろが閊えないように、前後に同じような距離感で歩くよう気を付けた。


そうしてずっとただ歩いていると、

今度は歩いていることに疑問を感じ始めた。


何故私はここで、この道を歩いているのだろうか。


疑問が浮かんでは消え、現れては沈んだ。

そこで目に入ったのは、前を歩く人の背中。


少し距離を詰めて背中に近づく。


男の人だ。

首の皺と白髪の混ざり具合から、ある程度年を経た中年の男性と推測する。


「あ、あの、唐突ですが、前の方、すこしお尋ねしたいのですが」


遠慮がちに男性の背中に声を掛けるが、男性は聞こえていないのか、

彼女の言葉に反応すらしない。


「あのですね。ここはどこなのでしょう。知ってたら教えてください」


先程よりも聊か大きな声で前の男性に呼びかけるが、これにも全く反応無しだ。

仕方なく男性の服の後ろを少し引っ張ってみた。


「あの、もしもし、聞こえてますよね」


前を進む男性は、私の引っ張った服の裾はそのままに唯、歩いていた。

知らない人に声を掛けられても、相手をしたくないということだろうか。

昨今変な人が多いとはいえ、仮にも女性が困っているのだ。

反応くらいしてくれたって罰は当たらないのに。


まあ、嫌がる人に無理強いは一社会人としてどうなのだと言われれば、

何も言えない。ヘタに強制すれば、訴えられても可笑しくないのが現実だ。


気を取り直して、では後ろの人に聞こうかと思うが、

私が足を止めるそぶりをすると、先程までの唸り声が聞えてくる。

先程、背中にぶつかった感覚では、後ろの人は男性。

そして、たったこれだけの事に唸り声をあげる短気かつ動物的な男性だ。


こういった人とは出来れば関わり合いになりたくない。


そうなると、選択肢が0になった。

私の前後にしか人が居ないのだから、前も後ろもダメなら打つ手なしということだ。


私は、はあっと大きなため息をつきながら、とにかく道を進んだ。

感覚で2,3時間は歩いただろうか、霧が晴れてきた。

景色に変化があったことを喜びつつ、私はゆっくりと前方に現れる何かに目を凝らした。


先ず驚いたのは、正面の大きな、とにかく大きな門。

ちょっとした小山にも匹敵する大きな門だ。

門は、金の装飾に朱塗りの柱、門戸には重そうな鉄の扉があった。


その門に向かって私の歩いている道は伸びていた。

道には大勢の人間が一列に規則正しく並んでいた。

いつかテレビで見た人気のドーナツ店の開店行列よりも長い列だ。

普通の列ではないのは、並んだ人の状態を見れば解る。


老若男女人種を問わずして、とにかく人が並んでいた。

誰も何も言わないし、皆ロボットのように一列に並んで淡々と歩いていた。

これは、この列は、一体なんなのだろう。


じっと前方を見ていたら、門の前で番号を呼ばれた人から順に、

一人ずつ中に入っていくのが解った。


番号?

疑問に思ったとき、私の左の胸に手のひらサイズの番号札が名札のようについていた。


「2万ウ1263845」


これがもしかしなくても私の番号なのだろう。


少しずつ前に進む順番に待つこと数時間数十分。

時間の感覚が解らないのであまり正確ではないが、

やっと呼ばれたので、私も門の中に入った。


入った先は小さな石造りの小部屋。

部屋の中央にはポツンと一脚の椅子。

これに座れということだろうか。


勝手に座っていいものか解らないので、そのまま座らずに周囲を見渡した。

部屋には椅子があるだけ。部屋の壁には赤い緞帳のようなカーテン。

カーテンの隙間からゆらりと灯りが揺れているのが見える。


思わずそうっとカーテンに手を掛けて外を覗くと、

私の目の前で二本の鋭い刃先がキンと音を立てて交差した。


びっくりして慌てて顔を引っ込める。

これは呼ばれるまで大人しくしていろということだろう。


仕方なしに部屋の椅子に座って呼ばれるのを待つことにした。

10分程度の時間が経って、「2万とウの1263845番」と呼ばれた。

閉じられていた緞帳がするすると左右に別れた。


隣りの部屋に恐る恐る足を踏み入れると、入り口付近で槍を構えていた者にぎょっとした。

入り口両脇でさすまたのようなU型の反り返った大きな尖った槍を構えるのは、

顔が雄牛の大きな二人の門番だ。


ギラリとひかる鋭い槍の穂先が私を追い立てるようにこちらを向き始めたのに気が付いて、慌てて何もない部屋の中央まで駆け寄った。


猿の顔をした黄色の役人風の服を着た存在が手に持った小さな杖でココンと床を叩く。

同時に私の頭上でゴーンと銅鑼が鳴り、思わず目を閉じた。

そして、再びココンと音がして、瞼を開けたら目の前に、

東京タワーよりも大きい鬼が居た。


赤い顔にぎょろぎょろした目に大きな牙。

団子鼻に太い眉にごつい顎髭。

巨体では済ませられないほと大きな鬼が、私の前で座っていた。


「二万とウの1263845番。 これよりお主の査定を始める」


私の横に立つのはいつの間にか豚の頭の役人に変わっていた。

豚役人は、巻物を広げて述べた。


「二万とウの1263845番。 生前の名は橘 蓮花。

 日本舞踊の大家、橘 幸之助歌六8世の三女。

 無関係な痴話げんかに巻き込まれた老人を庇い、心臓を刺されてあっけなく死亡。

 死亡の際に、庇った老人が徳の高い僧侶だった為、生前の罪咎が抹消された。

 特徴、特技:ベジタリアン 日本舞踊師範代 薙刀師範 

 死亡後、3つの願を叶えて生前の未練を解消し神界に差し出すように。by天帝

 と有ります。いかがいたしましょう、閻魔様」


豚の役人がぶひっと鼻を鳴らしながら、鬼に向かって言った。

いや、豚の顔も珍しいかもしれないが、今、なんていった?

閻魔様? ああ、確かに鬼の顔は閻魔様に見えなくもない?


「ほう、数十年大人しくしておったと思うに、またいつもの悪い癖がでたか」


閻魔様の地を這うような低い声が頭上から耳に届いた。

くっくっくと含み笑いが声に含まれている。


「あれだけ妻を娶りながらも人界にまで食指を伸ばすとは、相変わらず節操ない男よ。 お主もそう思わぬか、篁」


誰の事を言っているのか明らかに解るが、出来る部下である篁は何も応えない。

それなりの役職と地位にある閻魔様は兎も角、

唯の一審議官である篁にはあの男とやんちゃをするには重すぎる。


閻魔様は、目の前にぼんやりと漂う白い魂に呼びかけた。


「ふむ、橘 蓮花よ。生前の姿を取るがいい」


白い魂は、眩しいばかりの美貌をもつ女神のような女になった。

女は、この場所が落ち着かないのか、きょろきょろと見渡した挙句に、

自らの透けている手のひらをじっと見つめて後、無表情で閻魔様を見返した。


「ほう、確かに傾国の美女と呼ばれることはある。

 確かにそなたは美しいの。女神もかくやの美貌よ。創造神が殊更に寵愛を傾けたのであろう」


無骨ものとして知られる閻魔様にしてはかなりの美辞麗句だが、

目の前の100観にも及ぶであろう巨大な鬼の体躯に恐れを抱くでもなく、

女は、生来の気質そのままに、どうでもよさそうに閻魔に返答を返した。


「はあ、どうも」


「姿もそうだが、そなたの様な稀有な魂の死にざまとしては、これも珍しい。

 死後が神界への転送ということは、

 そなたの死は、天帝の望みであったということか。

 そなたの美貌に目を付けたか。さもありなん。

 人の魂でありながら230人目の天帝の妻に成れるようじゃの。よかったの」


閻魔の言葉に蓮花を顔を珍しく歪めた。


「私は、死んでまでそんな所に行かなきゃいけないのね。

 いっそもう、ここで魂ごと消滅させてくれないかしら」


明らかに嫌がっている蓮花に、閻魔様は目を瞠って驚いていた。


「それがそなたの望みか? だが、残念ながらそれだけは聞けぬな。

 罪のない魂を消すことは閻魔王と言えど大罪に当たる。諦めよ。

 罪咎を持たぬ魂は、本来ならすぐに転生の輪に迎え入れるが、残念なことに、

 そなたの転生の資格は天帝によって断ち切られた。もはや生ある世界に戻ることは叶わん。

 そなたにとっては非道かもしれんが、考えようによっては極楽に行けるのだ。

 極楽は痛みも苦しみも悲しみもない。天帝の妻になれば望みは全て叶えられる。極一部を除いて、天界は平和そのものだ。喜んで天界へ行くがよい」


だが、閻魔の言葉を聞いても目の前の蓮花は無表情でため息をついている。


「はぁ、極楽って、極楽鳥が居るところかしら。

 生前に見に行きたかったのよね」


明らかに少し違う観点の極楽を想像している蓮花だが、

自らの運命を諦めと共に受け入れ始めたようすに、閻魔は少し安堵した。


「まあ。それは兎も角、人界の生命が持つ唯一の理である輪廻の輪。

 神とはいえ、それを意図的に破棄したのだから、法によりお前は代償を求めることが出来る。

 代償はそなたの3つの願いを我がここで叶えることによって補われる。

 さて、橘 蓮花。 そなた我に何を望む」


閻魔様が篁に向かって指をくいくいと動かす。

明らかに願リストが書いてある巻物を持ってこいと無言で告げていた。

慣れた仕草だとは思いながらも、直属の上司と言えども舌打ちしたくなる。


篁は閻魔様の後ろの机から面倒くさそうに立ち上がり、一本の巻物を持って、

蓮華の前に立った。


篁が蓮花の前に立った時、蓮華の視線が火花が散る様に激しく反応した。

パチパチと長い睫が煙るように何度も瞬きを繰り返す。


「あ、あ、ああ、あの、貴方」


蓮花は、一体何があったのかと思われる変化を一瞬で遂げていた、

頬を一瞬で赤く染め、ふるふると震える長い睫は壮絶な程の色香を放っている。

これは、流石、傾国の美女と称される女だと、閻魔は感心していたが、

なにかを言いたげな蓮花の言葉を遮るように、篁は無遠慮にずいっと巻物を蓮花に差し出した。


「ほれ、過去に誰かが願った願リストだ。

 これを参考にして、3分以内に願を決めてくれ。

 俺は本日、大法廷に書類を提出に行かなきゃならんのだ。

 遅れると坊主どもにちくちくと文句を言われるからな。早くしてくれ」


かなり自分本位な言い方なので、思わず上司である閻魔様が口を挟んだ。


「篁、お前のその言い方はあんまりじゃ。

 仮にももうじき天帝の妻になろうって方にいう台詞ではないぞ」


上司の言葉に、篁は鼻で笑って言い返した。


「あんまり? 十分丁寧に言ってんだろ。どこが不敬だ。言ってみろや。

 大体、ここで平身低頭したって、神界で位をもらったら人であった時の魂の記憶なんて、綺麗さっぱり消えちまうだろ。だから問題ねえ」


閻魔様は、困った奴じゃのと顎髭をぽりぽりと掻く。

冥界一の実力者で地獄の統率者でもある直接の上司に対する不敬はどうなのだ。

そう言いたい気持ちは山ほどあれど、閻魔はもちろん黙っている。


「まあそうだがの。ほら、一応相手はか弱い女性じゃしの」


「俺は男女平等主義者だ。知ってんだろ、なあ、お偉い閻魔様・・・


心の中でもっと自分を敬えを思っていた閻魔は、

様と呼ばれた一瞬で悪寒が全身に走った。


「ああ、まあ、そうじゃの。うん。わかった。問題ないの。

 お前は誰に対しても手ひどい対応じゃからの」


篁は以前に何度かあの微笑で、閻魔は365日の仕事詰め祭りを執行したのだ。

人界で大震災があり、多くの死者の魂の回収が行われたのだが、溜まっていく書類に嫌気がさし、ちょっと夫婦で神界温泉旅行と洒落込んだ後の、篁の所業だった。神界のお偉方の命令書片手に、拒否権なしと仕事を詰め込まれた。

閻魔相手にこの鬼畜な所業。こんなことをするのは地獄界で篁以外にいないだろう。


一向に帰ってこない夫相手に、最愛の妻はわが身の不幸を嘆いて嘆息し、離婚を匂わせたことは脳に刷り込まれている。

あの時閻魔は、頼むから休みをくれと泣いて懇願した。

仕事が捗っていいと笑っていたのは、他の界のお偉方とこの男だ。


「だろ。なら、いいじゃねえか」


この男は、とある事情から冥界に席を連ねる実力者。

男が持つ、閻魔を凌駕するほどの多くの伝手と情報は今では界を問わない程の規模を誇る。

そして、男の持つ最大級の毒舌はこんなもんじゃない。


罪を軽減してもらう為に言い寄った美女や犯罪者が裸足で逃げ出すほどの毒舌は、鬼も羅刹も、上司である閻魔や友人である修羅ですら震えて膝を折るとの評判だ。それに比べれば、今のは毒舌の毒はさほどでもないかもしれない。


「解ってんなら、いいだろ。俺は早く仕事を終わらせたいんだよ」


投げやりな言葉に、頬を染めた蓮花が口を挟んだ。


「あの、貴方は誰ですか? 名前を教えてください」


豊満な胸を押えるように両手を前に組み、きらきらと輝く瞳で、蓮花は篁を見詰めていた。

上司との会話に割り込んだ無遠慮な女に、篁は何でもないように答えた。


「うん? それが一つ目の願いか?

 良かったな、閻魔様。 一つ目が決まったそうですよ」


「ええっと、それはあんまりじゃないか、小野の篁よ」


「いいんですよ。ほら、もう一つ目が終わった。

 さくさく行きましょう。 ほら、女、俺の名前は解っただろ。

 次の願いを言えよ」


蓮花の輪廻の輪に対する対価であった願事が、あまりにも簡単に決まってしまったことに、上司である閻魔様は心の中でため息をついたが、篁の言葉にはあえて逆らわない。

篁の笑顔が怖いということもあるが、なにしろ、蓮花本人が嬉しそうに頷いているからだ。


「小野の篁様。小野の篁様。素敵な名前ですね」


宝物を呼ぶ様に名前を繰り返す蓮花は贔屓目に見なくても壮絶に可愛い。


「あん? 名前を知ることは許したが、呼ぶことは許してない。

 勝手に呼ぶな。俺の名を呼んでいいのは、俺が実力を認めた価値のある存在だけだ」


こんな美女相手にこの態度。

本当に篁ときたら、どうしようもない。


「その実力とは? どうやって示せばいいのですか?」


おや?っと閻魔はひそかに首を傾げた。


「そりゃあ、ここの溜まった書類をぱぱっと片付けてくれる有能な補佐とか、

 俺の山済の仕事を減らしてくれる手際のいい秘書官とか、

 ってそんなことは今はどうでもいいだろ。

 で、次の願は決まったか」


キラキラした目で篁を見上げていた蓮花は嬉しそうに笑い、訝しげに両者のやり取りを見ていた閻魔に向き直った。


「はい。閻魔様。私は神界には行きません。ですので、天帝の記憶から私の存在を消してください」


蓮花の言葉に、篁も閻魔様も、思わず「はぁ?」と聞き返した。


「あの、出来ませんか?」


蓮花の戸惑いを含んだ問いに、閻魔様ははっと我に返った。

出来る出来ないを聞かれれば、出来るに決まっている。

輪廻の輪の対価はすべての最上位に位置する決まりだからだ。


「い、いや、時廻りの香炉を使えば出来るが、本当にいいのか?

 神界に行ける者など、砂漠の砂一粒程の確率だぞ」


人間がどんなに徳を積んだとしても、天界に迎え入れられることなどほとんどなき。精々修羅界中位くらいまでだろう。


「はい。いいです」


蓮花の答えに全くと言って躊躇はない。


「本当に、本当にいいのだな。天帝の意をなかったことにしてもお主の輪廻の輪は戻らぬぞ」


蓮花はこれにも躊躇いもなく頷いた。


「はい。これが私の2つ目の望みです」


はっきりとした言葉に、今度こそ閻魔様は頷いた。

天帝の気まぐれで手を付けられた女共の行きつく先は醜い嫉妬の嵐。

先日も114番目の妻が48番目の妻の美しい目を抉り、天界の階から落としたらしい。

地獄の獄卒たちが、地獄の網にかかった盲いた哀れな女性の魂をどうしたらいいと、問うてきたのは記憶に新しい。

いろいろと知っているからこそ、この希望は叶えるべきだと思ったのだ。


閻魔様は、手元に大きな香炉を掲げ、水晶に対象を映し出す。

水晶玉には、にやにやと笑いながら神界で女神と酒肴に戯れる天帝が映っている。あれは、お気に入りの女を見つけた時の、鼻の下が伸びたどうしようもない男の顔だ。


閻魔が数回香炉を振ると、香炉から水晶玉に向かって煙がもくもくと吸い込まれていく。

煙の先が天帝の絵に被さると、天帝は目を数回瞬いて後、目の前の妖艶な美女を押し倒した。

どうやら、今ので天帝の記憶から蓮花の事が消えたらしい。実に素早い。


「よし。これでいい」


閻魔は、固まった首を廻しながらどかりと椅子の背に体を預けた。


「だが、神界に行かぬとなれば、そなたの住む世界を決めねばならん。

 もう輪廻の輪には戻れぬし、3つ目の願いはどこの世界に属するかで決めた方がいいぞ」


これから先ずっと、その魂の力が消えるまで過ごす世界を選ぶのだ。

天帝が下手に力をその運命に注いだゆえ、彼女の魂の力は色濃く強い。

卓に乗ったお気に入りの梅こぶ茶をすすりながらも、慎重に時間を掛けていいと閻魔が言おうとしたが、閻魔の考えを見透かしていたように、篁がずいっと蓮花の前に身を乗り出した。


「お、おい、篁」


「うるせえ! 俺は早く帰りたいんだよ。

 ほら、女、3つ目だ。早くいえ」


閻魔の気遣いは、この篁によって霧散される。

本当に空気を読まないというか、人を思いやるという感情をどこかに置き忘れのであろう篁は、相変わらずのマイペースだ。


だが、気遣われる当の本人は全く気分を害した様子はない。

それどころか、今までにないくらいに蓮花は嬉しそうに笑っていた。

そして、きらきらした目で篁を見返し、頷いた。


「はい。篁様と同じ世界でお願いします。

 私を篁様の秘書官にしてくださいませ。

 そしてできれば私を篁様の妻に迎えてくださいませ」


閻魔が篁の背後で思いっきり梅こぶ茶を噴いた。冗談? 篁相手に?


「はぁ? 断る。俺は理想の女性しか妻にはしねえと決めてるんだ。

 そこの小娘は、どっか別の世界にいって旦那を探してくれ」


篁は小馬鹿にしたように鼻で笑って断ったが、真剣な目で蓮花は閻魔に懇願した。


「閻魔様、私の願いは叶いませんか?」


閻魔様は、袖口で口元を拭きながら、じろじろと蓮花と篁を見据えた。


面白い。これは、久しぶりに面白い事になりそうだ。

そしてにやりと笑った。


「いいや、叶えよう。橘 蓮花、そなたをこの冥界に篁の秘書官、兼、妻として迎えよう」


我妻もこの口うるさい篁に妻帯させようと躍起になっていた時があった。

見合いを多々組んだが、篁の口の悪さに見合い相手は泣き怒り逃げ出した。

このような方の妻には到底なれませんと。


「おいこら、ちょっとまて、そこのくそ爺」


あの口の悪さを目のあたりにして罵倒されても、蓮花の微笑みは変わらない。

いや、蓮花の花が開いたような満開の笑みは光を増すばかり。


これはよい。本当に良い縁組かもしれない。


「有難うございます。夫共々、閻魔様にお仕え致します。どうぞよろしくお願いします」


綺麗に頭を下げて挨拶をする蓮花に、閻魔はホクホクと満足そうに笑う。

天帝の役立たずの女狂いも、役に立つことがあったものよと。


「うむ、歓迎するぞ。 ということで、篁、決まったから。

 いつまでも妻を持たないお前に我が奥も心配していたからな。

 彼女もお前と同じだ。我と奥の様に、お前たちも幾久しく仲良う致せ。 実にいい縁だ」


奥に彼女を紹介したら、さぞかし喜ぶだろう。

先日、流行の女子会と言うものをしてみたいので、女友達が欲しいとほつりと妻が漏らしていたのを聞いていたのだ。おそらく、蓮花と妻は気が合うに違いない。そうしたら、妻も少しは閻魔の意向を組んで、もう少し閨の時間を増やしてくれるかもしれない。


「どうか蓮花と呼んでくださいませ、旦那様。

 決して後悔はさせませんわ。末永く睦まじく過ごしましょうね。旦那様」


妻の閨での痴態を思い出し、にやにやと気持ちの悪い妄想閻魔はほっといて、蓮花は早速、夫となった男に挨拶をする。


「ふざけんな、俺は呼ばねえし認めねえ」


吠えても無駄だと篁だとて解っているだろうに。

3番目の願いは聞き届けられた。

契約書にはすでに明記され、閻魔帳に載った。

篁自身のもつ唯一無二の切り札でしか、この婚姻を無効にすることなど叶わないだろう。だが、篁は決してその切り札を使わない。

ゆえに、篁には手の打ちようがない。


何時もは傍若無人に振舞う篁が、ぎりぎりと歯切りをする様子を見るのが楽しいというのもあったが、それはそれ、これはこれだ。


「閻魔様、篁様。私、妻として、本日から小野の名字を名乗りたいです」


それはもっと面白くなりそうだ。

いいぞいいぞ。もっと言え。


「おお、そうだな。夫婦別姓が巷では流行っていた時期があったそうだが、

 やはり夫婦は同じ姓を名乗るが和合の楽しみの一つよ。すぐさま名乗るがいい」


「待てと言っているだろう。聞えんのか、この頭タンポポ水虫爺!

 くそ女も俺の名を勝手に使うな! 俺の名を呼ぶな。俺達は未来永劫無関係だ!」


「篁様と未来永劫夫婦の絆。素敵です」


「話を歪めるな!誰が夫婦だ。ふざけんな!

 お前ら二人とも耳の穴を綺麗さっぱり掃除しろ!」


篁の叫びが冥界の真偽の間に響き渡った。


この後、紆余曲折があったり、天帝の鼻の下がまた伸びたり、閻魔夫婦の間に新たな娘が誕生したりといろいろあるが、長い地獄生活で、何時しか地獄界のオシドリ夫婦と呼ばれる二人のなれ初めである。




久しぶりだと手が動かないものですね。

いろいろ突っ込みどころ満載の短編ですが、

作者としては、ちょっと気に入っていたりする。

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