黒い滞在者
「うぅううぅっ…。こおりぃいっ…」
『…泣くな。愚痴くらい聞いてやっから』
「優しさが身に沁みますぅうっ…。ううぅうぅっ…」
『だから泣くなって』
中庭の黒いもふもふは、溜息をつきながらも、慰めるように私の頬へと頭を摺り寄せた。
「もふもふさんんんんっ」
『高坂だ、高坂。変な呼び方すんな』
慰めに甘えてぎゅうっと抱きついてこちらからも頬を摺り寄せると、黒いもふもふ―高坂くんは呆れながらも私の行動を受け入れてくれた。
なぜこんな状況になったのか。それにはかれこれ十分ほど溯る。
***
『ッおい!!』
私に抱きつかれた高坂くんは当初酷く驚いた声を出し、私の拘束から逃れようとした。が、その行動を実行する前に私がぼろぼろと涙を零してしまったので、高坂くんはぎょっとして動きを止めてしまったのだった。
「うーっ…」
『お、おいっ…。だいじょうぶか…?』
「ううううううっ…!」
が、どうして泣けてくるのか理解していない私は高坂くんの優しさにますます感極まってしまい、余計泣けてきてしまったのだ。
『…おまえ、どうして泣いてんだ?』
「だ、だってっ、」
優しい声音で問いかけられ、しゃくりあげながら私は答えた。
「だ、だってっ!こおりがいないぃいぃいっ…!」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら告げた答えは私自身でも予期していなかったものだった。
『なんでソイツがいないとダメなんだ?』
「だってっ…。だってっ、みんな私のことほんとは怖がってるんですっ…!ぜったいぜったい、ほんとの意味で友達なんかになれないんだぁあっ」
そう言って私は高坂くんの身体に抱きついてわんわんと泣き始めた。
幼少期から共に過ごしてきた郡との絆については、私には疑う余地さえなかった。何故ならそもそも当初の郡は私しか信じていなかったわけで、差別されるされないなど考えるまでもなく唯一の絶対の味方だった訳だ。
だが、学園に来て友達になった彼らは違う。
獣の姿にならない、いわば「イレギュラー」である私を怖れ、羨み、最初は距離を置いて近づきすらしなかった。
春日井くんとの件で害意がないことはわかってもらえたようなのだが、一部の人からそっと置かれる距離が「おまえなんて信用できない」と言われているようで辛かったのだ。
けれど彼らに面と向かってそのことを指摘するわけにもいかなかったし、郡がずっと傍にいてくれさえすれば孤独ではなかったから、今までは、万人に好かれる人間などいないから、と自らを欺くことができていた。
でも、その郡は、今日は学園にいない。
絶対的な信頼関係をもつ友人という存在がいない今、私の精神状態はとんでもなく脆弱になっていた。私はいつの間にか、郡を支えている気でいて郡に支えられてもいたのだとイマサラになって気が付いたのだ。
そこで、冒頭に戻る。
『おまえはそいつらのこと怖がってたりするのか?』
「…べつに怖くないです」
『気持ち悪ィとかは?』
「…ありません」
『じゃあ大丈夫だろ』
私はその言葉におずおずと顔をあげた。
涙でぐちゃぐちゃな情けない顔だったが、高坂くんは気にせず優しげな眼差しを私に向けてくれた。紅く澄んだ、ルビーのように美しい目が私を見つめていた。
『俺たちは獣になれる分、害意や悪意には敏感だ。おまえがホントにそういうモンもってないってんなら、一度話せば警戒解くだろ。距離置かれてる、っつーのも怖がられてるとかじゃなくて、案外恥ずかしくて近づけねーとかじゃねーの。おまえ美人だし』
「…口説かれてます?」
『バカいうな。あやしてんだろうが』
ふん、と鼻を鳴らすと高坂くんは私を抱きこんで眠る体勢に入った。
遠くの方からチャイムの音が聞こえた。
このままでは次の授業に間に合わないだろう。わたわたと私が焦っていると、高坂君は尻尾でぺしりと私のお尻を叩いた。
『ごちゃごちゃ考えてるクセに無理して授業出たりすんな。大人しく寝てろ』
これは、励まされているのだろうか。
正直、授業を休むなら体調不良の旨をちゃんと先生に告げて保健室で休むべきだと思うのだが、たまにはこういうのもいいかもしれない。
「高坂くんは、優しいですね」
ありがとうございます、と囁いて擦り寄れば、満足げに尻尾がもう一度ぺしりと動いた。
この日から、私と高坂くんは、友人になった。