渇望(せんせいside)
繰り広げられる茶番を、俺は冷めた目つきで見ていた。―気でいた。
隆盛は最後まで気づけなかったようだったが、俺は最初から彩恵の本性に気づいていた。アレは毛皮以外に興味のないキチガイだ。
周りとは違う意味で差別的で独善的。当時、俺もあの女に撫で繰り回された一人だが、撫でまわされたところで薄ら寒い悪寒が背を駆け抜けるだけだった。そんな女の孫だから、彩恵と同じようにどこかがイカレたキチガイなのだろうと思っていた。
…だけど。
ゆまは本家の息子に、本家の息子であるから好きなのだと言って泣いた。
…そういえば、人の姿の時も、頭を撫でていた。
手を、繋いでいた。
笑みを、浮かべていた。
じりじりと、焼けつくような渇望が脳を焦がす。
あの笑みを。慈しむような手を。邪気のない温もりを。俺にだってくれたって―。
そんな願いとも呼べない悍ましいほどの強烈な欲望は、存外あっさりと満たされてしまった。
***
俺の狂気染みた欲望に気づいた隆盛が手を回したのか、指示通りに獣化して部屋で待っているとゆまがやって来た。
ゆまは一瞬びくりと身体を震わせたが、こちらが何もしないのに気付くと、「もしかして、…せんせい?」と声をかけてきた。
『そうだよ、ゆまちゃん。俺だよ』
そう言って顔を寄せると、ゆまは目と目の間を器用に撫でてきた。
ちょっ…、そんなトコ撫でられたらっ…。
うあんっ…!耳の後ろとかもかりかりされるとだめぇえっ…。
自然と喉がごろごろなって、ぴんと尻尾が立つ。もっともっとと強請るように額を手に摺り寄せれば顎の下を優しくくすぐりながら頭を撫でてきた。やばいすごいきもちいい…。
「ふふふっ。せんせい、ねこさんみたい」
すりすりと頬を寄せられて、向けられる、幸せそうな笑み。
「かわいいのね。せんせい」
その言葉に、高揚していた気持ちがすうっと冷えていって、俺は唐突に人の姿に戻っていた。
ゆまは、きょとんとした顔をしている。俺はそれに、泣きそうになった。
「…びっくりした?」
「うん。…びっくりした。せんせい、こっち」
きてきてと手招きされるままに屈んで目線を合わせると、ゆまはいきなり俺に抱きついてきた。
「…ゆま、…ちゃん?」
「…ゆまは、なにもいってあげられないけど。ぎゅってしてあげることはできるよ」
「!」
「せんせい。…ちょっとはかなしいの、なくなった?」
そう言って、俺を見上げてきて。首をこてんと傾げながら、じっと見つめてきて。
そこに、悪意も害意も無くて。
俺は、もう、だめだった。
あの時のゆまの言葉は本物だった。
ゆまは人間だろうが獣だろうが関係なく愛してくれる。どっちのあなたも大好き、なんて陳腐な言葉は言わない。だってそもそも区別なんてしていないんだから。
ゆまは、きっと、『俺』を見てくれる。
そう思うと、我慢なんてできなくて。
「…ゆま、ちゃん」
「なあに?せんせい」
「…あたま。なでて、くれる?」
震える声で、強請った。
ゆまは、俺の気なんて知らずにくすくす笑っていた。
「せんせい、あまえんぼうさんだったのね」
かわいい。と、もう一度ゆまが言った。
心地よかった。
愛されていると、感じられた。
実の親にすらこんなモノ与えられなかった。
両親は人間から生まれてきた異形を怖れた。
人のカタチが上手くとれるようになった今でこそそれなりな関係を築けているが、感情の制御が上手くいかない幼少期は誰も彼もが俺を遠巻きにしていて、正直、…ずっとずっと寂しかった。
でも今、幼い頃に欲した温かな手が、すぐ傍で俺を撫でている。
かわいいかわいいと愛おしげに微笑みながら、俺を、抱きしめてくれる。
あのキチガイもよく俺のことをかわいいと言っていたが、ヤツは俺が人の姿をとった途端、目線すらよこさなくなった。だけどゆまは違う。どっちの俺も、かわいいって。
頭がくらくらした。