規格外な生徒(東雷side)
使えない教師を退けた後、惣火の手を引き理事長室へと向かう。惣火は例の教師の暴言がかなり堪えたらしく、始終動きが覚束なかった。
まあ、あの『惣火の猛将』が大事に大事に育ててきた孫娘なんだもんな。
きっとあれほどの悪意に晒されたのは初めてだったのだろう。ソファーに座ることさえ危うかったが、さすがにそこまで手をかけさせるのは本意ではなかったらしく大人しく自分で座った。撫でて慰めたが、惣火のためというか、自己満足であった部分が大きかったような気がする。
あの教師に関しては残念だという思い半分、やはりという思い半分だった。
魔法がなんたるかを知ることができないばかりに、既存の理論はともかくその本質に気づくことができなかった狂信者。だからこそ彼はその学を讃えられながらも学園で秘密裏に進めているプロジェクトについてはその存在すら知らされず、今日で世間へと放逐されることになったわけだ。
獣人の生まれでありながら、精霊魔法の理論のみに優れた教師。
表向きには獣人の受け入れをしている学校においても獣人として雇われるなら古代魔法の下位にあたる肉体強化の魔法を教えることができない時点で受け入れは拒否されるだろうし、仮に受け入れてもらえたとしても職場環境は劣悪だ。
耳と尾を出ないように徹底して獣人であることを隠して教職につくとしても、世間一般に教えられている教会の色に塗りつぶされたような精霊魔法を教えることにヤツが耐えられるのか。発狂した挙句に獣化し、そのまま処分される未来しか思い浮かばない。
そんなとりとめもないことをつらつらと考えていると、理事長が入室してきた。
どうやらヤツの処遇についての話は終わったらしい。
「待たせたね」
理事長は常の食えない笑顔を浮かべると、そのまま声の質を変えることなく告げた。
「非常に申し訳ないが、アレに見せてくれた魔法を、もう一度ここで実践してくれないかな?」
さわやかな声で告げられる「アレ」発言には惣火も辟易したようだったが、空気を読める生徒なのか、惣火は言われるままに呪文の詠唱を開始した。
「『火を冠する精霊よ。我に力を貸し、闇を照らす炎を灯せ。
此の掌の上に小さく赤い、消えぬ火を与えよ。
其の火は何をも害さず、何からも害されぬ不可触の火。
今、我の紡ぐ声に応え、出でよ炎!』」
ぽふっ!
やけに可愛らしい音を立てて現れた炎からは、熱を感じられなかった。詠唱通りならば触れても特に問題ないということになる。俺は理事長と二人してしげしげと先ほど生み出された炎を眺めていたが、理事長が不意に問いかけた。
「触っても大丈夫なのかい?」
「はい。熱くもありませんし、消えることもありません」
その言葉に、炎に一瞬指を通してみたが特に何も感じなかった。
確かめるように、二度、三度、と何度も手全体を通り抜けさせてみたが、熱さどころか周囲の空気との温度差さえ感じない。
「本当だ。まるで蜃気楼みたいだな…」
尚も手を通り抜けさせ続けていると、ふと傍にいる理事長からの熱視線に気づいた。
やけに炎を凝視している気がする。
理事長は子供のようにきらきらさせた眼差しを惣火に向け、満面の笑みを浮かべて惣火に要求した。
「私が持っても大丈夫かな?」
なんという無茶振り。
俺は思わず固まってしまった。
精霊魔法は自らの魔力を糧に精霊の力を引き出す魔法だ、―とされている。獣人であり精霊を呼び出す用の魔力なんてゼロな理事長に精霊魔法が引き継げるはずがないと。
そう、考えていた。
「はい。では、譲渡しますから手をこちらに」
だが惣火はなんでもないことのように理事長の差し出された手へと炎を掲げた手を差し出し、一言唱えた。
「『譲渡』」
言葉と共に、炎はゆらゆらと動きながら理事長の右掌の上部へと移っていく。そして、―揺らめき続けている。
嘘だろ。一体何が起こってるんだ!?
内心の動揺を押し隠し、どうにか笑みを浮かべたまま理事長に問いかける。理事長はと言えば初めての精霊魔法にはしゃいでいるようだ。依然として目がきらきらとしている。
「古代魔法と違って、バリエーションが豊富なんですかねぇ」
「そもそも実践した人間が今までいなかったようだが。
…東雷くん。この炎、私についてくるぞ!」
「理事長、はしゃがないでください」
一瞬真面目な顔に戻りかけたが、理事長は手を様々な方向へと動かし、あっちへゆらゆらこっちへゆらゆらと炎を動かして喜んでいた。
なんというか、…ほんと、精霊魔法ってどうなってるんだろう。
一周回って冷静になってきて、俺は渇いた笑みを浮かべた。
しかし、驚きはこれからだった。
理事長からもう十分に見たから炎を消す様に言われた惣火は、『解除』と唱えて炎を消してしまった。
『解除』という一言で、だ。
予め設定した指定時間になったから消えたというわけでなく、魔力切れで自然消滅したというわけでなく、対抗魔法で打ち消したというわけでなく、『解除』という一言で文字通り魔法を無効化したのだ。
精霊魔法は、基本的に一度出した魔法を途中で打ち切ることはできない。
俺が例のヤツを断じるために入室した際に自然と惣火が炎を消してしまった時のように、外部からの働きかけにより集中力が切れて、と言った中断方法もあるもののその中断方法は確実性に欠け、あまり賢いやり方であるとは言えない。規模によっては暴発の可能性も否めないからだ。
だからこそ時間を指定せず魔法を使用した惣火に疑問をもっていたのだが、予め無効化させる術をもっていたのならば、なるほどおかしいことではない。
どうやって無効化させたか、という疑問は残るが。
これが普通の炎であったならまだしも、惣火が出していたのは不可触の、「消えない炎」。仮に打消しを狙ったとしても対抗魔法である水の影響を受け付けないという厄介な特性付きだ。そんなややこしいものを、一体どうやって消したというのか。
「…惣火くん。今、どうやって炎を消したのか教えてもらっても構わないかね?」
「えっと、ただ単に式を解除しただけですけど…」
「…『式』を?」
「はい。だって、精霊魔法ってつまるところ命令式で成立している一つの契約式ですよね?」
その言葉に、問いかけた理事長でさえぴたりと動きを止めた。
『式』を解除した、とか一体どういう意味だ。
「それは、…一体どういう意味で言ったんだ?」
「え?…だって、魔力を代価に『対象』に『目的』を示して使役するんですから命令式で成立している契約式でしょう?」
惣火はどこか困ったように眉を下げながらなんでもないようにそんなことを告げたが、そんなぶっ飛んだ発想ができる術師が一体この世界に何人いると思っている。
が、そんなことより今は疑問の解決を優先するか。大規模魔法でない精霊魔法すらも『契約』としてみなしているとすれば…。
「精霊の強制使役を『契約』に置き換えて効果を齎していた…?」
「だとすると式を解くことでそれまでの効果を無効化することが可能になる…。元々が一時的な契約である以上、他の契約式と違って『破棄』ではなく『解除』を選べる分、術師への負担も少ないと考えられますね」
大規模魔法は既に『供物』を代償として捧げてしまっているため既に結果は定められており、その結果を曲げて改めて術を停止するには更なる追加の供物を必要とする。これを『破棄』という。
一方、通称精霊魔法と呼ばれる強制使役魔法を『契約』の形態として見るならば、代価である術師の魔力は常時供給されるため『契約』は常に更新し続けられているということになる。そのため術の停止は即ち更新され続けてきた『契約』の打ち切りとみなすことができ、大規模魔法と異なり術師の魔力供給の停止と共に魔法の効果もまた停止され、結果として無効が導き出されるわけだ。
これは、新しい視点として今立ち上げているプロジェクトの参考になりそうだ。
理事長と俺は頷き合い、議論を停止した。この視点での論理構築が実践で生かせるかどうか、プロジェクトに取り組むチーム全体で再度議論し直すべきだと考えたからだ。
理事長は話を終わらせる気で、柔らかな声で惣火に声をかけた。
「参考までに聞きたいが…。惣火くんは大規模魔法を使うことはできるのかね?」
「はい。一応は」
精霊魔法の腕は、視点は少々独特だが言葉の選び方といい、理論の構築法といい、一級の才能を持っていることは明らかだった。だから、理事長は最後の確認というか、あくまでも補足的意味合いで惣火に問いかけていたのだ。
惣火により更なる爆弾が落とされるとも知らずに。
「どの精霊と一番相性がいいか教えてくれないか?」
「えっと…」
惣火は困ったように言いよどんだ。
おいおい。これ以上おまえは何を言い出すんだ。まさか全属性相性最高とか言い出すんじゃないだろうな?
「…質問を変えようか。惣火。おまえ、大規模魔法使う時、供物にはなに選んでるんだ?」
「供物…」
その言葉に、惣火は一気に遠い目になった。
待て。
おい、まさかそんな。
「最初は使ってたんですけどね…」
「…おい。まさか、」
「始まりは悪ふざけだったんですよ」
惣火は言い訳めいた言葉を吐き出し、目を泳がせた。
悪ふざけで供物なしの大規模魔法発動成功とか、おまえは一体何を考えているんだ。
俺はあまりのことに、卒倒してしまいそうだった。
『大規模魔法』とはその名の通り大規模な魔法であり、その規模の大きさから場所指定を補助する『魔法陣』と、不足する魔力の代わりを担う『供物』を使うことで有名だ。
が、惣火は『供物』という呼び名に注目し、『信仰心』がその威力に絡んでいるという仮定を立てた。
そして、精霊魔法の使用時に必要とされる原則を呪文に組み込んだうえで精霊を讃える賛辞を呪文の中にうまく組み込み、水の精霊を使った大規模魔法を発動したという。
結果として、その大規模魔法は供物を損なうことなく成功した。
が、威力が凄まじすぎてあわや大惨事を引き起こしかけ、土下座で謝って魔法を中断したという。
おい。
おいおいおい。
…大規模魔法って、土下座で謝ったぐらいで中断できるものなのか?
その後、謝罪と、あるかもしれない次回についてのお願いを経て、その件は終息したらしい。が、それからが問題で。
なぜか他の属性の大規模魔法が唐突に使えなくなってしまったらしい。
今までは威力がどんなに低くとも一応は使えていたものが、全く使えなくなってしまった。供物も減りもしなければ、対象とする属性の精霊の力の片鱗すら見当たらない。が、低威力ながら水の精霊の大規模魔法だけは使える。
何故水の精霊の魔法だけ使えるのか。使えない他の精霊との違いはなんなのか。
そこで、惣火はとある仮定に行きついた。
もしかすると、あの呪文が原因か、と。
試しに火の精霊に同じような呪文を唱えると、あっという間に絶大な威力の大規模魔法が成功。礼を述べ帰還を促して魔法を中断後、供物を見れば丸残り。
「―と、まぁそんな感じでして。敢えて言うなら精霊を感動させられるような賛辞の言葉を散りばめた呪文自体が供物になるんでしょうか…」
惣火は遠い目をしながら空笑いすらしていたが、空笑いしたいのはこっちの方だ。
現存する術式から見れば、まるで型破りな方法。
しかし、手探りながらも幼くして自ら仮定を立て、試行し、その結果から理論を導き出した。誰にでもできることではない。
俺と理事長はしばらく無言で見つめ合った。おそらく、考えていることは同じだ。
「…東雷くん」
「はい。
…惣火。朗報だ。おまえの魔法科行きはなくなった」
きょとりとした惣火に、次いで言葉を重ねる。
こんな無茶苦茶なヤツを教会の巣窟なんざに放り込めるか。
しかも、惣火に主に受けさせようとしていたのは魔法の実技。もはや既存の手順で用いられる術式からは遠く離れている惣火の術式は、異端として吊るし上げの対象になりかねない。
「おまえは特別科の『特選コース』に在籍し、俺と共に古代魔法・精霊魔法の共通項についての研究を秘密裏に進めてもらう」
古代魔法・精霊魔法の共通項についての研究。これが、学園が秘密裏に進めているプロジェクトだった。