彼女との出会い(春日井side)
俺は、「落ちこぼれ」の獣人だった。
周りは何も言ってこない。それが却って苦しかった。獣人として生まれてしまった以上、ただでさえ人間よりも劣った存在なのに。
大型の獣型獣人。
そのタイプの獣人はほとんどのヤツが簡単な古代魔法なら適性を認められるのに。それさえ使えれば兵として身を立てて、人間並みとまでは言えずとも、それなりの扱いを受けられるようになるのに。
どうして、俺は魔法が使えないんだろう。
***
魔法が使えないから特別科には入れなくて、俺は普通科に所属することになってしまった。
でも、普通科の獣人はみんな精々耳や尾が生える程度の獣人だ。うっかり獣化してしまったら同じ獣人といえど怯えられてしまうんじゃないかと怖かった。だからずっと緊張しっぱなしで、俺は獣化しないように常に細心の注意を払っていた。
そんな時、廊下で惣火ゆまにぶつかってしまった。
惣火ゆまは旧家の血を引いていながら人間である生徒で、しかも精霊魔法の適性があるらしかった。
才能面だけで考えれば魔法科に入れてしまってもよさそうだが、なにせ教会漬けな教育が蔓延っている魔法科だ。旧家出身というだけでいじめに発展したっておかしくないし、万が一、実は獣人であった、なんて展開が起きてしまったら目も当てられない大惨事が待っているだろう。
そんな諸々の事情の所為で複雑な学び方を余儀なくされてしまった惣火ゆまは現在は普通科に所属しているが、暫定『人間』ということで差別的な扱いをされるのではないかとこの教棟の生徒たちは怯えて近寄ってすらこない。俺はそんな惣火ゆまにぶつかってしまい、なおかつ勢いがついてしまったのだろう、彼女に押し倒されてしまった。
「あっ…。すみません」
「えっ…。あっ…」
押し付けられる柔らかな胸。
さらさらと流れている長い髪は金色で、透けるように美しい。
瞳は琥珀色で、つぶらで大きな目は全体の顔立ちも相まって愛らしい。
そんな可憐系美少女に押し倒されて、平常でいられる男なんているだろうか。
結果。
俺は、獣化してしまった。
体毛は髪と同色で、瞳の色は変わらない。
茶色に近いような、薄い金色の毛に、黒い瞳。
典型的な、「犬」の獣人の容姿。
「春日井くん…」
その声に、体中を恐怖が駆け抜けた。
存在自体を、否定されてしまうような気がして。
せめてもの抵抗に顔の前で前足をクロスしてみたけど、正直間抜けな格好な気がしないでもない。
しかし、しばらく待ってみても向こうからはなんのアクションも無く、俺は恐る恐る固く閉じていた目を開け、前足の隙間から惣火ゆまの様子を覗った。
どうやらすぐに俺の上からどいていたらしく、惣火ゆまはどこかぼんやりとした様子で床に座り込んでいた。
その様子を見て、少なくとも害意はなさそうなのに俺は安心して、身体を起こすと、獣の姿のままで、そっと惣火ゆまの前まで進んだ。
溜まりに溜まった気疲れの所為で、まだうまく人の姿をとれる気がしなかったのだ。
けれど、惣火ゆまは驚く様子もなく、ただじっと俺を見つめていた。
「春日井くんは大きなわんこなんですね…。ちょっと撫でてみてもいいですか?」
『俺が怖くないのか?』
「……のは、」
声は小さくて、俺には聞き取れなかった。怖くないのか、という問いかけの後、急に俯いてしまった惣火ゆまの顔を覗き込み、俺は首を傾げながら聞き返した。
『え?』
「怖がられてるのはむしろ私の方じゃないですか!みんな私を避けるんです!寂しいんです!もう色々と限界なんです!!撫でまわしていいですか?!」
可憐系美少女は唐突に顔をあげ、発狂したように叫んだ。
涙目でせまってくる様は愛らしく、俺は咄嗟に返事ができなかった。
『え?…えっ、と…』
「失礼します」
俺が否と告げなかったことをいいことに、あろうことか、惣火ゆまはいきなり真正面から俺に抱きついてきたのだ。
『ちょっ、…えっ?!』
「春日井くんかわいいです…。癒されます…。ぼっちの身に沁みます…」
『えっ?…えっ、えっ』
柔らかな手が頭を撫で、耳をくすぐり、体中を滑っていく。混乱と心地よさに頭がぐちゃぐちゃになって、なんだか次第に全てがどうでもよくなってきて、俺は終いには尻尾をぶんぶん振り回しながら惣火ゆまの手を受け入れていた。
きゅんきゅん鼻を鳴らしながら顔を擦りつければ、惣火ゆまはふふふ、と酷く嬉しげに笑っていた。ああこのまま飼われてもいいかもしれない、なんて頭の悪い考えさえ浮かんできたころだった。
「えっ?!そっ、惣火さん?!大丈夫!?」
クラスメートの登場に、一気に身体の芯まで冷えた気がした。
客観的に見れば、猛犬が少女を襲っているように見えなくもない、…かもしれない。青い顔をするクラスメートを尻目に、惣火ゆまは相変わらず俺の頭を撫でながらきょとりと不思議そうに目を瞠り、首を傾げた。
「なにがですか?」
「えっ?!だっ、…だって!…えっ、…と、…」
「春日井くんは優しいんですよ?ぼっちだった私を拒まないでいてくれたんです…。ホントかわいい…」
「かっ、かわいい?!」
惣火ゆまはそう言うと、どこか恍惚とした様子で俺をぎゅっと抱きしめた。
クラスメートは何が何だか分かっていないようで、あたふたと意味もなく手を動かしていた。
俺も正直、何がどうなっているかよくわからなかった。
「えっと、…惣火さん。それ、…本気で言ってる?」
「?
はい。何かおかしいですか?」
「あ、あのっ!!俺の、この耳!!どう思う?!」
あまりのことについ獣化してしまったらしい一人の生徒が、これ幸いと言わんばかりに自らの頭上に生えた耳を指差した。どうやら彼も犬の獣人らしく、俺より茶色味が強い垂れ耳がぱたぱたと動いていた。
「紺野くんは犬の垂れ耳なんですね」
「そっ、それで!?」
「え?」
「おっ、俺も!!かわいいですか?!」
その言葉に、惣火ゆまはぱちぱちと瞬きを繰り返し、不思議そうな顔でこんなことを言いだした。
「えっと…。撫でて欲しいんですか?」
言うが早いか、惣火ゆまは自らの耳をアピールした生徒の耳を、やけに優しい手つきで摩り始めた。
「ひぁっ?!」
触られた生徒の方はと言うとどこか如何わしさを思わせる艶めいた声をあげていて、しかし鈍感なのかなんなのか、惣火ゆまの方は全く気にせずにマイペースに耳を弄り続けていた。
「紺野くんの耳すべすべですね…。すごく手触りいいですよ?」
「ん、あっ…。みみだめぇえっ…」
終いには力が抜けてしまったのか、紺野と呼ばれた男子生徒は力なく床にぺたりと座り込んでしまった。それを見た他のクラスメートたちは目を丸くすると、慌てて紺野を引っ張りあげると素早く惣火ゆまから距離をとってしまった。
「そっ、惣火さんありがとう!!俺ら紺野回収するから!!」
「惣火さんは春日井撫でてればいいんじゃないかな!なっ?」
紺野の他にいたクラスメートの二人組は惣火ゆまに言うだけ行くと逃げるように去って行ってしまった。
ぽつりと取り残された惣火ゆまはとても寂しそうな悲しげな顔をしていた。傍で見守っているしかなかった俺はなんだかもやもやと胸が落ち着かなくて、気合を入れて人の姿に戻ってみることにした。
「えっと…」
試みは無事成功して、俺は次の瞬間には元の人の姿で惣火ゆまの少し後ろに立っていた。
人の声に反応して振り向いた惣火ゆまの顔がなんとなく真っ直ぐ見れなくて、俺は頬をかきながら告げた。
「なんつーか、その…。人じゃなくなっても、否定しないでくれてありがとう」
なんであんな展開になったのかはわからなかったが、拒絶されなかったことがとてつもなく嬉しかった。
その言葉だけは伝えたくて、照れながらもお礼の言葉を告げたが、当の惣火ゆまはというと困ったような顔で首を傾げていた。
「それって、感謝されることなんですか?」
「少なくとも、俺は嬉しかったぜ?」
「ならいいんですが…」
「ゆまー!」
その時、後ろから大きな声がかけられ、惣火ゆまは勢いよく誰かに抱きつかれていた。
「ゆま遅い!」
「ごめん、郡」
「なんかあった?」
「うーん…。わかんない」
「えー」
惣火ゆまは親しげにその生徒と会話を交わすと、肩を並べて仲睦まじく帰っていった。
一瞬だけ、翡翠色の瞳がこちらを鋭くにらんだ気がしたが、おそらく気の所為では無いのだろう。