世界は思っていたよりも優しくて(いとこside)
「寄らないで頂戴」
「…触らないで」
伸ばした手は、払われた。
話しかけようとしても、いないものとして扱われた。
悲しくて、苦しくて、痛くて。「狐憑き」だなんて陰口もたたかれた。言われたくないのに、俺は人間なんだよって言いたいのに、感情に振り回されて人のカタチもまともにとれなくて。
「化け物」
「惣火の恥さらし」
「呪われた子」
冷たい目。その目から逃げるように身体を縮こまらせても、狐になってしまった途端哂いが降ってくる。
「う、あっ」
俺は。
声をあげるのを諦めて。
言葉を交わすのを諦めて。
せめて、傷つけるのなら触らないでと、身を縮め続けることしかできなかった。
そんなある日、俺はあの人に引きずられて客室に通された。
客室は苦手だった。どんな対応をとっても対応中に相手に散々いじめられるし、終わった後には今まで以上に周りに辛く当たられるからだ。あの人自身は俺を苛めはしないけど、助けてもくれない。でもいてくれるだけマシだった。
だけど、今日は、あの人は俺をおいてさっさと出て行ってしまった。
怖くて顔があげられない。
俺を守ってくれる人はどこにもいなくて、あの人がいてもそれは変わらないはずなのになぜか心細さがました。膝の上できゅっと手を握る。―落ち着かなきゃ。お客さんの前で狐になってしまったら、また酷いことを言われてしまう。
「郡くんよ、ゆまちゃん」
かけられた穏やかな声に促されている気がして、俺はそうっと顔をあげた。
小さな、女の子がいた。女の子は俺を見た瞬間目を見開いた。
あぁああぁあぁああ。
やっぱりやっぱり俺はいらなくて、汚くて、だめな存在なんだって思ったら感情が抑えきれなかった。狐になった身に向けられる視線が怖くて、顔をあげたら軽蔑の視線が待っていたらと思うと恐ろしくて、身を丸めてぶるぶる震えていた。
「えっ?!」
「あらあら」
だけど、耳に入ったのは驚いたような声と、のんびりとした声。
―怒って、ないの?
そうっと顔をあげると、ばちりと目があってしまった。驚きと、好奇心。いやなモノなんて全然含んでないきらきらした目が、こっちを見つめていた。目が逸らせないでいると、突然視界が遮られてしまった。
「かわいいっ…!」
その言葉に、抱きしめられているのだと知った。
初めてだった。あったかくて、安心できて。泣きたくなるくらい嬉しくて、胸が苦しいくらいだった。
『おれ、…かわいい?』
「うん!すっごくかわいい!」
女の子は淀みなく答えた。
嬉しそうだった。
「化け物」で「呪われた子」で「狐憑き」な俺を、愛おしそうに抱きしめた。
『…へんじゃ、ないの?』
「なにが?」
不思議そうな声をあげて、女の子は俺の頭を撫でた。その手つきの優しさが心地よくて、くるるるる、と喉が鳴った。
「ふふふ」
女の子は楽しそうに笑って、顎の下を撫でた。何も考えずにこのまま身を委ねてしまいそうになって、安心感にぼろりと涙が零れた。ひっく、ひっくとしゃくりあげさえし始めれば、どうやらさすがに女の子も気づいたらしい。
「え?え?なんで??」
『だってぇええぇっ!!おれいらないこっていわれてたもん!!かわいいなんていわれたことないもん!!うわぁあぁああんっ!!』
泣き叫びながら、ぐいぐいと女の子の腹辺りに顔を押し付ける。おろおろしながらも女の子は慰めるように頭を撫でてくれるから、俺は余計に涙が止まらなくなった。
「じゃあ、郡くんを引き取っちゃいましょうか」
大人の人が、いたずらっぽい声で言った。
思わず顔をあげると、大人の人はすごく綺麗な微笑を浮かべていた。
***
あれから俺は大人の人と女の子の家に預けられることになった。
人づてだったけど、あの人は俺が嫌いだからって俺にそっけなくしてたわけじゃなかったんだ、って。ほんとは愛してるって、大好きだって言いたかったけどどうしてもできない理由があるんだ、って。そう聞いた。
もちろん、信じられない気持ちはあった。
でも、思い返してみれば、あの人は俺に冷たくしながらもどこか苦しそうだった。手を伸ばしかけてやめたのも、もしかしたら叩こうとしたんじゃなくて撫でようとしてたのかもしれない。
それに、別れ際。
自分のことを忘れないで欲しい、ってハンカチを渡されたけれど、そういえばこの人はこのハンカチをよく使っていたなって気が付いて。大事なものだから返しに来なさいって目をそらしながらだけど言われて、不器用ながらも抱きしめられて。それでやっと、この人も俺のことを大切にしようとしてくれてたんじゃないかって、ちょっとだけ信じることができた。
父さんは「すまなかったな」と謝ってくれて、頭を撫でてくれた。仕事が忙しいからって、あの人や使用人たちとうまくいってないことに気づけなくて辛い思いをさせてしまったから、って。父さんにはずっと放っておかれていたから嫌われているんじゃないかと思っていたけど、そうじゃなかったんだって知って、なんだかほっとした。
引っ越しについては「ずっと帰って来ないわけじゃないから」と荷造りは最低限で終わった。俺の家は「ここ」なんだ、って。父さんは力強く、あの人はおろおろと目を泳がせながらもこくりと頷いて言ってくれた。
「郡くんはね、帰るお家が二つあるの。そう思ってくれたらいいのよ」
大人の人はそう言って笑った。