満たされた虚ろ(東雷side)
惣火のプロジェクト入りを宣言した後、俺は理事長室にしばらく残って惣火にちょっとした質問や、プロジェクトの概要、今後の授業日程の変更なんかについて話しを続けた。
正直、まだ若く、生徒である惣火を巻き込むのは賢い選択とは言えない。
獣化を代償として齎した古代魔法と神に祝福された者のみが使うことができるとされる精霊魔法の共通項を研究する、なんて深く考えなくても教会に見つかったが最後、確実に吊るし上げられる。というかおそらく見つかった瞬間に処刑だ。学園はそのことも考えて慎重にメンバーを選び、ひっそりと研究を続けている。
だが、人材が足りないのは確かだ。
古代魔法・精霊魔法共に多くの知識を有していて、その上で常識にとらわれない発想で両者の共通項や差異について論じられる者がどれほどいるか。
だから、逃がす訳にもいかなかった。
「惣火。古代魔法についてはどの程度知っている?」
「基本理論についてはある程度学んでいます。…旧家ですから」
「精霊魔法については」
「実践を含めて幅広く学びました。授業では復習と、他視点からの捉え方の学習を兼ねています」
「なるほどな」
この際、自己申告してきた知識量が事実かどうかは関係ない。もし思っていたよりも知識量が少なかったとしても詰め込めばいいだけだ。コイツの発想力は本物なのだから、時間をかけて育ててやればいい。
「明日から授業の無い時間は俺の自室に来るように。惣火の理論について質問したいことがある。なるべく多くの時間傍に控えていてくれ」
「それって、私が理論を立ててから先生にお渡しした方が早くありませんか?」
「どっちにしろ質問することに変わりはないからな。それにたまには人の意見を研究させてくれ。独り善がりに延々と理論立てし続けるのは辛いんだよ」
茶化したように笑えば、惣火は戸惑ったような顔をしながらもこくりと頷いた。
***
翌日から惣火は俺の自室に頻繁に訪れるようになった。
「惣火。『解除』と『破棄』の具体的な違いについておまえが感じている差異を教えて欲しい」
「そうですね…。まず、おそらくですが、私はそもそも『破棄』を使ったことが無い、ということを前提に聞いて頂けますか?」
「は?…惣火。おまえ、大規模魔法を使ったのは一回や二回じゃないんだろう?」
「割と何度も使いましたが、私の場合いずれも『中断』です。魔力が切れたり、供物の量が足りなかったりで途中で効力が消えてしまうことがほとんどでした。呪文が祈る系統に移行した後は力の貸与に対する感謝と終了の宣言を述べれば効力は切れましたしね」
「…すまないが、そのことについても詳しく教えてくれないか」
「はい。構いませんが」
惣火の体験談は相変わらずぶっとんでいて、理論の構築法の方も相変わらず独特だった。
惣火は、強制使役魔法も大規模魔法も、初めから枠に当てはめて見てはいないように思えた。確かに両者はいずれも同じ精霊魔法に属する魔法なのだからその考え自体はおかしくなどないはずだ。ただ、理屈では分かっていても最初から両者を別物として学んだ頭ではそう思考するのが難しいのは確かで。
俺は真新しい視点から理論を構築し直すのが楽しくて仕方が無くて、しばらくの間はたまに質問を挟みながら只管に惣火が述べた理論の解析にあたっていた。
***
あの狂信者の追放の日に惣火が落とした爆弾とも言える破天荒な理論の解析が粗方終わった頃だった。
「あ、先生。はい」
惣火が、俺に紙の束を差し出してきた。
俺はというと、例の惣火の理論でよく理解できなかった箇所を質問した際に派生して生まれた論点について検討し直す作業はまだ残っていたから、まだまだ解析する気でいたところを中断させられて、少々面喰っていた。
「これは、…なんだ」
「机の上に会った先生の理論を読ませていただいて、私なりに解釈してみました。その上での意見を少々。私は古代魔法についてはそれほど造詣が深くないので、間違いがあればそこを重点的に学び直そうと思いまして」
そう言って、惣火は紙の束を俺に渡してきた。
質問されずに放置されていた間、大分暇だったのだろう。俺は多少の罪悪感に胸を痛ませつつ、紙束に目を通し始めた。
思わず目を見開いた。
衝撃、だった。
滑らかに綴られた肯定と批評。
差し伸べるように与えられる補強説。
その考えは性急すぎると、根拠を述べた上での、嗜めるような反論。
ああ、彼女は、―惣火は、俺の考えを分かってくれるのだと。理解してくれるのだと。そう理解した瞬間に、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。
俺はずっとずっと、理解者を求め続けていた。
誰でも良かった。
一緒に考えてくれるだけでも良かった。ちょっとした意見を貰えるだけで十分だった。
独りが辛くて、苦しくて。だけど、こんな特異な条件を満たす人間、現れやしないと半ば諦めていた。
でも。
惣火は、俺の考えを分かったうえで、一緒に考えてくれたのだ。
「ふ、ぅッ…!」
「え、と…。あのっ…」
久しぶりに感情が制御できなくなって、一気に視界が低くなる。それでも止まらなくて、情けなくもぐすぐす泣いているとおろおろしていた惣火が急に俺を抱き上げて、膝の上に乗せた。
「先生。どうしたんですか?…疲れちゃいましたか?」
ぎゅう、と抱きしめられるのだって、もしかしなくとも初めてで。
獣の身の状態の自分を愛でてくれる存在なんて稀有なもの、いるはずもないはずだった。
なのに、惣火は俺を抱きしめる。甘やかす様に、やけに優しい手つきで俺の頭を撫でる。
身体の奥からどろどろと溶けだしそうなほどの心地よさに、自然と涙も止まっていた。
「先生は、長い間お一人で頑張られていたのでしょう?今日ぐらい、休んでしまってもいいのではないでしょうか」
柔らかな声。身体を撫でる手つきは相変わらず優しくて、自然と眠気が襲い、うつらうつらと頭を揺らす。
「おやすみなさい」
温かな囁きに促されるように、目を閉じた。