第1 序言
私たちの兄弟、全能の父であるあなたの謙遜にして清らかなしもべである修道士ミゲル・マリア・インマクラーダは、地上において神を正しく礼拝し、彼の持てる全てをあなたに奉献する生活を送り、やがて病を得てその魂を天に帰した。
彼の信仰生活は3年に満たないものであったが、彼のいさおしは全ての信徒の模範となるべき聖なるものであった。
彼の高潔な生涯に比べれば、私の50年の宣教生活など取るに足らない。また、彼のすぐれた徳と霊性については私の兄弟たちが多く書き残しているところであり、私にはこれらに対してさらに書き加える能力がない。
私はただ、この気高い兄弟ミゲルから自ら伝え聞いたところにより、彼が私たちの師ジョヴァンニ・バッティスタ・デ・ピュッカショリと出会い、栄光の主であるあなたを知るまでの生活―神なき異邦人の惨めな生活―を記録し、死と腐敗の縁にある全人類を救うあなたの恩寵を讃えるべく、これを記す次第である。
ミゲル・マリア・インマクラーダがオミナトの船着場で私たち聖アンブロジオ修道会の前に現れたとき、彼は青年と呼べる年齢であった。
彼が乞食の相手として、私たちよりずっと羽振りの良くみえる織物商人や人買い(悲しいかな、質量を持った物質が光の速さを超えて運動することができない事実が既に周知のものとなっていた当時にあってなお、オミナトにはこの種の連中が公然と事業を営んでいたのだ。)にではなく、聖アンブロジオ修道会を選んだことは、まったく聖霊の賜物と天使の導きによるものであろう。
当時管区代表であったジョヴァンニ師の前に跪いた彼の顔は死者のように青ざめて、その小さなからだは骨ばって手足が枯れ枝のように垂れ下がり、小鳥のように高く細い声で、髭も生えていなかったため、私たちは当初は彼を肺病やみの子どもと考え、当時すでにセミナリオの課程を終えていた私などと同じ年頃の青年とは夢にも思わなかったものである。
もとより無口で謙遜な彼は、私たちと出会うまでの生活を敢えて語ろうとせず、また、彼が受けてきた苦難を誇ろうともしなかった。
彼は驚くべき早さで私たちの言葉と文字を覚えた後も、決してそれを書き残しはしなかった(胸の痛みとともに主に告白致します。私は、無学文盲であった彼が水に浸した綿花のようにあらゆることを即座に記憶するさまに嫉妬の念を抱くこともありました。しかし、彼はそのような私を兄弟として受け入れてくれたのです。)。
ただ一度、私が彼の忍耐を羨み、市の法律顧問―いわゆる名士―の家で我が儘いっぱいに育った自分の生まれを嘆いたとき、彼は半ば恥じらいを含みながら、神なき異邦人の中にあった彼の半生を語ることがあった。そして彼は、全能の主との出会いを感謝するとともに、信心深い父母から主の教えを聞かされながら育ったことを己の誇りとしない私の謙遜を讃え、私を力づけてくれたのだった。
彼の語った半生は、神を知らず偶像崇拝の中にある人間の生活の惨めさ、その中から彼ミゲルを奉献生活へ召し出した神の恩寵の力強さ、そして主の敬虔なしもべである父母の下に生まれ育つことが如何に尊い恵みであるかを、私の心に深く刻みつけた。