第2 ゴボルの父ナチムとその妻
神のしもべミゲル・マリア・インマクラーダはオミナトから山2つ隔てた盆地の寒村に産まれた。
産まれた時の彼の名はゴボルといい、彼の産まれた地の言葉で「人間と家畜の糞尿を混ぜて作られた肥料」という意味であった。
物心ついた時から親元で農業に従事していたが、両親は生来体が小さく重労働に向かない彼を厄介と考え、村を訪れた人買いに彼を売って穀物の小袋一つを手に入れた。
彼は2つ目の山を下る途中で人買いともはぐれ、危うく山の鴉に目玉をついばまれそうになりながらも単身この港町にたどり着いたのである。
彼の産まれた盆地はナチムといい、その地の人々が奉じる神々のうちでとりわけ人に豊穣と災禍の双方をもたらすとされる神ナチマに由来する名であった。
ゴボルの父、すなわち彼を穀物の小袋一つで人買いに売った男の名もまた、ナチムといった。
ゴボルの父ナチムは、盆地ナチムの北側の山のふもとの村で農夫をしていた。
彼は無愛想な男で、いつも眉をしかめながら落ち窪んだ目で誰彼ともなく睨みつけ、長身で痩せぎすの体から長い手足がひょろひょろ伸びていた。
ゴボルの父ナチムは先祖伝来の農地を所有していたが、その土地はごく狭いものであった。その上、土壌がやせていて日当たりが悪かったので、彼の家族を養うには十分な収穫を得ることができなかった。
そのため、彼はその父祖と同様、村の南側にある地主の農地を耕し、小作料を得て家計の足しにしなければならなかった。
ゴボルの父ナチムは怠け者ではなかったが、気が短い上にひどく口下手だった。普段仕事に必要なことさえまともに話さないくせに、腹をたてると余計なことを口走るものだから、他の小作連中と折り合いが悪かった。
そうしてゴボルの父ナチムは、度々揉め事を起こしては小作頭から大目玉を食らい、家に帰るといきなり妻や子を縄でぶったり、言葉にならない叫びを喚き立てたりしては、すぐさま床に倒れてふて寝をするのが常だった。ただ彼が酒を全く飲めない性分であったのは、彼の妻子にとって(そして彼自身にとっても)幸いであった。
彼の父はギデムという名であったので、ギデムの子ナチムというのが村での彼の呼び名であったが、その偏屈さから「石頭ナチム」とも呼ばれていた。
ナチムの父ギデムとその妻はゴボルが生まれる前に世を去っていたので、ゴボルは彼らのことを知らない。
ゴボルの母には名が無く、単に「ナチムの妻」と呼ばれていた。
名を持たないのは彼女に限ったことではない。盆地ナチムでは、未婚女性は父の名を取って「某の一番目の娘」、「某の二番目の娘」というように呼ばれ、既婚女性は「某の妻」などと呼ばれていた。少数ながら地主をはじめ裕福な者は複数の女性を娶っていたため、彼らの妻は「某の一番目の妻」、「某の二番目の妻」と呼ばれていた。
ナチムの妻は、理由もなく自分を打ちのめす夫に対し、一度も不平を漏らすことがなかった。このような彼女の習性は、彼女が芯の強い女性であったというより、万事において鈍かったことに起因していたようである。彼女はいつも口を開けた蛙のような顔をしていて、何があろうと泣きも怒りもしなかった。村や一家の大事の時も、ひどく仰天してその場に立ち尽くすのが関の山であった。彼女の動作はたいそう緩慢で、人が1日で終える仕事を2日掛けてようやく成し遂げるのが常であった。
彼女が着物の修繕をなかなか終えられないせいで、ゴボルと父ナチムはいつも穴だらけのボロを身にまとっていた。ただし、ゴボルの父ナチムは着物に全く頓着しなかったため、妻の裁縫仕事の遅さが彼の機嫌を損ねることはなかった(着物に執着しない点は、ゴボルにも受け継がれている。彼は先輩修道士の着古したボロ布のような修道着を終生大事に纏い続けた。恐らく、父ナチムが彼に与えた数少ない美点であろう。)。
ナチムの妻はその夫と同じく自前の土地を僅かにしか持たない小農の家の娘であったが、不思議と少女の頃から肉付きが良かった。彼女に与えられた母や姉のお下がりは体に合わず、いつも胸と尻の辺りを窮屈そうにしていた。
口の悪いナチムの親戚などは、幼いゴボルに「お前のおやじがあんなうすのろを嫁にしたのは、この辺りで一番乳がでかかったからさ。牛みたいにうすのろでも、おっぱいが牛みたいにでかけりゃそれで満足だったのさ。」などと吹聴したものだった。
ゴボルには、父ナチムが乳房の大きさを理由に嫁を選んだと彼の親戚が語る意味が分からなかった。ただ、改めて周囲と比べて観察してみると、自分の母が人並み外れて大きな乳房をしていることは確かだった。
ゴボルは父と母の間の3番目の子として産まれた。彼の前に兄二人が産まれていたが、いずれも次の年を迎えることなく死んでしまった。
盆地ナチムの人々は、彼らの奉ずる神々に由来する名を男の子に与えていた。ナチムもこの風習に倣い、長男には「ギデム」(彼らの間で男女の関係を取り持つとされる神ギデマに由来するものであり、ナチムの亡き父の名でもあった。)と名づけ、次男には自分と同じく豊穣と災禍の神ナチマから「ナチム」と名づけていた。
ところが、このギデムとナチムが相次いで早世した。父ナチムはこの地の神々に愛想を尽かしてしまったのか、三男には「人間と家畜の糞尿を混ぜて作られた肥料」という意味で「ゴボル」と名づけた。
父ナチムの奇行はすぐさま噂となった。これを噂で耳にしたナチムの親戚や同じ村の住人達は、とうとうナチムが狂ってしまったと思い、彼の三男にふさわしい名を与えるよう説得した。しかしながら、ナチムは聞く耳を持たなかった。ナチムの妻といえば、人々が夫を説き伏せようと家に押しかけるさまを、騒ぎの原因である我が子に乳をやりながらぽかんと眺めていた。
そうして2、3日もすると、このおせっかい焼きたちはすっかり家に来なくなり、彼らの家には平穏が訪れた。とはいえ、村の者や親戚らはナチムの命名法を是とし得なかったらしく、ナチムとその妻の三男を「石頭ナチムのせがれ」やら「ゴボ」(この地の言葉で「小さな熊」という意味がある。)やら、それぞれ好きなように呼ぶようになった。
ナチムの子ゴボルは産まれた時から小さかった。そのため、彼は二人の兄と同じく次の年を迎えずに死んでしまうのではないかと目されていたが、病に冒されることがなく歳を重ねていった。ゴボルは滅多なことでは泣かない大人しい子で、体の方は小さく痩せていたので、しばしば「痩せているのは父親似、うすのろなのは母親似」などと言われていた。
ゴボルを産んだ後に母が身ごもることは5度あった。しかしながら、どの子も齢3つまで数える前に死んでしまった。
ゴボルが6つか7つになる頃のことである。彼が薪拾いから帰ったところ、身ごもっていた母の足の間に、びしょ濡れになった赤ん坊がぶら下がっていることに気がついた。ゴボルが慌てて母のもとに駆け寄りこの驚くべき有り様を訴えると、母は「おや、まあ。」と気の抜けた返事をするばかりであった。彼女は自分の子が胎内を出たことに気付かなかったのである。
村の産婆役の女に産まれた子を見てもらったが、その子はすでに事切れていた。死んだ赤ん坊は女の子だったので、名前を付けられることなく畑の傍に埋められた。子どもの埋葬は父の役目であった。夫が獣の巣のような穴を掘ってそこに娘を埋める様子を、ゴボルの母はぽかんと口を開けながら眺めていた。ナチムとその妻が産声ひとつ上げずに世を去った彼らの娘を悼むことは遂になかった。
こうしてゴボルは父ナチムとその妻の唯一の子として育った。