歪んだ憧憬の末路
その人は、ガラリと自ら教室の扉を開けた。そして尻もちをついていた先生は、我が意を得たりと言わんばかりに喜びに目を輝かせながら立ち上がった。
「東雷先生!」
その人は生徒間で人気のある、若い先生である東雷 剛先生でした。
先生は金髪に黒メッシュという不良っぽい見た目をしているのだが吊り目気味の琥珀の瞳はなんとなく猫っぽくて、なんだかギャップできゅんと来てしまうような容姿をしている。しかし、東雷先生は先生へと視線を向けるなり私に向けていた微笑を崩し、冷たいまでの無表情になってしまった。
けれど幸か不幸か、先生はそのことに全く気付いていないようだった。
「先生からも何か言ってやってください!特例だかなんだか知らないが、教師を侮って危害を加えようなんてとんでもない生徒だ…!」
「そうですか」
東雷先生は淡々と答えた。
侮って、はまだしも危害を加えよう、は完全に彼の被害妄想だ。
と、いうか精霊魔法をきちんと知っていて私の詠唱を聞いていれば私が他人に危害を加えられるような炎など呼び出していないと分かったはずなのに。
「満足に力を見せられなかったのは私の所為ではなく自身に力が無かったのが原因だ。それを―」
それも違う。
精霊魔法は呪文を重視する魔法。適性を正しく測るためには、通常教え手が何らかの呪文を示し、受け手がその呪文を正しく唱えることでどれ程その呪文が正確に投影されているかを測るものだ。私は一度家で適性審査を経験していたし適した呪文を唱えることもできたからよかったものの、下手をすれば校舎ごと教師も生徒も大量負傷、最悪普通科・特別科全滅、な事態になってもおかしくなかったのに。
「旧家だからといい気になって…!」
ああ、それが。
―それが、本性なのか。
私は憎悪の眼差しでこちらを睨みつけてくる先生に、今度こそ心底失望した。
コレは、最早教師でもなんでもなく、ただの虚栄心の塊なのだと。
「確かに使っていた呪文は既定のものじゃない。だが、コントロールはずば抜けている。特定の性質に固定するその技量も大したものだ」
「ならばやっぱりコイツはおかしいじゃないですか!?どうして旧家でありながら精霊魔法が使えるんだ!!庶民出の、血の薄い俺ですらカケラさえ適性を持たなかったのに!!この魔女め!!なにか薄汚い方法を使ったんだろう!!」
庶民出の、獣人。
その言葉に、全てが繋がった気がした。
庶民には、人間が多い。獣人が生まれることは稀。時には精霊魔法の才能を持つ子が生まれることも珍しくも無い。そんな環境の中で生まれ育ち、精霊魔法と言うものの本質を取り違え、歪んだ憧憬を抱くに至ったのだろう。
先生は鬼のような形相で私に詰め寄り、私は危うく胸倉をつかまれそうになりかけた。
私は、何も感じなかった。
同情も、共感もできない。だって全て間違えているから。
その歪んだ感情は何も生まないし、誰も救わない。自分の惨めさから目を逸らすためだけの現実逃避なんてするくらいなら、最初から自分の殻に閉じこもって外になんて出なければよかったのに。割り切れないままでいるくせに、教師なんて仕事につくべきではなかったのだ。
そこへ、東雷先生が割って入った。
「…伊藤先生。貴方は教え方も上手く、誰か一人を贔屓することも無い、良い先生でした。ですから、―非常に残念でなりません」
悲しげな顔でその言葉を言い終わると同時に、私の後ろにあるドアから理事長が現れる。理事長は憂いを含んだ表情で、先生を見下ろしていた。
その目には、隠しようのない冷たさと、先生に対する侮蔑が宿っているように見えた。
「魔法を使えないが故に魔法に固執していた君は、その分理論に精通していて学も深かった。我々はそんな君の『情熱』を見込んで君を教師として雇った。
しかし、血で差別をし、剰え生徒に言われのない中傷をし口汚く罵るとは…。
君の熱意はどうやら『情熱』ではなく『狂信』だったようだ。それでは教会と変わらないよ」
「あ、あ…。りじ、ちょう…」
「君をこの学園から追放する」
その言葉に先生はがくりと膝から崩れ落ち、呆然としていた。私はどうすることもできずに、東雷先生に手を引かれるまま、教室を後にした。
「話したいことがあるんだ。理事長室まで来てもらっても、いいかな?」
ふんわりと爽やかにわらった理事長にどうにか頷いて、私はそのまま東雷先生に手を引かれ、理事長室まで向かった。
あの鬼のような形相と、呆然とした後姿が、いつまでも私の頭から離れてくれなかった。