離れない、から
翌日。
私と郡くんは昨日の会話から気になったことを先生に聞くことにした。
「せんせい。『まじゅう』ってなんなの?」
「魔獣はなぁ…。なんかよくわからんがどっかから攻めてくる奴らだ!」
色々とぶっとんだ回答が返ってきた。
「奴ら、油断した頃にふらっと攻めてくるんだが、しばらくすると自然と帰っていくからなぁ…。まぁ、森で食いとめてるから領内には被害がでないのが救いだな」
先生はうんうん頷いてるけど正直更に意味が分からなくなった。あと、昨日の敬語は何処へ。これからはずっとタメ口なんですかそうなんですか。結局魔獣ってなにものなんですか。
…でもこれで、『惣火の猛将がいるから大丈夫』と言った意味は理解できた。
不定期に攻撃してくる敵対存在がいる限り、守ってくれる存在である兵士の立場はそれなりに保障され続けることだろう。
しかも、話しに聞くおじいちゃんは元々有能な兵士であり前線をかけてきた猛者。徒に刺激して万が一の時にそっぽを向かれたりしたら困るだろうし、…ね。学者といえど誰しも自分の命は惜しいだろう。おじいちゃんが居てくれる限り、私はそれほど酷いことをされることはない、か。これでびくびくせずに外を歩けそうだ。
さて。後は何を聞こうか。
おじいちゃんが若い理由は、―なんだか渋って話してくれそうにないかな。却下。
惣火にとっての私の価値、―についてはそもそも先生が把握しているんだろうか。そもそも把握していたとしても話しても大丈夫か否かという問題もあるし、…却下。
そんな感じで私がうんうん唸っていると、郡くんが「あのっ」とおずおずと声をあげた。
「おはなし、…あんまり、きけてなかったけど。どうして、おれのちはこいの?」
その質問に、私は、はっとさせられた。
昨日の理論でいくと旧家は血を薄めることに腐心していたはず。
血を濃くするには獣人間で子を儲ける必要があるけれど、分家ならともかく血を薄めることを良しとする旧家が本家直系の当主にそのような婚姻を許すはずがないし。ていうか郡くんのお母さん耳とかなかったからたぶん人間だし。
じっと考え込んでいると、先生の苦い顔が目に映った。どうやら単純な話ではないらしい。
「…それも、俺には答えられないが。巷では『先祖がえり』って言われてるな」
「せんぞ、がえり…」
「俺もそうさ。母親も父親も形質なんか持ってないただの『人間』だった。けど俺は『獣人』だ。同じように、郡サマも急に血が濃くなったんだろうさ。
…血を薄めることには腐心してる癖して、血を守ることはやめねぇからな。本家は。
古い血にはよく起こることなのか、代々一人か二人はそういうヤツがいたみたいだぜ?」
「そっ、か…。きゅうに、なんだ…」
堪えきれないほど落ち込んでしまったのか、郡くんは次の瞬間には、狐の姿になってしまっていた。
狐になってしまうことをなによりも厭い苦しんでいるのに、その苦しみこそが感情を大きく揺らし、自らの身を狐に変えてしまう。
郡くんは、一生そのジレンマと付き合い続けていかなければならないのだ。
私は思わず、呆然とした様子で座り込んでいる郡くんを抱き上げてぎゅうっと抱き締めた。
腕の中の温もりが、びくりと一瞬身体を跳ねさせる。
「…わたしは、こおりだからすきなんだから。こおりだから、いっしょにいるんだから」
『ゆま…』
「こおりが、きつねでもにんげんでも、いっしょにいるんだからっ…!」
ぎゅうぎゅう抱きしめながら、私はぼろぼろと涙を流していた。
きっと、虐げられた記憶は彼を苦しめ続けるだろう。
あの家が特殊なわけではなく世界中があんな認識なのであれば、「人間ではない」という事実は一生彼へと付きまとう。そんな彼に、獣人の血を引いているのに見た目は全き「人間」であるはぐれものの私が、一体何ができるのか。傍にいるだけでも傷つけるかもしれなくても、離れないことを誓うことぐらいしか思いつかなくて。
―そのとき、郡くんのことで頭がいっぱいだった私は、焼けつくような羨望の眼差しを向けられていたことに、終ぞ気が付けなかった。