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答え合わせ

Ⅶ 答え合わせ


「すぐ出ろよ、居留守でも使おうと思ったのか」

 服部は不貞腐れたように頭をかいて軽口を叩いていたが、僕は黙ったままだった。

 部活の後のようで、彼の髪は少し湿っていて、いつもの無造作なボサボサの髪がしょんぼりと垂れていた。

「留守だと思わなかったのか」

「家入るところ見たから。声かけたのに無視されたけどな」

 言われてみれば、家に入る時に誰かに声をかけられたような気がした。

 しかしもう何も話したくないという一心だったため確かに無視したような気がする。

 そんなことは、彼には口が裂けても言えない。

「――さっき、湊に会った」

 一瞬、ハッとして俯いていた顔を上げてしまった。

 そして同時にあのなんとも言えない寂しげな表情が脳裏にちらついたので慌てて振り払う。

「お前もさっき会ったんだろ。湊から聞いた。後、ありすって奴にも」

「ありすに会ったのか?」

 ありすという言葉に喰いつき、僕は一歩進み出た。

 服部は少しだけ目を見開いて、すぐに困ったように眉根を潜めた。

「ああ。随分前にも会った」

「いつだ」

「二週間前ぐらい」

 ありすよりも噛み合う会話だった。

 二週間前と聞いて浮かんだ場面は服部が爪を鳴らしているところだった。

 そして、カリフラワーが挟まった歯の間が痛む気がした。

「お前が風邪で休んでいた日に近くのコンビニで買いものがしたくて、裏通りを通ったら会えた。自分はありすだって言っていた。一目見たとき不思議な感覚がしたんだ。なんだか……奇妙で、嫌な予感がするな……って」

 一体、服部はなにが言いたいのだろうか。また彼は一発だけちきっ、と爪を鳴らした。

 僕は聞きたいと同時に、冷や汗が背中を伝っている気がした。外から玄関へと流れていく風がどこまでも涼しくとても冷たかった。

「人間の直感ってどこまでが正しいのかは俺には分からない。でも家に帰って机の上に乗っていた学校で作った彫刻を見たときだ。電流が走ったんだ。俺はインターネットであるサイトを見た。あまり言いたくないけれど、言わなくちゃないんだろうな。俺も……お前の真実が知りたいんだ」

 服部は一息ついて言葉を発した。


「××市立美術館彫刻展、二〇〇一年、アリスの夢。これで分かるだろう」


 雪崩れ込んできたものは予想以上に大きかった。

 小学校に入学する前、両親と美術館に行ったことがある。

 父親と僕はあまり興味がなかったが、母親が美大に通っていたこともありついていくことになった。

 裸婦像やよく分からない球体の彫刻が並んでいるのを見るのは退屈だった。美術館独特の静けさも相まって、眠気も少しずつ襲ってきた。そんな調子で母親に手を引かれて彫刻の列をぼんやりと見ていたのだ。

 しかし、ある彫刻を見たとき、僕は足を止めてしまった。ちょっと、という母親の声も気にせずに僕は手を取り払い、その彫刻をじっと見つめてしまった。

 それはドレスを纏った女性が切り株に座り、猫を膝に寝かせている彫刻だった。その女性は少女とも大人ともいえない曖昧な顔立ちに見えた。そしてその表情は気難しそうにも見えたし、柔らかいとも感じた。要はとても不思議で魅力的だった。


「アリスの夢?」

 母が傍に寄ってタイトルを読み上げてくれた。

 アリスのゆめ、と僕は繰り返してタイトルを読んだ。将来は美術関係かしらと嬉しそうに微笑む母親を横に、僕はじっと彼女を見つめていた。

 それは今思えば、それは初恋だったのだ。

 小学校の時も、ずっと僕はアリスを見るために美術館に訪れた。

 小学校低学年は無料だったため毎日といっても過言ではないほど、学校に帰ってきたらすぐに駆け足でアリスの元に向かう日々が続いた。

 そして、アリスを見上げていたのだ。警備員のおじさんに熱心だねと言われるほど僕は立ちつくして見つめていた。他の彫刻もあったが、僕はアリスだけしか興味が沸かなかった。

 アリスをじっと見つめながら、心の中で自分のことや、学校であったことを話すのだ。

 アリスはなにも言わなかったが、それが自分にとっては幸せだった。僕の言うことをなにも言わずに聞いてくれるのだから。

 僕以外にも興味本位なのか湊や服部もついていくことがあった。しかし、興味がないために、すぐに飽きてしまう。その姿を見るたびに、アリスを好きになれるのは僕しかいないと確信していた。

 湊や服部は僕を美術館に行かせないように、学校の終わりにサッカーやドッジボールに無理矢理誘いに来ることもあった。僕はたくさんの人と遊ぶのも苦手だった。運動もすぐ息切れしてしまうのでみんなに迷惑かけてしまうのと、掛け合いも怖くてできないからだ。そんな誘いから逃げながらも僕は美術館に通い続けた。


 あの日が訪れるまでは。


「おい、大丈夫か?」

 いつの間にか服部が顔を覗き込んでいた。

 気がつくと汗が止まらなくなっていたようだ。僕は彼が差し出してくれたスポーツタオルを使って額の汗を拭きとった。



 あの日。いつも通り、美術館に向かっていると、多くのパトカーが目にとまった。

 なにか事件が起こったのかと思ったが気にすることでもないとアリスの元へと向かった。

 そのパトカーの軍団が向かう先が美術館だと知らずに。

 一体、なにが起こっているのか最初は分からなかった。パトカーの他にも救急車もが止まっていた。そして大人たちの声の中からある会話を聞き出した。

「なにがあったんだ?」

「子供が走っていたら彫刻にぶつかったみたいだけど」

「アリスのなんとか……だっけ? 結構有名な彫刻家が作ったみたいなんだけど。壊れちゃったみたい」

 それ以降の記憶はなかった。

 記憶はないというのは語弊だろうか。

 思い出そうとすると手足が固まり身体の節々が痛くなるのだ。これ以上は思い出してはいけないとブレーキをかけてしまうのだ。

 時々、無意識的に夢の中で思い出すのがあの光景。

 それこそが、あの記憶だったと今更になって正解に辿り着く。


「宇佐、あの彫刻が壊れた後、俺と一度だけ美術館に行ったよな。俺が目を離したらいなくなった時があったはずだ……あの時、なにをしていたんだ」

 服部に言われて記憶の糸を探り、ああと呟いた。

 もしかしたらアリスがまたいるかもしれないと思って、僕は美術館に行った。

 それ以来訪れていない。


 あの時、最後の来訪時、自分はなにをしたのか――――。





 次の日、休日の早朝で湿気が多くじっとりとした暑さが嫌に肌を触った。

 僕は裏通りの塀の前に訪れた。ありすは相変わらず塀の上で足をぶらぶらとしていた。ありすは僕を見つけるとあっ、と嬉しそうに声をあげて手を振った。

 声をかけるべき言葉は前々から決めていた。




「久しぶりだね。アリス」




 ありすはしばらく首を傾げていたが、やがていつも通りの笑みを浮かべて両肩をおどけたようにあげた。





「やっと気づいたんだね、ウサタロー」







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